ep215 慶事と矜持
ep215 慶事と矜持
開拓村の新市街に建設した水道は泉を中心として生活環境の改善をもたらした。水汲みの重労働も河川までの往復を考えれば半減だ。泉には水汲みの桶や瓶を抱えた住民が集まる。次第に町の中心となるだろう。
それでも町の中央通りを挟んだ東側の住民の水利は悪くて、僕は住宅地の中に残された緑地公園に井戸を掘った。河川からさほども離れていないこの土地では地下の砂礫層まで掘り進むと水が湧き出した。井戸水の清浄化までには時間がかかるが、根気強く水汲みすれば生活用水として利用できるハズだ。当初の濁り水は畑に散水する。
一方、製糖工房から排出された洗い水は砂糖キビの搾りかす等の栄養価を含み下水として流される。その用水路の終点には汚水処理施設として溜池を掘りスライムを大量に投入した。
僕は溜池をピチピチと泳ぐスライムを眺めた。
「はぁ…完成だ」
ひと通りに下水施設を完成しても気分は晴れない。僕らはいちから上水道も下水道も建設するが、数百年も前から上下水道とも完備した帝都の都市基盤には適わない。大昔に帝都を構想した設計士は、かなりの反則技だろう。
「いちど、帝都へ行くかなぁ…」
帝都の上下水道を見学するのは大いに都市整備の参考となるが、それにも増して懸案があった。サリアニア侯爵姫とその部下が、連日の夜討ち朝駆けに僕の寝室を襲撃する原因が判明した。どうやら、白砂糖の製法を狙っての諜報活動らしい。
それと同時にメルティナの妊娠が発覚した。やる事をやっていれば出来ちゃう慶事であるが、僕の気分は晴れない。
「人の親になる実感は湧かないよ…」
独りごちる僕に声をかける者があった。
「おんや、村長さん。黄昏ておるべぇ」
「っ!、ゴブオさん」
見ると扁平した蛙顔の温厚な子鬼であるゴブオさんが、農具を携えている。これでもゴブオさんは子鬼族の賢者で街の郊外に農園を構えている。僕は子鬼族の賢者ゴブオさんに相談してみた。
「女は怖いっぺ。手ぇ出したなら、大事にするべぇ」
「ふむふむ」
「手ぇ出してねぇ方は、上手くあしらうべっ」
「なるほど…」
子鬼族でも年長者の言は参考になる。
「それで、村長さんに見て貰いたい物があるべよぅ」
「…!?」
ゴブオさんの畑では赤い実を付けた夏野菜が最盛期を迎えていた。
「どうかねぇ?」
「これは、素晴らしい出来ですよッ……爆発しませんか?」
紅い実はトマトに似て危険な爆発の実と見える。
「爆発する物もあんが、この畑は大丈夫だべぇ」
「おおぉ~」
試験栽培に成功したらしい。
「人族は新鮮な野菜を買い求めるけんど、このぐらい…よく熟れて落ちたヤツが旨いべッ」
僕には子鬼族の嗜好と味覚は良く分からない。熟れ落ちた実は殆んど腐った様に見える。じゅるり。それを旨そうにゴブオさんは拾って食べる。
「熟れ落ちる前の物を屋敷へ納入して下さい」
「おぅ。助かるべぇ」
試験栽培した野菜は屋敷で全額に買い取る契約となっている。助かるのはお互い様と言うもの。
今晩はトマト料理になりそうだ。
………
僕は帝国領へ向かう事にした。タルタドフから帝国領へ入るには陸路にて東周りの街道を行くのが一般的だ。前回の訪問でも陸路に馬車を進めたが、その行程はイルムドフの王都を経由する。
ところが、最近はイルムドフの王都を支配する貴族議会とアアルルノルド帝国の関係が険悪で、開戦前夜かと見える緊張感がある。そのため両国を結ぶ船舶も交易を停止している有様だ。イルムドフの王都にはクロウ商会を拠点とした諜報網があり、潜入者に対策も完璧と言うが口ばかりの働きか。その方面の責任者に活をいれて啓蒙したい所だ。
やはり、行政の監督としてのメルティナ不在の影響が大きくイルムドフの社交界からの情報も途絶えている。早急な立て直しが求められる。そういう他国の事情から東周りの街道の通行は必要以上の危険が予想される。
タルタドフの領地とイルムドフの北部山岳地帯は例のグリフォンの一団が占拠して縄張りとしている。グリフォンの頭領となったファガンヌが居れば悠々と突破も可能だが、相変わらずの自由人…いや自由獣人の生活でタルタドフの領地に姿を見せない。
僕らは西回りに旅程を決めた。
タルタドフの領地から西の山岳を登ると失われた山の民の城郭がある。前回の温泉旅行でも世話になった定宿だ。
「がははは、マキト殿。ひと月ぶりかッ」
「宜しくお願いします」
山長のオジルスが出迎えるが、火炎の美女チルダは不在だ。何しろ故郷の御山の噴石騒動の後始末に追われているらしい。
「例の物が出来ているぜッ」
「ふむ…」
僕は前回の温泉旅行の帰りに依頼した品物を検分した。それは鉄製品に他の貴金属を一割程度も混入した合金で一様に剣の形をしている。混入する金属は様々にして魔法性能や剣としての耐久性から合金としての性質などを調査する基礎研究だ。
金属の精錬に長けた失われた山の民にも地味な基礎研究は希望する人材が無かった。僕はいくつかの試料を野ざらしにして旅を続けた。旅の伴はサリアニア侯爵姫とお付きの二人に河トロルの護衛を連れている。先ずは侯爵領を目指し問題のひとつを解決しよう。
失われた山の民の国内を通行する許可を得て、僕らは北へ進む。その土地は長大な山脈に囲まれた盆地で上空から見れば巨大な円周が見えるだろう。僕は自前の地図を確認して思う。…この盆地が山体であったなら相当に巨大な火山であろうと。
道中に尖塔が見えて来た。盆地の中央部にある城塞都市ガングの入口だ。サリアニア侯爵姫は尖塔の並びを見て率直な感想を漏らした。
「何を守っておるのかのぉ…」
「サリア様も、そう思いますか?」
尖塔には見張りの兵士が詰め弓矢と砲身を覗かせている。僕は城塞の様子に違和感を感じた。
ツトトトト。神鳥のピヨ子は駝鳥の形態で走る。幼児ならば背に乗せて走れそうだ。ガングの城塞では飛行して尖塔へ接近する者は問答無用に攻撃の対象となる。
ガングの顔役と呼ばれる太守は漂々とした老人で、象徴的にか砲身を背負っている。まさか武装して脅しの意味ではあるまい。
「ひょーぅ。これは、タルタドフの領主殿に侯爵姫殿下となッ」
「お初に、お目に掛かります。マキト・クロホメルスに御座います」
「サリアニア・シュペルタンである。…お手間をかける」
太守の歓迎は盛大でも無かったが、サリアニア侯爵姫は居心地が悪そうだ。早々に辞して客室へ引き揚げる。
「サリア様はどうか、されましたか?」
「いえ。姫様はご幼少の砌に……」
それ以上は追及も出来なかったが、宴に飽きて僕も自室へ引き揚げる。
自室に密偵が現われた。
「町の様子はどうか?」
「はっ、警備は厳重にしておりますがッ……町に火の魔石が不足している様子に御座います」
「ほほう…」
密偵の話では町の工房や尖塔の工事現場でも火の魔石が不足しており、高炉に使う魔晶石にも不自由している様子だ。ブラル山の噴石騒動がここまで影響を及ぼしたらしい。工房では火の魔石の不足は深刻な事態だろう。その影響下でも今なお続く城塞の拡張工事は中断されて槌音もまばらに少ない。
僕らはガングの苦境をよそに旅を続ける。
この盆地の北辺には巨大な城門があり、その先の街道はアアルルノルド帝国と北の三国へ通じる。城門の将は好戦的な顔の男で、僕らを仇敵かと睨み付けていたが、…
「げばっははは、ワンバン・ゴング・ミルヒルズであるッ」
「っ!」
サリアニア侯爵姫の姿を認めると相好を崩した。酒宴は盛大に行われて城門の兵士の慰労も兼ねている様子だ。何かと理由を付けて飲みたがるのは失われた山の民の悪癖か。
「げばっははは、ひとつ手合わせを願いたいものぞッ」
「急ぎの旅路ゆえに、お断わりを申し上げる」
やたらと響く豪快笑いにも屈せず、サリアニア侯爵姫の対応は冷たい。
「そこの、護衛殿でも良いがッ」
「うむ。良かろう」
「はっ!」
侯爵姫殿下のお許しもあり女騎士ジュリアが進み出た。既にビキニ鎧の露出サービスは終了して普段の冒険者の装備だ。…非常に残念に思う。
酒宴は突如として武闘会場へ変わる。宴席の中央部の料理を片付けると土俵と見える競技台があった。さすがの武門の城と僕はあきれる。
「はぁぁあああ!」
「ふんぬッ」
早速に裂帛の気合を発して女騎士ジュリアが打ち込んだ。ジュリアは身体強化して闘うスタイルと見える。城門の将ワンバンも手持ちの大盾で受け止める。
「せいゃ、せいや、せいゃ!」
「ふはははは、効かぬわッ」
今度は連撃にして大盾の隙を狙うが有効打も敵わない。城門の将ワンバンは守りに特化した戦闘スタイルの様で装備は二枚の大盾だ。器用に大盾を取り回して太刀打ちする。
「はぁぁあああッ!」
「ふんっ…【追撃】」
再び、ジュリアが打ち込んだ大技は、ワンバンの大盾に弾かれて何の反作用かジュリアの方が吹き飛んだ。
「くっ…」
「勝負あったなッ」
衝撃に剣を取り落とした女騎士ジュリアに大盾の先端を向ける。盾と言えども重量物にして鈍器の破壊力はあるだろう。ジュリアの完敗であった。
「げばっははは、飲め、呑めッ」
「…」
その後も城門の将ワンバンは上機嫌で酒宴は続いた。
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