ep292 真夜中の散歩
ep292 真夜中の散歩
老執事セバスの仕事に新たなお役目が追加された。屋敷の厩から漆黒の軍馬を引き出して黒塗りの馬車を引かせる。屋敷の主マキト・クロホメロス男爵が真夜中に外出すると言うのだ。
男爵の奇行は屋敷の使用人も承知の日常で別段の驚きも無いが、急な出立に屋敷の使用人も慌ただしい。黒馬車の御者は老執事セバスが務めてマキト・クロホメロス男爵が乗り込む。黒塗りの馬車は葬儀用の馬車にも似て窓も無く、三機のゴーレム娘と整備用の積荷が運び込まれた。
屋敷には立派なゴーレムの整備場が建設されていたが、戸外にて三機のゴーレム娘の性能試験を行うと申し渡すと屋敷の使用人たちも押し黙った。旦那様はゴーレム使いとしても有名で、その奇行はいつもの事だ。
「出発します」
「うむっ…」
黒塗りの馬車が男爵の屋敷を出た。新規に雇い入れた使用人には他家の間者も潜入していると見るべきだろう。馬車は監視の目を誤魔化すために帝都の郊外を走り森林地帯へ入った。木々は密度を増し、とても大型の馬車が進める場所には見えない。
「…抜けますぞッ」
「ふんっ」
何かが体を通り抜ける様な嫌な感覚に身震いをする。黒塗りの馬車は驚くべき速さと走行性能を見せて森を抜け郊外の墓地へ入った。追手の気配も無い。
事前の手配で墓守も墓地の巡回の警吏も遠ざけている。無人の墓地に深夜の暗がりは不気味である。
「…どうどう…」
「ここかッ」
そこは新たに掘られた墓穴へ埋葬も済ませた無縁墓地の様子だ。墓碑銘も無い囚人と罪人の墓地である。
「リリィ。早速に、やってくれッ」
「勿論で、ございますわッ…怨嗟の声 連環の輪 我手に集え…【悪霊】」
何か禍々しい気配が黒いドレスを着たリリィ・アントワネの周囲に集まる。
「あなたたちの恨み事を、聞かせて頂戴なッ」
「…苦しい…痛い…寒い…」
「…裏切り者、ゴードンめぇ…許さぬぞっ…」
「…おぉ、俺は伯爵様の…伯爵様のぉ…」
この世に未練を残した悪霊たちは口々に恨み言を語る。傍観しているだけでも精神を汚染されて呪われそうだ。
「大体は、分かったわッ」
「もう、良いだろう…【捕縛】【殲滅】」
マキトは捕縛の数珠と殲滅の指輪を起動した。
「…熱い、焼ける…」
「…ぎゃぁあああ…」
「…呪ってやるぅ…」
忽ちに悪霊たちは消滅するのだが、見ていて気持ちの良いものでは無い。
墓地の周囲を警戒していたゴーレム娘たちを回収し屋敷へ撤収する。帰路も追手の目を誤魔化す為に帝都の外縁を大回りして帰還するのだ。
………
南区の警吏長官マキトは捜査資料を精査して、現場の報告書と実際の死傷者数に差異がある事を発見した。勿論に優秀な秘書官のフラウ委員長の手柄なのだが、それよりも死人に口無しである。悪霊の亡霊の証言など証拠にも成らないが、事件の真相へ近づく手掛りとは成るだろう。
マキトは危険を冒して屋敷に捕らわれた死霊術師リリィ・アントワネの協力を得た。彼女は帝都で反乱軍を率いた大悪人である。マキトが彼女を匿う経緯を省略しても、今ここに反乱の首謀者が生きている事は、皇帝への反逆を疑われる大罪である。
その黒いドレスの女リリィが語る悪霊たちの怨恨は警吏のゴードン分隊長と伯爵様へ集約されると言うのだ。これはマズイ事態になりそうな予感がする。
◆◇◇◆◇
深夜に人目を忍び、ベネルクテ伯爵家の別邸の門を潜るのは警吏のゴードン分隊長とその一味と見える。表向きの用件は火災現場の検証報告とお詫びの為に責任者のゴードン分隊長が訪問である。
「警吏の小僧がッ、余計な真似をしでかした様だが…」
「はっ、申し訳ありません。こちらの手筈で処分を致します」
恐縮に平身低頭するゴードンへ伯爵様が餌を投げる。
「その方の栄達は保障しようぞッ」
「有難う御座います」
「して、姫の件だが…」
「…ふむふむ…」
悪党の謀事は世に尽きないらしい。
「ニャ!これは…」
伯爵家の庭園に潜入していた密偵が陰謀の匂いを嗅ぎ付けた。
◆◇◇◆◇
南区の警吏長官マキト・クロホメロス男爵は悩んでいた。ベネルクテ伯爵と警吏のゴードン分隊長が共謀して何かを企んでいるのは間違い無いが、決定的な証拠に欠ける。警吏長官の権力を押してゴードンを罷免するのは簡単だが、伯爵家までは警吏の捜査も及ばないだろう。
転落死したベネルクテ伯爵家のご令嬢はコカ茸の栽培が疑われた。伯爵家の別邸で焼失した温室にコカ茸の栽培の痕跡が疑わしい、と言う密偵方の報告も決定的な証拠は無い。
問題のコカ茸入りの飴玉は帝都の若者の間で流行してかなりの売上を稼いでいるらしい。末端価格にすると相当な金額だ。以前に秘密の製糖工場から押収された原料のコカ茸はいつの間にか横流しされて消えていた。これもフラウ委員長が書類の不備を見抜いた成果だ。
「いっそ、伯爵の邸宅に踏み込むか?」
「捜査令条も無しには、貴族間の問題になりますよ#」
秘書官としてもゴーレム娘フラウ委員長の助言は的確だ。もはや役所でも手放せない存在と言える。
「奴らの収入源を叩く方法かな?」
「それならば、…#」
どこぞの時代劇の様な簡単に正義の鉄槌とはいかない様子だ。
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