ep175 南海航路に散る
ep175 南海航路に散る
僕は帝国の武装商船リンデンバーク号の船上で太陽観測をしていた。トルメリアから大洋を南下してプラティバ皇国へ至る南海航路は平穏に見えても危険な航路だ。
航路の西側は巨大な海獣が住まう魔の領域で接近する海獣の監視に神経を使う。また、東側は未帰還領域と呼ばれ未だ、無事に帰還した船舶は無い。おそらく魔の領域と同様に海獣が生息する海域だろう。
「そういえば、リンデンバルクって侯爵閣下の領地ですよねぇ」
「ほう、今頃に気付いたのか。叔父上の土地よ」
さも当然とサリアニア侯爵姫は答えた。護衛の女騎士ジュリアが日傘を掲げて続く。
「姫様。この辺りで、よろしいでしょうか?」
「うむ」
展望デッキに用意されたテーブルでは、お付きの女中スーンシアがお茶の準備をしている。
「お嬢様。準備万端にございます」
「ご苦労ッ」
サリアニア侯爵姫が目顔で示すので僕も同席を許された。ご令嬢のお相手も仕事の内か。
-FhsRrrrr-
水飛沫が吹き上がる音に警戒すると、海上に海獣マオヌウの巨体が見えた。途端に甲板上が騒がしくなる。
「砲撃用意ッ ……放て!」
-BOMF-
-BOMF BOMF-
続けて放たれるのは海獣マオヌウが好む餌を団子にした砲弾だ。撒き餌をして海獣マオヌウの進路を避ける算段である。
南海航路の交易はプラティバ皇国の商船が独占状態であったが、事前に情報を収集して航海に役立てている。アアルルノルド帝国の武装商船が南海航路を行くのは挑戦的と言える。それでも帝国軍の航海士は優秀と見えた。
………
僕が日課の太陽観測をしていると、羅針盤に異変が察知された。今まで北を示していた磁極が東の方位を指している。
「船長! 大変ですっ」
「これはクロホメロス卿。何か問題でも…」
羅針盤の異変を見ても船長は動揺を見せず冷静に指示を発した。流石に帝国海軍の提督である。
「航海士は進路を確認。見張りを増員せよッ」
「「 はっ 」」
水夫と見える帝国軍の兵士が甲板で働く様子は、並の武装商船よりも良く訓練されている。
「報告、風向きと進路は南へ……問題ありません」
「…洋上に、敵影なし!」
「現在位置を算定、…若干…東へ流されております」
太陽高度と月の位置を観測して船の現在位置を算定すると、予定よりも東の海上を南下していた。船は「未帰還の海域」を航海しているらしい。
-GYgyyy-
不意に船が軋み方向を転じた。
「馬鹿ものッ 操舵を戻せ!」
「舵は正常、……潮の流れですッ」
海は晴天の様子だが、船は海流に流されて翻弄されている。
帝国の武装商船と言えども動力は帆に受けた風力と人力の櫂だ。補助に使う風の魔法にも限度がある。甲板では帆の張り直しに船員が努力している。
なんとか船首を安定させるも東へ流れる海流は勢いを増している。
「前方に、大渦ありッ」
「なにぃ!」
見張り台からの報告に船室も騒がしくなる。僕らに出来る事は水夫たちの働きを邪魔せず見守るのみだ。
辛くも大渦を回避した船は南西へ進路を変更した。
◆◇◇◆◇
タルタドフの領地を預かるメルティナお嬢様は新型の焼き窯を手に入れて火加減の苦手を克服した。今ではメルティナが自ら作るパウンドケーキがイルムドフの社交界でも人気の持て成しとなった。
「これは、伯爵夫人。新作の林檎ケーキはいかがですか?」
「まあ、素晴らしい出来映えですこと」
新作の林檎ケーキは好評の様子だ。この季節に林檎は珍しいが、氷室に保存した物だろうか。
「おほほ、当家の粗茶もご賞味くださいませ」
「ええ、頂くわ」
このお茶は密かにタルタドフの領地の特産にしようと研究をしている。
「おほほほ…」
「うふふ、この林檎は酒漬けかしら?」
「はい。さすがは伯爵夫人。よく御存じですね……これッ」
「!…」
メルティナが合図するとガラス容器に満たされた林檎の酒漬けが運ばれた。それは見事に透明なガラス容器で蓋には魔方陣が刻まれている。
「このガラス瓶は領地の特産となります。蓋には保存の魔方陣が刻まれており…」
説明を聞くまでもなく素晴らしい製品だと分かる。新鮮な林檎の風味が閉じ込められて並の酒漬けとは異なる味わいだ。それだけでも領地の技術力の高さが窺われる。
「メルティナ。良い物を見せて頂きました」
「はい。今後とも、よろしくお願いします」
伯爵夫人は近隣領地の関係だけではなく、タルタドフの特産品を購入してくれる得意先だ。
良好な関係は両家ともに望ましい。
◆◇◇◆◇
僕は太陽高度を観測して海図の空白に印を付けた「未帰還の海域」は大きく空白となっている。月の高度と方位も合わせると、…
「…この付近を航海中と思われます」
「うむ、海流の速さは、相当であるか……」
航海士が観測した結果も大きくは僕の予想を外れていない。航海士が報告を続ける。
「この海域は西から東への海流の影響もあり…」
流れの速さが異なる海流をいくつか越えて南下したが、いづれも東へ大きく流された。風を味方にすれば西へ転進するのも可能だろうか。
数日も西へ進んでみたが、結果は前進しなかった。諦めて北か南へ海流を抜けるのも方法だろう。
そういう思いもあったが、数日ぶりに小島が見えた。
「島が見えるぞッ!」
海上に浮かぶ小島は平坦な地形で桟橋と見える岸壁があった。しかし、桟橋にも港にも人影は無い。
「誰かいるか~?」
明らかに人工物と分かる岸壁は木造の様で海藻が生えている。その時、港の物陰から武装した兵士と見える軍勢が現われた。移動型の砲身を引き出してこちらへ向ける。
「待て、待てッ、我々に敵対する意図は無い!」
「!…」
船先で必死の交渉を続ける副長は、身振り手振りで訴えるが先方へ通じたろうか。
副長は交渉力を発揮して島への上陸を果たした。
………
島への上陸は医薬品の提供を交換条件として許された。尤も僕らの寄港目的は食糧やその他の補給物資の調達と海域の情報収集であったが、それ以前に島民の顔色も悪くて疫病かと驚いた。
この島はモエウ島と言うらしいが、驚く事に島全体が浮き船で緑の草木と見えるのは僅かな畑の作物らしい。島の中心には巨大な生簀があると言う。
副長らは村長の屋敷を尋ねた。内装は操舵室の様だ。
「わしらは、この海域からの脱出を諦めた者じゃ…」
言葉少なに語る村長に覇気は無い。
「村長。この辺りの海について教えてくれッ」
「それは、対価次第じゃのぉ」
「むっ、仕方あるまい」
「ほっほっほ…」
情報の対価に酒樽を付けると、村長は饒舌に付近の海域の話を始めた。それによるとモエウ島の周囲は東西と南北の海流に囲まれて脱出は不可能と言う。
「…この島へ戻った者の他は行方も知れず、もしや脱出経路があるやも知れぬのぉ」
副長らは海域の情報を集めた。
僕らはモエウ島の市場と思える繁華街を散策する。
「なんじゃ、顔色が悪い様子に……」
「姫様ッ、離れて下さい!」
物好きにも上陸したサリアニア侯爵姫を庇って女騎士ジュリアが前面に立つ。いずれの住民も顔色が悪くて疫病が疑われる。…島では栄養が不足しているのではないか。
「珍妙な髪形であるなッ」
「南方の海洋民族の風習でしょうか…」
集落で見かける女たちはカリアゲ風に髪を詰めた者が多い。長髪を蓄えた者も見えるので全てが風習とも思えない。
市場の買い物には物々交換として蜜柑の酒漬けを樽で提示した。酒類は貴重な物資だろう。代わりに大量の魚肉を手に入れたが、魚の干物にでもするか。
僕らはモエウ島を出港して脱出航路を求めた。
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