ep291 それぞれの休日
ep291 それぞれの休日
南区の警吏長官マキト・クロホメロス男爵の執務室へ事件の報告書が届いた。先日に市場の倉庫街で違法薬物の強制捜査を行った顛末が記載されている。
作戦の指揮を執ったゴードン分隊長も目を通して承認した印がある。その報告書には新任の警吏マキト・クロウの勤務評価も記載されていて自分の仕事ぶりに他人の評価を見るのは、学生時代の成績通知表の以来で恥ずかしい物がある。
警吏の詰所も監督するゴードン分隊長が見た新任の警吏マキト・クロウの勤務評価は以下の通りである。
クロウ捜査官は市中の巡回や市民への対応など日常的な警吏の業務に支障は無いが、賊の追跡や捕縛などの戦闘には不向きである。しかし、彼が使役する三体のゴーレムは賊の拠点制圧に有用である。
彼のゴーレム使いとしての資質に問題は無いが、配下のゴーレムの動作には命令の齟齬が見られる。今後は配下のゴーレムも含めた作戦指揮と戦闘訓練が必要であろう。…なるほど、ゴードン分隊長はゴーレム娘の働きも評価しているらしい。
新任の警吏マキト・クロウの勤務評価は概ね良好であるが、最後に気になる文面があった。
なお、新任警吏の一人分の報酬で三人分以上の働きをするクロウ捜査官の能力を高く評価すると共に警吏支部への予算の増額を上申するものである。…これは上司である警吏長官へ宛てた要求ではないか。
「むっ、気付かれたかッ?」
「その可能性は35%で、ございます#」
秘書官姿のゴーレム娘フラウ委員長が意見を述べた。…ふむ、確率統計学も習得したのか。
「直接に顔を合わせる機会は無いのだがなぁ…」
「ゴードン分隊長のお立場では、警吏長官の噂も耳に入るでしょう#」
「ふむ」
マキトは役所の仕事を先任の秘書官へ丸投げして秘密裏に警吏長官の決裁のみを行っている。役所の会合も戦傷を理由に欠席するのは貴族の官吏には珍しくもない。
ゴードン分隊長は現場の叩き上げで部下の信頼も厚い優秀な男と思える。実際に上司の覚えも良くて準男爵位も得た官僚だ。
警吏長官マキト・クロホメロス男爵の評価も上々であった。
◆◇◇◆◇
ゴーレム娘のフレインは着崩れた若者の姿で街へ出かけた。先日の制圧作戦では些細な失敗のお仕置きで、簀巻きにされてご主人様の寝室の枕にされていたが、ギンナ先生の助言で解放された。ご主人様の抱き枕のお役目はギンナ先生へのご褒美らしい。
一応に制圧作戦の死傷者が減ったのはギンナ先生のご指導のお蔭である。そう理解しつつもご主人様にご褒美をおねだりして、本日の自由行動を得たのだ。
帝都の街には興味深いものが溢れている。街を行く若者の表情は晴れやかで、内乱から帝都の解放もあり自由な空気が満ちている。そんな中にも鬱屈した者たちが居て、ご主人様の警吏のお仕事の手伝いに捕縛したものだ。
本日はお仕事も抜きに自由行動である。
「お嬢ちゃん。買い物かねぇ、甘い林檎はどうかな?」
「…いや。食べられないんだ#」
「こちらの飲み物は、さわやかな味わいだよッ」
「…うーむ#」
ゴーレム娘のフレインはご主人様のマキトから小遣いに金銭を頂いていたが、ゴーレム娘に飲食は出来ない。美味そうに飲食する市民の顔を見るばかりだ。
美味そうな匂いのする屋台を無関心に通り過ぎて下町の古着屋に辿り着いた。
「これは、安い!#」
「へい。いらっしゃいッ、良かったら見て言ってくれよ!」
古着屋の主人は気さくに話して、ゴーレム娘のフレインの異様な服装にも文句は無い。街の若者は多少なりと奇抜な格好を好む者だ。
お馬鹿なゴーレム娘のフレインも経済観念はあるらしく商品の値段には敏感と見える。しきりに積み上げた古着を検査して高いの安いのと品定めをしているのだ。それでも初めての買い物は楽しそうである。
◆◇◇◆◇
ゴーレム娘のフローリアは長身で武骨な機体を嘆いていたが、ご主人様に頂いた特製の槍は自慢の逸品だ。錆も付かず女中仕事の清掃にも大活躍の武装である。
「リアちゃん。また井戸に魔物がッ…」
「お任せ下さい#」
槍の一突きで井戸に巣くった魔物を殲滅する。遺骸は串刺しにして畑の肥料にしよう。そんな庶民の知識は隣家のメアリ奥様に教わった。
「メアリ奥様。宜しくお願いしますッ!#」
「よく来たわね。武門の道は一日にして成らずよッ」
「はいっ#」
先日の盗賊騒動で知り合ったゴーレム娘のフローリアはメアリ奥様に槍の投擲術を習っていた。
「とうっ#」
「フローリア。もっとこう、腕を振って…」
メアリ奥様のご指導は優しくても厳しい。体格の構造上の問題でゴーレム娘のフローリアにはメアリ奥様と同様な動作は出来ない。それでも独自に投擲術を試行錯誤に訓練しているのだ。
「やぁー#」
「もっと、気合を入れなさいッ」
「はいっ!#」
ゴーレムに気合とは如何ほどか。それでも熱心な弟子を得てメアリ奥様のご指導にも気合が入るのだ。
槍の投擲術を習得するのも近いだろう。
◆◇◇◆◇
そこは帝都の騎士学校の一部で軍事関係の書物が保管された図書館だ。マキト・クロホメロス男爵の車椅子を押して秘書官姿のゴーレム娘フラウ委員長が回廊を進む。
「こんな所で良いのかい?」
「はい。マスター#」
そりゃ、眼鏡っ娘のフラウ委員長にはお似合いの場所だけど、…同伴の外出にご希望の場所は図書館かぁ。
「マキト・クロホメロス男爵である。本の閲覧の申請をッ」
「承っております」
本は貴重な文献で庶民が目にする事も無い。貴族の知識層でも高価な本を所有する者は少ないのだ。帝都の図書館も厳重な警戒である。
「あとは、こちらで勝手にするよ」
「ご随意に…」
図書館の案内人は男爵の要請に気を利かして姿を消した。本来であれば貴重な本を棄損しない様に監視の者が付くのだ。そこは拝観料と心付けの賄賂の金額次第でもある。
車椅子に乗るマキトに付き従うゴーレムの姿で不審に思われる事も無く、図書館へ正規の方法で堂々と入館を果した。とても大量の書物にマキトは見る気も失せるが、フラウ委員長は嬉々として図書目録を記憶し始めた。
「好きなだけ、読んでおくれッ」
「はい。マスター◇(ハート)#」
本当に目の色を変えてフラウ委員長は本の内容を記憶し始めた。図書館はゴーレム娘フラウ委員長の楽園だ。
◆◇◇◆◇
マキト・クロホメロス男爵の屋敷の使用人にも休暇があった。その中でも老執事のセバス・チアンには独特な余暇の過ごし方をする。
まず、早朝に起き出しては常日頃の様に二人前の朝食を取り厩の清掃と馬の世話を行うのだ。男爵家の厩には馬車を引く数頭の馬と、軍馬を思わせる漆黒の立派な馬が繋がれていた。老執事のセバスの実家は牧場主で馬の世話は子供の頃からの習慣らしい。
そんな老執事のセバスも昼ごろには姿を消して、自室に籠り昼寝をすると言う。手下の使用人もこの時には厳格な老執事の部屋には近付かないのだ。後でどんなお叱りを受けるか分からない、そんな危険は新入りの使用人たちも避けるだろう。
「お嬢様。湯あみの仕度が出来ました」
「…ありがとう、セバスちゃん」
「滅相もございません」
屋敷の地下には現世と隔絶された牢獄があった。地上は神聖結界に封印されてリリィ・アントワネ・タンメルシアの魔法も秘術も発動しない。
「…こんなに大量のお湯を頂くとは、男爵殿も剛毅であるのぉ…」
「…くっ…」
湯船に張られたお湯は、男爵家の湯殿の残り湯で捨てるには惜しく香料も香る。…おいたわしやお嬢様。このセバスめが必ずやお救いして見せますぞッ!
ちゃぷちゃぷとリリィお嬢様が湯の感触を楽しむ音が、衝立を通して老執事のセバスの耳へ届く。
「…それで、男爵殿の提案を受けようと思うの…」
「…そ、それはっ…」
老執事のセバスも臣下として主君の決断に異を唱えるのは憚られる。
事態は水面下で進行しているらしい。
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