ep267 北辺の地に雷鳴が轟く
ep267 北辺の地に雷鳴が轟く
マキトたちはコボンの地を脱して北辺の平原に停泊していた。この辺りは雪と氷の世界で無人の荒野と思われている。
そんな氷雪の平原で偶然に出会った原住民はゴゴクと名乗った。マキトが献納した鳥の炙り焼きは南国の香辛料をふんだんに使う贅沢な逸品だ。その刺激は北辺に暮らす原住民には強烈で、涙を流して喜ぶ様子に見える。
それでも原住民のゴゴクは白い保護色の装備を解かず、防寒のマスクも手袋も外さない。僅かにフードから覗ける目元は火傷した様な紫色に変色して痛々しく見えた。そんな他人の内情には踏み込むことも出来ずに、マキトは酒を飲んで談笑するばかりだ。
ゴゴクが持参した酒は強烈な酒精でカップに半分も飲めやしない。通常はちびちびと舐めて水を飲む用な代物だろう。
「…かくしても…」
「して、ゴゴク殿はどちらへ?」
マキトたちがコボンの地を追われた話をすると、大いにゴゴクは同情して盛り上がった。酒精の影響ばかりでは無かろう。
「…拙僧は、地の異変に遭いて 霊場を巡る者なり…」
「ほうほう。霊場とは、これですかっ?」
凍り付いた大地には僅かに盛り上がった石積みが見えた。原住民の信仰だろうか、修行僧のゴゴクは凍り付いた石を集めて新たな石積みを作成した。それも修行の一環だという。
ゴゴクの話では現地で頻繁に雷鳴が発生して鳴り止まず、神の怒りを恐れて霊場を巡り祈りを捧げるのだと言う。それは季節の変わり目の自然現象だと思うが、原住民の信仰に異論を挟むつもりは無い。
マキトは修行僧のゴゴクに方角を尋ねて進路を変えた。ここから東周りに進めば茨森の北端へ到達できる見込みだ。
「…マキト司祭よ。神のご意志があれば、また会おうぞッ…」
「ゴゴクさんも、お元気で!」
原住民との交流を果して移動小屋は東へ進む。
◆◇◇◆◇
コボンの地から逃走して数日は氷雪の平原を北へ進み、東周りに進路を変更してから数日でトルガーの群れを目撃した。野生のトルガーは箆鹿に似た魔物で雪原でも牧草地を求めて群れを移動する。その食性を考えると極寒の氷雪地帯を抜けたと思える。
思えば、コボンの地とは相性が悪いのか逃走してばかりな気がする。逃避行の途中で茨森の北端に到達したが、森の主ソアラフレイユは不在のため助力は得られない。留守を任された狼族の話では、ソアラ様は妖精族の会合へ出掛けてお帰りの期日も不明だと言う。移動小屋では森を抜けるのも困難なので食糧と燃料を補給して、そのまま雪原を東へ進む事にした。
既に大寒波も過ぎ去り季節は春に向かうと思えるが、北辺の国バクタノルドの開拓地に春の訪れは遠いと見える。マキトは昨年に製作した泥炭用のストーブを設置して暖をとる。昼間は僅かに日差しがあり幾分か寒さも和らぐが、夜間に移動小屋を停泊して眠るには寒さが堪えた。
「うっぷ、寒ぶぅ…」
「英雄様っ、あたいが温めるですぅ~◇」
風呂好きのマキトの事でぽかぽか状態にして寝室へ直行した。鬼人の少女ギンナは抱き枕の御務めも完璧に果たす。
「我の努力の成果を見よッ、そして屈服するのじゃ」
「ほほう、そう来たか!」
岩塊の幼女ゴーレムであるガイアっ娘はその体系をボテ腹にしてお湯を内包していた。たぷんたぷんと湯を満たして寝室の暖房代わりだ。これにはマキトもご満悦の様子に寝所では幼女まみれの生活である。
「きゃっ、ぬくぬくですぅ~◇」
「温まるぅ~」
そんな温く爛れた生活を続けると北辺の国バクタノルドを越えて工房都市ミナンへ到着した。食糧と燃料の補給に町へ立ち寄るとマキトは群衆に囲まれた。包囲には町の衛兵と見える者もいる。
「何かマズイ事でも、ありましたか?」
「いえ。マキト様には是非、神殿へお越し頂きたいのですッ」
「神殿って?…」
工房都市ミナンに神殿とは似つかわしくも無いが、以前にミナンの町へ滞在した時も神殿などは無かったと思う。新たな新興宗教でも発生したのか。衛兵の男の勢いに押されてマキトが案内された場所は水の神殿だった。
水の神殿には女神像が祭られて荘厳な造りは多額の建造費が充てられたと見える。立派な建物に新任と見える若い神殿長がマキトを出迎えた。
「マキト・クロホメロス名誉司祭様。よくぞお越し頂きまして、光栄に御座います」
「はて?、名誉司祭とは…」
若い神殿長が語るマキトの功績は、工房都市ミナンから輸出される泥炭ストーブの利益を水の神殿へ寄付した事と、その上に領主が信心深い人物で水の神殿の建設にも多額の支援をしたらしい。主神として祭られた女神像は町の住民の信仰も集めてモデルとなった水の神官アマリエは女神の扱いだ。その女神像を製作したのもマキトの手腕なので、この神殿の設立にも深く関わりがあった。
「…という訳で、クロホメロス卿には名誉司祭の役職と、水の神殿には奥の院までの出入りの自由が認められますッ」
「名誉を頂き、信仰の限りを尽くしましょう」
貰っておいて損にはなるまい。宗教対立に巻き込まれるのは勘弁して欲しいのだが、受け取りを拒否するのも角が立つだろう。
マキトは名誉職を受けた。
………
神殿の公式行事が済んでマキトは町へお忍びに出掛けた。すっかり有名人の扱いに慣れなくてマキトは誤解の呪印を刻んだ狐面を付けている。町は春祭りに沸いており獣の面を付けた子供の姿も多い。ひとりぐらい狐面を付けた大人がいても良いだろう。各家の軒先には梅だか桃だかの小枝が飾られている。
冬の風雪に耐えたミナンの町の住人にとっても春祭りは重要な節目だ。穴倉に籠った魔獣が起き出して猟を始め、開拓村の農民たちも畑に出て農作業を始めるのだ。
そんな祭の喧騒にマキトを呼び止める声があった。
「あん。マキトじゃねーかッ?」
「はっ、ズーラン親方!」
狐面に刻まれた誤解の呪印も、古い知り合いには効果が薄いらしい。ズーラン親方は普段の悪い顔色をしてマキトに語る。
「ジジイの行方が分かった。協力してくれねーか?」
「なんと!」
それはマキトの魔法を鍛えた師匠であるクリストファ神父の話だった。
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