ep294 帝都のからの脱出
ep294 帝都のからの脱出
帝都の下級警吏マキト・クロウは持病の悪化のため、官職を辞して実家の領地へ帰ったと言うのも仮の姿で、本職の警吏長官の職務は慰留もあり辞職できなかった。
役所の秘書官たちの魂胆は明白だ。南区の警吏長官であるマキト・クロホメロス男爵はめったに役所へ出仕しないにも関わらず不思議と決済書類を滞らせることも無く、役所の官吏にとっては都合の良い人物である。それに、彼らは長官が連れた秘書官のゴーレム娘フラウ委員長の事務処理能力と手腕を当てにしているのだ。
残念ながら結婚退職の希望を阻止されたマキトはゴーレム娘たちを帝都に残して旅に出掛けた。マキト・クロホメロス男爵の旅行好きな嗜好を知る貴族は「またか」との感想を漏らしたが、皇帝陛下のお気に入りと見做されたグリフォンの英雄マキトの行動に口を挟む者は居なかった。そのため、マキト・クロホメロス男爵は堂々と公言して新妻サリアニアと新婚旅行へ出掛けるのだ。
伝統的な帝国貴族に新婚旅行の習慣は無かったが、マキトが旅行の趣旨を説明するとサリアニアの希望で国内旅行の行程となった。
帝都から街道を南へ行くとザクレフの町がある。ザクレフは帝国南部の主要都市であり、リンデンバルク侯爵の所領でもある。現当主のクライズ・リンデンバルク侯爵は先王の兄の家系の侯爵家で大侯爵とも呼ばれる血筋だ。寄る年波にも負けず矍鑠として先の内戦でも活躍したと言う。
マキト・クロホメロス男爵の新妻サリアニアの実家はシュペルタン侯爵家であり、共に現在の皇帝陛下を支える二大勢力であるが、サリアニアは侯爵家の籍を離れた。それでも実家との関係を水面下で探る働きかけがある。実家との縁は切っても切れない物らしい。
「新婚旅行とは、策謀に好都合であろう」
「サリア、それは違うと…」
サリアが上機嫌で言うのに、マキトは違和感を覚えた。
「こうして堂々と国内の有力貴族を巡り、政治的な働き掛けが出来るのだ。この機会を活用せぬ貴族はいないッ」
「…」
そうまで言い切られると、新婚旅行の意義について再確認もしたくなる。まぁ、サリアが旅行を喜ぶ様子は良かろうと思うのだが、
「姫様っ…いえ、失礼しました…奥様。侯爵閣下から内密なお話があると」
「そうか、喜んで受けよう」
ザクレフの町へ到着したサリアは領主代行への挨拶も早めに切り上げて政治活動を開始した。マキト・クロホメロス男爵は随行員のひとりに見える。それでも、マキトはサリアニアと同行して地方貴族との顔合わせをする日々だ。
煉瓦造りに白壁の美しいザクレフの街並みと歴史的な建築物を見物するのも後日になりそうだった。
◆◇◇◆◇
帝都から東方を守護するギブラ城塞では、シドニア山脈に巣食う山賊団の殲滅作戦が実行されていた。城塞の司令官はジャンドルの三色旗を掲げた若様で、軍勢の突破力を生かした作戦を指揮している。帝都から応援に駆け付けた軍勢は正規軍ではなく警吏とそれに雇われた傭兵団か退役軍人の集団であった。それ故に、ジャンドルの若様は帝都の援軍を戦力とも見ずに期待もしなかったのだ。
山岳地帯の高低差でもジャンドルの騎兵隊は良く働いていると見える。ゴーレム娘のフラウ委員長は望遠の視力で戦況を眺めて呟く。
「私たちの出番がなければ、良いのだけど…#」
妹格のゴーレムたちも出撃準備と援軍に勢揃いをしているのだが、フレインは不満を募らせた。
「えーっ!それは、詰まらないッ#」
「レインちゃん。…お姉さまの言う通りですよっ#」
合い変らず末っ子のフローリアは落ち着いている。ゴーレムの姉妹たちを横目に警吏の男が尋ねた。
「秘書官殿。奴らの畑の方は?」
「もう、コカ茸の季節は終わりですから、備蓄倉庫の方へ捜索隊を出しましょう#」
「はっ!」
念のため、警吏長官のマキトの命令書も持参しているのだが、警吏の方も慣れた物でマキトの秘書官であるゴーレム娘のフラウ委員長の指示に従っている。本来ならば警吏の隊長の方が命令を出すべき立場だろう。
フラウ委員長は秘書官の立場で作戦の助言を行う。
◆◇◇◆◇
マキトはザクレフの町の全貌を眺めて叫ぶ。それは絶景に感動してか、新妻の可愛さに舞い上がってか。宣誓するのだ!
「俺は、サリアを愛するぅーぞーぉ!」
「これっ、恥ずかしい真似をッ」
ぽっ、新妻のサリアニアが珍しく顔を赤くした。町を見下ろすコジエ山は晴れ渡り日差しも増す。マキトは山登りに息を切らしていた。
「ひぃ、ふぅ…はぁ…」
「それ見た事かッ、子供の様に燥ぎおって」
サリアの指摘にマキトは伸びても、帝都の警吏長官の重責から解放されて心は伸び伸びしている。夫婦の親睦を深める為にも意気を揚げてもらおうか。登山に同行する護衛とお付きの者たちの息も上がる。
その時、上空から魔物の陰が差した。
「くっ…【風神剣】!」
「GUUQッ」
抜き放った突風が魔物の襲撃を阻止した。
「何をするかッ、魔物めっ!」
「GUUQ 悪くはない剣筋じゃ」
それは、魔獣グリフォン姿のファガンヌで、クロホメロスの名付けの親でもある。マキトは嫁と姑の争いが起きのるかとハラハラして見守る事しか出来ない。コジエ山の一帯は野生のグリフォンの縄張りで、マキトの姿が発見されるのも予想の内だ。
「ふっ」
「GUUQ 今日の所は合格とするかノ」
新妻のサリアニアが気を吐いた。ファガンヌは金赤毛の獣人姿に変化する。今のサリアの剣閃を評価し実力を認めたらしい。ほっ、嫁と姑のバトル展開も想定していたが、両者の穏便な様子に安堵する。
以前のサリアニア侯爵姫であれば、風神剣の性能に頼ったお嬢様剣術であったが、女傑と呼ばれるオストワルド伯爵夫人に鍛えられたらしい。マキトの鍛練も兼ねた朝晩の特訓にも熱が入りそうだ。嫁のサリアが姑のファガンヌに敗れる展開も予想していたのに残念である。
こうしてクロホメロスの名付け親にも結婚の報告と挨拶を終えた。
◆◇◇◆◇
帝都のお屋敷と留守を守る家臣は老執事のセバス・チアンが筆頭だろうか。眼光と見た目の貫録は歴戦の兵である。
「お嬢様。お食事の準備が整いましてございます」
「いつも、ありがとう。セバス…これは?」
食膳にはいつもの簡素な食事に加えて甘味の菓子が添えられていた。
「ご祝儀のケーキで御座います」
「ほう、男爵家に祝い事でもあるのですか?」
老執事のセバスが事情を話す。
「クロホメロス卿はサリアニア様とご結婚されて、新婚旅行とやらに出立しました」
「ふむ。旅行とな…それは好都合にして……セバス。これをッ」
リリィお嬢様が取り出したのは不細工な縫い包み人形と見える。それはリリィお嬢様が暇に明かせての手作りの品物だろうか。
「こ、これはッ?」
「男爵の姿に似せた、呪い人形よ!」
どや顔で言う、お嬢様の裁縫の腕前は…残念な出来映えであった。
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