ep153 信賞必罰の行方
ep153 信賞必罰の行方
霧の国イルムドフの王都は戦勝祝いと秋の収穫祭を重ねて大忙しとなった。貴族は戦勝を祝い市民は収穫を祭る。
イルムドフの議会は僕らタルタドフ勢に対しての褒章として領地の租税の減免と近隣にあるユミルフの町の領有権を提示した。しかし、アアルルノルド帝国から任命された騎士爵でしかない領主身分の僕としては、いち地方の貴族議会から領地を譲られて浮かれる訳にはいかない。という事でユミルフの町の領有は丁重にお断りしたのだが、付随してイルムドフの議会への参加を要請された。…これは何の罰ゲームだろうか。
帝国からの援軍として活躍し防衛戦に協力した軍監トゥーリマン少佐は堅実な指揮を評価されて帝国の本国へ栄転した。イルムドフの革命軍は議会の承認と市民の支持を得て正式にイルムドフ軍が発足するとの布告だ。各地の防衛隊も組織変更があるだろう。タルタドフとユミルフの町から防衛戦に参加した義勇軍にはイルムドフの議会から報奨金が配られたが、契約した傭兵の報酬には不足のため秋の収穫物を売り払って代金とした。
その後に遅れてタルタドフへ到着した帝国の特使はタルタドフ及びクロホメロス卿が領有する開拓村に対する租税の減免措置と岩オーガ族の市民権と河トロル族の自治権を認めた。租税に関しては今回の戦費を考えると妥当な措置だろう。特に帝国領の防衛に寄与した訳ではないが、岩オーガ族と河トロル族の優遇措置が発布されたのは画期的な政策だった。グリフォンの英雄マキトが河トロルの従者を連れている事も知られているのだろう。
帝国の特使が退出した後に、サリアニア・シュペルタン侯爵姫が僕に囁いた。
「おぬし、帝国への反逆罪に問われる所であったぞ」
「はっ、反逆罪!?」
僕は思わぬ罪状に驚くが、
「イルムドフの地方議会から領地を貰うなど、反逆の意図しか考えられぬッ」
「ひっ……」
意外と危ない状況らしい。
「侯爵家が付いておれば、問題にすらならん」
「うーむ」
貴族社会の荒波は僕の心の平穏を侵食している。
………
トルメリア王国の諸侯軍は惨敗して帰還した。王国の御前会議は紛糾して責任者は血祭りに上げられる。多くの将兵を失った総司令官ウルバルト・モービデル・デハント侯爵は将軍職を辞して領地へ引き篭り病に伏せった。既に戦死した者も多いが司令部の主だった将校は降格して左遷または閑職へ移動した。責任者として首を刎ねても喜ぶのは敵国のみである。
北伐遠征の諸侯軍へ参加した貴族の多くは二男や三男の末席の貴族であり、戦功があれば出世も可能であるが負け戦を称賛される者は無かった。最後まで撤退戦の指揮を執った若き参謀ストックス大佐は伯爵子を廃嫡とされて無爵位の部屋住に転落したらしい。帰国後も白銀の騎士で狂犬と呼ばれるリナリア・フジストルの消息は噂もない。…むしろ、厄介払いに感謝する者もいる始末だ。
大事な収穫の時期に農業従事者としての男手を兵士に取られて、農民は女も子供も農地へ繰り出して収穫作業を終えた。今年の収穫祭はささやかな行事となるだろう。…帰らぬ兵士のご冥福を祈る。
そうして数か月ぶりに王都トルメリアの港町を訪れた僕は、町の雰囲気の変わり様に驚いた。人通りの減った街路を抜けて市場に向かうと新しい商店が目に付いた。
「カルオ節と海鮮スープの店って……」
「へい、らっしゃい!」
そこは市場の外れにあるクラントさんの干物屋のハズだが、威勢の良い店員に促されて店内を見ると店主と見える男が汗を流してスープを配膳していた。
「あっ、兄弟子!」
「おうよ!って……マキトさん。ご無沙汰しております」
元は魔道具の職人から商人に転職したクラントの姿があった。カルオ節を扱う干物屋は海鮮スープの専門店に改装されていた。クラントの話を聞くとカルオ節を諸侯軍の補給品として納品して大儲けしたらしい。
「それが、海鮮スープですか?」
「味見しておくれッ」
それは鰹節に似たカルオという魚を乾物にして独自の製法で熟成させた出汁を使うスープだ。さらに魚介から取ったコクを加えてトップに鮮魚の切り身を乗せると余熱で身が絞まる。残暑の暑さにも負けず旨味が凝縮された味わいだ。
「ほおおぉ……これは、麺が欲しくなりますねッ」
「メン?」
僕は小麦で作った麺の話をした。後は料理人の創意工夫に任せたい。
………
港の倉庫街にあるアルトレイ商会を訪ねると、美中年のキアヌ商会長が現われた。
「おやあ、マキト君。遺跡の調査は終わったのかね!」
「ええ、無事にオー教授を保護しました」
戦争特需で大儲けしたらしくご機嫌な様子だが、
「それは良かった。じゃないかね」
「はぁ」
キアヌ商会長は頭痛の素振りを見せて言う。
「店がこの有様では、頭が痛いッ」
「…何か、景気が悪そうですねぇ」
アルトレイ商会の店舗は倉庫を改装した大型店舗だが、それでも以前の賑わいは見えない。
「何か、新製品の設計を頼みたいのだがね」
「うーむ」
僕は構想を図面にしてアルトレイ商会へ依頼した。以前に手がけた加熱と氷の魔道具の販売権で得た資金を開発費として投資する。
………
クラントさんの乾物店で仕入れたカルオ節で出汁を取り上品な卵プリンに仕上げた。乾物店は町の職人通りへ移転しており、店の向かいにはカルオ節を削る鉋を売る金物店もある。
お土産の品物を持って、港から山の手の方へ向かい私立工芸学舎の門をくぐった。既に今季の受講登録には遅れていたが、領地経営と外交政策について学びたい。今回のトルメリア王国の北伐遠征は突然の事に見えるが、以前から両国の関係には対立があり、戦の兆候はあった。領主としては外交政策を学び近隣諸国の情報を集める事も必要だろう。…諜報機関の設置が必要か。
学舎の研究室は閉鎖されていたがオー教授も、ちみっ子のチリコ教授も帰国して自宅に静養しているとの事だ。何やら、突然に老教授に訪れた春に周囲も本人も戸惑う様子だという…お相手はちみっ子教授か…絵面は、お爺ちゃんにお年玉をねだる孫にしか見えないだろう。
僕が森の妖精ポポロへ預けた研究室は菌類が繁茂して大変な事になっていた。
「なんじゃ、こりゃぁぁあ!」
「お帰りなさいませ、マキトさん」
早速にポポロが出迎えた。白衣を着て茸を採取している。研究室の栽培棚は茸に溢れて原型も見えない。
「これは、何かな?」
「魔力で促進栽培した魔茸です」
キリッと研究者の顔でいうが、その種類は膨大で毒性のありそうな派手な傘も多い。
「ッ……」
「薬効の抽出と実験も順調ですっチャ」
どうやら、森の妖精ポポロの植物栽培の魔法は菌類の方向へ進化したと見える。
「じゃあ、これはどうかな?」
「はうぅぅ、お宝ですっチャ!」
僕は魔境の湿地で発見したレア物のお土産を贈呈した。
………
トルメリア王国で僕がタルタドフの領主に任命された事を知る者はいない。直接に剣を交えた事はないが、対立する二国に挟まれて敵対するのは危険な事と思う。それでも開拓村の村長と呼ばれる事もあり、機密の漏えいには細心の注意が必要だ。
学生活動を支援する団体棟にある砲術部の拠点を訪ねると、部員の女子たちが練習もせずに呆けていた。
「あぁー、部長も戻って来ませんしぃ、本日の練習会は解散でよろしいですか?」
「はーい」
「異議なしですぅ~」
僕は部室の扉の前で立ち竦む
「…お姉さまの、ご病状が心配ですわ…」
「…ご実家で静養なさるとか、無事に帰還したと言うけれど…」
「…手柄が無くても生きて帰れば、儲け物ですよねぇ…」
午後の女子会に顔を見せるのは躊躇われた。彼女らのお喋りを聞くと、砲術部の代表である彩色のオレイニアも北部討伐に参加していたらしい。軍船で砲撃の予備兵をしていたらしいが、無事に帰ったのなら何よりだ。但し他の部員は行方不明の者もいるという部の雰囲気は暗かった。
僕は扉の前で回れ右をして立ち去った。
………
山の手から下町までいくつかの施設がある水の神殿へ僕は立ち寄った。
「お供えに、このプリンを捧げます」
「ほほう、信心の深いお方です……失礼ですが、マキト様ではありませんか?」
神職と見える僧に呼び止められた。
「はい」
「神官長が参りますので、こちらへお越しください」
とても貴賓の扱いに僕が恐縮していると水の神殿を統括する神官長が現われた。
「マキトさん、久方ぶりでございます」
「こ、これはっ…神官長様」
神官長はいつもの水で作った車椅子に乗り、老婆のご尊顔と少女の声音で問うた。
「ご領地の経営にもご活躍のようねッ」
「はっ、お蔭さまで……」
既にバレてーら。これは、ヤバイ案件の匂いだろう。
「マキトさんのご領地での布教活動を認めて頂けますでしょうか?」
「それは、……後日の回答でも良いですか?」
布教の意図については不明だが、
「ええっ、当然ですわ。良き答えをお待ちしております」
「…はい」
僕は取り急ぎタルタドフの領地へ戻り相談したい。
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