ep197 領主は留守で元気かい
ep197 領主は留守で元気かい
その兎娘は白黒の混ざり髪にカチューシャに似た頭輪を付けており巫女の装束だろうか。霧の巫女レイナ・カタニナプルは歴代の襲名で第十八代となるが、200年を超える歴史があるらしい。僕らが霧の隘路で出会った兎娘カタニナプルはご先祖の巫女だと言う。
霧の巫女レイナ・カタニナプルが要求を述べる。
「我が一族の繁栄の為、ご領主殿とは友誼を結びたい…」
「はい。望むところです」
僕は命の恩人とも言える兎族の要求を受け入れた。
「それで、イルムドフの王都には?」
「そう急くでないッ」
メイド姿のスーンシアが珍しく差し出ぐちを挟むが、サリアニア侯爵姫は事態を見守る姿勢だ。
「歴代の怨恨により、我らは帝国と呼ばれる人族と戦っています」
「直ちには一族の怨恨を晴らす事は出来ぬッか……」
静かに頷くカタニナプルはご先祖とよく似た髪質に白髪を結っている。
「タルタドフには獣人も多いですし、交易も可能でしょう」
「両部族の友好に期待するものぞ」
「はっ」
僕らは兎族との会談を終えた。
◆◇◇◆◇
タルタドフの領地には領主であるマキトの無事が知らされた。マキトは数日の予定で帝国軍の駐屯地へ停戦交渉に出掛けたものの、その後の消息が途絶えて生存も危ぶまれていた。既にひと月が経過していたのだ。
「マキト様のご無事を確認したのですね?」
「はい。間違いありません」
氷の魔女メルティナは政務官の顔で報告内容を確認した。
「そう。政務の滞りは無くても、帝国との腹の探り合いには辟易していたのよ」
「マキト様がご健在な姿を見せれば、帝国の介入も治まるでしょう」
「それならば、良いのだけど……」
メルティナお嬢様の表情は晴れなかった。
………
マキトが領地を留守にしている間はメルティナお嬢様が領主代行として政務を取り仕切り問題解決に当っていたが、過不足も無くて堅実な領地運営と言える。
それでもイルムドフの王都で開催される貴族議会には代理人を派遣する必要があった。近隣領主との外交を考慮すると生半可な人物には任せられない。その議員代理としては水の神官アマリエが派遣された。
元々は開拓村への布教と教会を建設するため滞在していた水の神官アマリエだが、本人の希望もあり議員代理を務めている。
「これは、アンネローゼ孫公女殿下。ご機嫌も麗しく…」
「良い。他人行儀はよせッ」
水の神官アマリエが孫公女殿下のご機嫌を伺いに挨拶する。代理とはいえ貴族議会へ水の神官を派遣するとは、タルタドフの領主も大胆な者よ。背後には水の神殿の協力があると宣伝している事と同義だ。
「はい。アンネローゼ様」
「それで、マキト殿のご病状は如何かな?」
公式にタルタドフの領主であるマキト・クロホメロス男爵は、ひと月前の暗殺未遂事件の負傷が元で病床に臥せっている。
「既に全快も近く、本人は寝室で退屈しております」
「はぁ、それでは奥方も大変でしょうね」
「おほほほ、奥の苦労など幸せのひとつですわ」
「まぁ、ほほほ…」
貴族のご婦人の会話を空々しくこなすのも代理人の務めだ。
◆◇◇◆◇
地方の町にしては頑丈な城門を抜けると見慣れた街角があった。山賊の砦でもなく帝国軍の城塞でもなくてユミルフの町だ。僕は帰還の途中にユミルフに建設した新たな施設を視察した。
その施設には収穫した茶葉を洗い加工して長期間の醗酵と保存を行う蔵と作業場があった。特産とする産業も無かった山岳部にお茶の樹を植えて栽培を行い、ユミルフの町で加工するのだ。
「こちらが、醗酵過程となります」
「ほほう」
食品加工の職人の案内で施設を見学する。
「保存蔵は殺菌と消毒をして品質には気を配っております」
「うむ。菌種の選別は?」
僕は懸案を尋ねた。
「はい。ポポロネア様のご協力もあり、順調でございます」
「なるほど…」
ポポロネアは森の妖精族にしてトルメリア王国の学院で菌類の研究をする研究者だ。学生時からの旧知の仲である。茶葉の醗酵施設では試験的に仕込みを始めており、近々の試飲が期待できる。
僕は上機嫌でタルタドフの屋敷へ向かった。
………
開拓村は特別な土地だ。僕らが荒地の開拓から始めて発展を見ている事もあり、南の荒地へと居住地域を広げている。もはや、町と言っても過言ではない規模だ。
その開拓村の北門で、僕らは大勢の河トロルたちの出迎えを受けた。
「「「…ゲロ、ケロ、ケロロ♪、クワッ…」」」
「っ!」
村には若い河トロルが多くて、人族の言葉に不自由な物も多い。学校教育の充実が望まれる。
「主様、無事なご帰還を お慶び申し上げマス♪」
「ご苦労ッ。リドナス」
珍しく平伏した河トロルの戦士リドナスが口上を述べた。無事な帰還こそが何よりの収穫だろう。
「此度の失態に 腹を切って お詫び致しマス♪」
「はっ、待てッ」
自刃する様子を見せたリドナスへ斬撃が飛ぶ。
-ZABshu-
サリアニア侯爵姫の風の斬撃が抜き打ちも早くてリドナスの刃物を弾く。
「くっ…」
「失態と言うならば、今後の働きで取り戻すが良いッ」
「…」
リドナスは言葉も無く項垂れるばかりだ。事情を尋ねるとリドナスは河トロルの戦士を老いも若きも総動員して僕らを捜索していたと言う。もうひとり霧の中で逸れた女騎士のジュリアは、…
「姫様。ご無事で何よりです」
「心配をかけた。早速に風呂と宴の準備をせよッ」
サリアニア侯爵姫が命じるのも予想していたか、女騎士のジュリアの応えも明確だ。
「はっ、整えてございます!」
「うむ。上々である」
お付きの騎士として仕えた年季の差だろう、どちらの顔も晴れやかな表情だった。
僕らは、ほぼ二か月ぶりに屋敷へ帰還したのだ。
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