ep316 極地に星空を見た
ep316 極地に星空を見た
マキトは鍔広の魔女帽子を取り出して装備した。それはオル婆さんの遺品で念話の魔道具だ。
「土の神ゲドゥルダリアの加護を持ちて 氷の神フロストパクトに感謝を捧げる 慈悲の心を持ちて我らが願いをお聞き給へッ」
「…やはり そなたは 司祭殿であったかッ…」
雪原に現われた人影は、白い保護色の毛皮を装備して見掛けは誰だか分からない。祈りの聖句を唱えて宗教儀礼を交わす。
「ゴゴク殿、お久しぶりです」
「…司祭殿も 壮健であったかのッ…」
遠い北辺の地で知り合いに会えてマキトは安堵する。この修行僧のゴゴクだけが唯一の手掛りだ。それで、異民族の娘ムツコを紹介すると、
「…なんとッ、妃さま!…」
「プリル パリルッ」
修行僧のゴゴクはムツコの手を取った。異民族の紫色の肌は間違いようも無い。
「…お怪我など 御座いませんか?…」
「ホワェ イッド ムロムン」
無事を喜んでいる様子だが、そのうちに毛皮を剥いて中身を覗き、何やら確認し始めた。こんな戸外で寒くは無いか?
「…誠にッ 真にぃ…」
「アウッ、イアッ!」
異民族の娘ムツコは嫌がる様子を見せたが、妖精の流儀の前例もあり…異民族に特有の風習だろう。
「…司祭殿。誠に感謝します…」
「うむ」
修行僧のゴゴクはマキトへ感謝の姿勢を見せた。
「…妃さまに歯型でも付いていようなら、貴殿を消し飛ばさねば成らぬ所であった…」
「ひぃ!」
さらっと恐ろしい事を言う。自分も夜中に噛み癖は無かったと思うが、鬼人の少女ギンナを見ると頬を赤くして俯いた。えっ!あるの?!噛み癖が…
とりあえず、再会を祝して宴会となった。
修行僧のゴゴクは持参していた酒精の強い酒のみでは足らず、移動小屋から酒樽を引き出して飲んだ。料理は野生のトルガーの肉を南国の香辛料に浸けて焼いた物で刺激が強い。
異民族の娘ムツコが酒精の弱い麦酒を飲んでいるが異民族に未成年の概念は無いのか。いや、その年なら成年の扱いだろうか。対抗して鬼人の少女ギンナも麦酒を呷る。この様子では今晩の抱き枕任務は酒臭くて辞退であろう。
この北辺の地には、マ族・ミ族・ム族と呼ばれる複数の部族がおり、お互いに争っているらしい。異民族の娘ムツコはム族の妃さまと呼ばれる特別な存在で、巫女と薬師を兼ねた役割を担うと言う。とても重要人物とは見えない…外見は鬼瓦ムツゴロウだしなぁ。
「…失礼ながら 司祭殿は 顔色が悪いと見えるが…」
「飲み過ぎたか?」
酔い覚ましに、マキトは独り熱く入れた茶を飲む。カナル産の夏葉は香り高くて味わいも深い。ゴーレム娘たちは女中として立ち働いておりメイドの仕事も上達したと思う。
ごろりと横になって見上げると天空に星空が見えた。夏の終わりに晴天は珍しいと言う話だ。
◆◇◇◆◇
遠く離れた帝都では、除霊探偵クロウリィと言う人物が噂となっていた。特に宗教関係者の間では最新に注目の話題だ。その人物は渋顔の紳士を連れて、車椅子で駆け付け悪霊を退治すると言う。
水の神官アマリエはマキト・クロホメロス男爵とも旧知であったから、噂の除霊探偵クロウリィはマキトの変装だろうと考えた。それでも世間の目を欺き正体を隠すのは、悪霊の退治と除霊の仕事は多くの宗教組織の収入源でもあり利権でもある為か。
そう言う訳で、しばらくは除霊探偵クロウリィもお目溢しに活動を黙認されていたが、マキト本人が皇帝陛下の勅命で帝都を離れても除霊探偵クロウリィの活躍は続いた。これは真相を調査せねば成らない。
「何者ですかッ?」
「!…」
深夜に帝都の無縁墓地で誰何するのは、水の神官アマリエだ。助手とみえる渋顔の紳士がそっと耳打ちする。
「…水の神官様でございます…」
「神官殿に用はないッ、早々に引き下がられよ!」
「なにをッ…」
水の神官アマリエに口を挟む暇を与えず、除霊探偵クロウリィが怒鳴る。
「私の仕事の邪魔をするでない。腐れ坊主の手先がッ!」
「なっ、正体を現しなさい。この偽物め!」
負けじと対抗するアマリエには、不敵な笑い声が聞こえた。
「ふふふっ、これは異な事。偽物も本物もありはしない…」
「偽物が、何を企むのですか!?」
答えを逸らかしても、声音はマキトと似付かない女の声に思える。
「そう問われて、答える馬鹿もおるまいよッ」
「待てッ!」
除霊探偵クロウリィは逃げ去った。
判明した事は、除霊探偵クロウリィはマキト・クロホメロス男爵ではなく車椅子も偽物と見える事だ。お付きの紳士の変装も容易な物と思える。
そして、彼女は宗教関係者に憎悪を抱いており、何かを企む邪悪な気配があるという事だ。これは見過ごせない事態となるだろう。
◆◇◇◆◇
マキトは異民族の娘ムツコの処遇を修行僧のゴゴクに託した。何よりも、ムツコ本人がゴゴクの同行に同意したので安心が出来る。
修行僧のゴゴクには新酒の酒樽と木箱に詰めた乾麺を手土産に持たせた。橇を引けば容易に運べる荷物だ。ム族の集落までムツコを案内してくれるだろう。
「…それでは、失礼つかまつります…」
「ゴゴク殿に、お頼みしますッ」
「…マキト司祭よ。神のご意志があれば、また会うであろう…」
「マスター ワラァ サッシエッ」
悲しい顔をした異民族の娘ムツコが別れを告げる。鬼の眼にも涙か。
「ワラーサッシェ!」
「…」
マキトは異民族の部族間の争いに関わることを忌避したが、この時は後に後悔をするとは思いもしなかった。
「うんもーぅ」
鬼人の少女ギンナが膨れている。何か悪い事でもしたか?
「ワラァ サッシエッ…愛しています。との意味ですわ#」
「なにぃ!」
嵌められた。事故だッ、無実だ!
「ご主人様も、妃さまの乙女心を弄んで、罰が当たりますわねッ#」
「ぐぬぬ…そんなハズは…」
それから暫くマキトは体調を崩して寝込んだ。
天罰が下りたのだろう。
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