ep274 戦闘の概況につき
ep274 戦闘の概況につき
アアルルノルド帝国の皇帝アレクサンドル三世が擁する帝国軍の本陣は南部の主要都市ザクレフにあり、領主軍との共同作戦で帝都の奪還を目指して街道を北上していた。
これに対して帝都を占領したのは黒の軍勢と称される反乱軍だ。黒の軍勢は一夜にして帝都の周辺に現われて帝都の守備隊を粉砕し白銀騎士団を壊滅したのだ。その実力は侮れない物がある。
戦場の多くは平原で伏兵を配置できる森林や守備陣地を置く山地も少ない。それは南北に流れるナダル河に育まれた肥沃な土地で、農業が盛んな地域でもある。
農業都市カンパルネに駐留していた帝国軍は黒の軍勢とひと当てした後に大敗した。敗走に見せかけて逃走する黒の軍勢を追撃した帝国軍の騎兵隊が逆撃に遭って壊滅したという報告は皇帝アレクサンドル三世を落胆させた。
「皇帝陛下。落胆を召されるなッ、我ら!ザクレフ騎士団が着いておりますぞッ」
「うむ。頼りにしておる…」
がははと笑うのはリンデンバルク大侯爵の手勢を纏める将軍閣下だ。
「先陣は我がジャンドル家にお任せあれッ」
「いや。ドラントランの軍勢が適任であろう!」
先陣を争うジャンドルもドラントランも古き武門の家名であるが、地方領主の参陣は遅れている様子だ。ここで戦力の充実を待つべきか、早急に帝都へ進軍するべきか判断に迷う所である。
緊急事態に帝都の救援へ先発した部隊は黒の軍勢の実力を図る試金石にしか過ぎない。帝都の奪還作戦はこれからが本領である。
◆◇◇◆◇
帝都を占領した黒の軍勢は王宮へ入った。いまや蛻の殻となった王宮に人気も無くて平穏な入場となった。執事と見える男が式典の開始を告げる。
「アントワネ様。会場が整いまして御座います」
「ふむっ」
大広間に黒い正装のドレスを着て王冠を頂くのは、タンメル村の女主人リリィ・アントワネ・タンメルシアである。
「…ほぉぉおおお…」
「…ざわざわ…」
声に成らないざわめきが王宮の広間に満ちる。参列者は面覆いに鎧姿か、正装に仮面を付けた無言の大観衆と見えた。
「ここに、聖都カルノの解放をッ、リリィ・アントワネ・タンメルシアが宣言する」
「…ほぉぉおおおおおぉぉおおおお!…」
「…ざわざわざわ…」
声に成らない歓声とどよめきが王城を揺らした。
リリィ・アントワネ女王陛下が帝都の占領と同時に発令した布告は、聖都カルノの復活と宗教組織への弾圧の解除である。その他にも市民の信仰の自由と献納の義務が課せられた。
この布告に一部の宗教関係者は狂喜して歓迎を示したが、多くは帝国軍が帝都を奪還するのを見越してか沈黙を守った。どちらを支持するにせよ戦後の支配体制の趨勢を見極める必要があるのだ。
占拠された帝都から聖都カルノに名称を変えても、都の市民の多くは光教会の信者と見做されている。古来の聖都カルノを占領し帝都を置いたアアルルノルド帝国の皇帝アレクサンドル三世は光教会をも弾圧したが、他に崇める神もなくて無信心者と見えた。
光教会に対を成す存在として黒の教会と俗称される宗教団体も過去には存在していたが、今では見る影も無い。同じ黒の色彩を帯びても黒の軍勢と同列に語るのは早計と言うものだろう。
◆◇◇◆◇
帝国の西部を治めるシュペルタン侯爵家から援軍が出陣する。先陣に王都へ駆け付けた先遣隊はナダル河にかかる大橋で敵軍に足止めされて、突破するにも迂回するにも戦力が足りないと言う報告だ。
「エーリッヒ様、お気をつけてッ」
「…無事なご帰還を心待ちにしておりますわ」
「…武勲を期待しておるぞ」
若くして優秀なエーリッヒ・クバルコフは侯爵家の隊士長を務めて部隊を率いる下士官の地位にある。見送りの親戚や熱い視線を送るご令嬢の姿も多い。
「我が、クバルコフ家の家名こそ…」
「…お守りに魔法の護符でございます」
「…陣中の食事には気を付けることじゃ」
父上の長い訓示を聞き流して王都へ出発した。そこそこに優秀なエーリッヒは下級貴族の父にも期待されている様子だ。それにしても、見送りにオーロラ嬢の姿が無くて残念に思うが、彼女も出陣に沸く城の仕事で大忙しのハズだ。
シュペルタン侯爵家としては王都の目前まで駆け付けて面目は保ったと見えるが、実情は王都にも入れず戦闘の役にも立てない無能である。この失態を挽回するには王都への一番乗りが早道に思える。真っ先に王都へ入場した者には恩賞が与えられる事だろう。
援軍は数を揃えて意気揚揚に帝都を目指す。
◆◇◇◆◇
東の辺境を統治するオストワルド伯爵の軍勢は城塞都市キブラの攻略に取り掛かった。キブラ城塞は古来に山賊退治に功績のあったギブラ伯爵の名を冠してシドニア山脈の出入り口に聳え立つ。その城塞へオストワルド伯爵の先鋒が打ち掛かった。
「やつら、無能かッ東門に殺到しておる」
「げばっははは、そう容易く落ちる物では無いぞッ」
山賊団の頭と見える男は無精髭を生やして風采も上がらぬが、意外と冷静に事態を見詰めている。
「あれでは、無駄に兵を損ねるばかりさ…」
「長年に我らを苦しめた、城塞が味方になろうとはッ帝国の奴らも驚いただろうがッ」
どんな奸計か、キブラ城塞も今では山賊団の拠点となっている。英雄ギブラの名が泣くというもの。本来であればシドニア山脈に巣食う山賊団を睨み牽制する筈の城塞の守備隊も全滅して墓場送りとなった。町の有力者も縛り首にして今では山賊の法が町を支配しているのだ。
「軍神殿のお手並みを拝見するか…」
「げばっははは、無理だと思うがねぇ」
キブラ城塞には山賊団の高笑いが響いている。
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