ep202 火炎トカゲの洞窟
ep202 火炎トカゲの洞窟
容疑者の行商人の男から聞き出した情報では、定期的に問題の蒸気鍋を買い取る取引をしているそうだ。僕らは取引の現場に張り込み現われた若い男の後を尾行した。
河トロルの護衛ラウニルの知らせを受けて急行した現場は、山腹に口を開けた洞窟の様子である。捕り物の応援に駆け付けた火炎の女チルダが言う。
「火炎トカゲの洞窟じゃん」
「っ!?」
「ここらの洞窟は、御山の熱気を求めた火炎トカゲが巣を張るのさっ」
「…それは厄介ですねぇ」
観察を続けても洞窟へ入った男は出て来ない。この中に奴らの拠点があるならば、火炎トカゲは駆逐されているのだろうか。火炎の女チルダと相談した所で解決策も無くて、洞窟の周辺にはチルダの伝手である炎の傭兵団を動員して包囲網を形成している。
当然の様にチルダの発案で強硬突入となった。炎の傭兵団の精鋭と河トロルのリドナスが護衛を率いて突入するが、僕らは後から続いて戦果を見守るのみだ。
若い職人と見える男たちが拘束され引き連れられて来た。傷を負った者も多い。
「くっ、殺せッ!」
「君たちの処遇はブラアルの法と裁きに任せる」
「…」
「引っ立てよッ」
「はっ」
洞窟の中は温暖にしても熱気は感じられず、火炎トカゲが好む生息条件とは思えない。
「チルダさん。…どう思いますか?」
「火炎トカゲは熱気を求めて、洞窟の奥に潜ったか……別の餌場へ移った様子じゃん」
火炎トカゲの姿は無くとも生息の痕跡はあった。洞窟の拠点には鍛冶工房で使用する高炉の他にも製作道具が残されていたが、全ての火炎トカゲを駆逐した様子には思えない。討伐した火炎トカゲからは相当量の物資が回収できるので、彼らも洞窟暮らしに甘んじる事は無いだろう。
僕らは洞窟の拠点を撤収して帰還した。
………
そこはブラアルの町の上層区画にある高級宿だ。老舗を思わせる店構えに従業員の教育も行き届き、客層は豪商か貴族の子弟と見える者が多く利用している様子だ。この宿だけでも三つの露天風呂と多くの内風呂がある贅沢な造りだ。流石の高級宿に驚いているとメルティナお嬢様がマキトを誘う。
「マキト様。湯殿の準備が整いましてよ」
「うむ…」
ブラアルの名湯で疲れを癒すが良かろう。湯殿は露天風呂も含めて予約制にして貸し切りの時間らしい。若い河トロルたちが護衛の名目で湯殿へ突入する様子は修学旅行の学生を思わせる。…リドナスは引率の先生か。
この旅ではメルティナお嬢様を同伴しているのだが、当然の様に湯殿へ付き従うのは何を警戒してだろうか。
「マキト。遅かったじゃん」
「ち、チルダさん!」
あぁ、これを警戒していたのか…火炎の女チルダは褐色の肌を晒して温泉に浸かり寛いでいる。白濁した湯は硫黄の成分だろうか。
僕はメルティナに泡々と洗われる。やはり石鹸とシャンプーは現代人の必須アイテムだろう。精製した植物油から製造した石鹸には各種の花の香りを付けて差別化している。是非にでもタルタドフの領地の特産にしたい。
「おほぅ、いい匂い…くんくん」
「うむむ……」
火炎の女チルダが温泉の中で僕に近付き石鹸の香りを嗅ぐ。氷の魔女メルティナが反対側で僕の腕を引くも、勿論メルティナも同じ香りだ。
「お爺様の石鹸とは違う…花の香りじゃん」
「へぇ~」
「石鹸もブラアルの特産品なのよ…」
「なるほど」
チルダの話では石鹸の製造と販売は祖父の代から始められた様子で、民間に利用する洗いの実とは異なる。おそらく獣脂を精製した原料の石鹸だろうと思うが、製法を考案した者の素性が気になる。そのお爺様か周りの者が現代人だろうか。
そこへ逃亡者の捜索を終えた鬼人の少女ギンナが飛び込んで来た。
-DOBON-
「きゃっ、ギンナ!」
「あわわですぅ~」
「こらッ、子供とはいえ容赦しないわよッ」
「あたしも混ぜろ…」
メルティナが怒っても可愛い様子に、チルダも乱入したギンナを捕えて離さない。
「きゃふん。ですぅ~」
「このこのこッ」
「あたしに任せなさいぃ」
「あははは…」
チルダも楽しそうで何よりの気分転換だろうと思う。
僕は湯殿の狂騒を眺めるばかりだ。
◆◇◇◆◇
洞窟の拠点を制圧して容疑者も全て捕えたらしく、製造途中に問題の蒸気鍋をも押収してこの事件は解決を見た。犯人とその幇助をした行商人は奴隷の首輪付きに強制労働の刑期となるそうだ。僕もブラアルの法と裁きには介入できない。
鍛冶の男スミノスが礼を述べる。
「よぉ、兄弟! 助かったぜ」
「これでも……商売繁盛とは、いかないでしょう」
僕は懸案を述べる。
「ぐぬぬっ…」
「粗悪とはいえ、蒸気鍋の模造品は良く出来ていましたよ」
押収した問題の蒸気鍋は完成品に近く弁の改善も独自に行われて、性能面でも本物が脅かされる時期は近いと思える。今の商売のやり方では販売も行き詰るだろう。
それはスミノスも承知の懸案らしく、他の商会からも正規の蒸気鍋に近い製品が発売されている。今ではスミノスの刻印に先行した高品質と信頼のイメージだけの優位しかない。
「新しい製品を製造しませんか?」
「それはッ!?」
僕は鍛冶の男スミノスへ新たな提案をした。
………
カンカンカーン。金属を打つ鍛冶の音がする。金属管を製作し表面を鍍金加工して腐食に耐える性能を実現するのだ。
鍍金は繊細な技術だ。鉄製品は亜鉛を溶かした溶液に浸けて表面に亜鉛を付着し数マイクロメートルの被膜を作る。本格的には電気を通してイオン化も利用するのだが、この世界では魔法に頼る事になる。
「粉末操作の【蒸着】から…液体操作の【鍍金】」
僕は派生した加工魔法で鉄製品へ亜鉛を塗布する。塗料でもあれば…壁画の作成が可能だろう。
そんな余計な空想をしつつも加工を進めた。
僕が鍛冶の男スミノスへ提案したのは巨大な湯沸かし器である。主に風呂釜として利用する。ここブラアルの温泉は源泉を所有する上層区の独占であり、中層区にある公共浴場も領主の経営する施設だ。入浴の料金は抑えられているが、自由に浴場を建設する方法は無い。
そこでブラアルにある鍛冶の技術と火の魔石の産地を生かして巨大な湯沸かし器を作成するのだ。
「この湯沸かし器を設置すれば、湯殿が建設できます」
「ほうほう…」
「ブラアルに限らずとも貴族の邸宅や旅の宿でも重宝すると思いますよッ」
「おぉぉっ!」
スミノス商会は湯沸かし器の営業販売を始めた。
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