ep148 諸侯軍の渡河作戦
ep148 諸侯軍の渡河作戦
僕は河トロルたちの避難所を訪れて食糧や薬を配り、タルタドフの開拓村への移送を進めていた。避難所には集落を失った湖氏族の者や逃げ延びた沼諸族の者が合流している。集落を焼き討ちした部隊は守備兵を残して東へ進軍したらしい。開拓村では行政官として氷の魔女メルティナが避難民の受け入れを準備している手筈だ。
避難所から廻り河トロルの戦士たちが終結する湿原を尋ねた。背の高い葦よしの生い茂る草原は格好の隠れ家だろう。湿原には低木林の他に目に付く木立も少ない。付近を流れる大河は湾曲して内側の対岸にはトルメリア王国の諸侯軍が野営地を構えている。大河のその辺りは浅瀬で渡河には好都合と見える。
しかし、大河を渡り北の対岸へ近付くと大河の支流を交えて水量が増し深瀬と変わる。この大河を渡るには河トロル程の泳ぎが達者でなければ、小舟か筏を用意する必要があるだろう。付近の湿原には筏に適した木立も少なく渡河の準備にも苦労しそうだ。
それでもトルメリア王国の諸侯軍の渡河作戦が始まるとの知らせを受けて、河トロルたちは対岸に潜伏して待機している。諸侯軍に潜入したオーロラは上手くやっているらしい。少しずつでも内部情報を拾って伝えて来るのだ。
「まだ、人族に 動きは アリマセン♪」
「辛抱強く待つしか、あるまい」
河トロルの斥候からの報告をリドナスが通訳して伝えた。軍事参謀となったサリアニア・シュペルタン侯爵姫は本陣で待機の構えだ。
「サリア様、大丈夫ですかね?」
「川の中では、河トロルたちが断然に有利。こちら側に引き寄せても、各個撃破の的である」
力強く頷くサリアニアは小柄な見た目にも関わらず頼もしい。諸侯軍が渡河する途中に河トロルたちが襲撃する作戦には川中族と川口族も参戦の連絡を付けた。敵に奇襲を察知される事は避けたい。
渡河作戦は魔境の湿原を横断する要所だ。
◆◇◇◆◇
トルメリア王国の諸侯軍では渡河作戦が開始された。作戦の準備段階では海岸線の岩礁地帯を避けて沖合を廻った軍船と合流し、海岸に補給物資を積み上げた。そこは大河に運ばれた泥が堆積して河口付近に遠浅の海を形成している。小舟に積んだ補給物資を降ろすと代わりに諸侯軍の兵士が乗り込んだ。軍船も商船も小舟を動員して上陸作戦を行うのだ。
「各隊、船を出せッ 上陸開始!」
「「「 おおぅ! 」」」
小舟に乗り込んだ先発隊の兵士が歓声をあげる。最初に異変に気付いたのは河口付近に生息する鼠族だった。
「ヂュー、チジュチュッ!」
「「 チュッ! 」」
海岸線で鼠族の反撃を受けた諸侯軍は即座に大盾と槍兵とを並べて隊列を組んだ。鼠族の散発的な反抗を弾き返す。
「砲撃、はじめ!」
「火と水と風の祭ろう…【砲撃】」
-DOPAN BOPAN ZPAN!-
軍船から支援の砲撃が上陸部隊の前方へ着弾した。
「砲撃、前へ進めてぇ 撃て!」
「先頭に打ち出せ…【発砲】」
「水を少々と火炎の…【砲撃】」
「火と水と風の祭ろう…【砲撃】」
-DOPAN BOPAN ZPAN!-
海岸から僅かに群生した草原も湿原も砲弾の雨に晒された。砂が抉れ、泥が弾け、草が焼ける。
こうして海岸線への上陸は成功した。
………
軍船には砲撃の見習い兼予備兵力として学生兵が乗り組んでいた。彩色のオレイニアは初めての実戦へ参加した感慨に思う。
「あの海岸の先に敵がいるなんて、信じられないわ」
「敵と言っても魔物の類だ。気にする物ではないよ」
指導教官にあたる下士官が、初陣の学生兵を気遣う。
「そうは言うけどね……」
「我らの務めは、確実に味方を援護する事さッ」
オレイニアの砲撃の腕は確かな物で、軍船の正規兵にも見劣りしない。オレイニアが北部征伐へ志願したのも理由があるのだろう。
………
海岸線には防衛陣地と新たな補給所が設置されていた。小舟は休み無しに対岸から兵員を運んでいる。渡河には時間がかかりそうだ。トルメリア王国の諸侯軍は鼠族を圧倒したが、時間との戦いに大忙しで渡河作戦を進めた。海上では嵐の到来が予想されて波が高く荒れ模様となっている。商船は早めに積荷を降ろして沖合へ避難する必要があるだろう。遠浅の海岸線へ乗り上げては砲撃自慢の軍船も役には立たないのだから、早急な退避が求められた。
「じゃ、後は任せるぜッ」
「これまで助かった。感謝を申し上げる。航海に心されよ」
髭面の海軍提督はちょい美形の参謀士官に別れを告げた。補給物資の陸揚げは半ばにして沖合へ退避するつもりだ。
「高波に備えて、陣地をすすめるぞッ」
「はっ!」
嵐にも油断は無いらしい。
………
トルメリア王国の諸侯軍の後方にある防衛陣地では奇妙な噂が流れていた。それは初戦で負傷して後方に下がった筈の狂犬リナの姿を前線で目撃したとの噂だ。既に傷病による戦線離脱を申し出て狂犬リナも本国へ帰還したと言う。
「その狂犬リナ様が、前線の兵士に茶を振る舞ったとか……」
「ひっ、幽霊か!?」
初戦で暴れて以来に姿を見せない狂犬リナリアは死んだか、余程の重傷と思われている。末端の貴族でも治療魔法ぐらいは用意しているだろう。
「いや、魔界転生して幽霊に成るとしても、あのリナリア様が平民の兵士を労うなど、ありえぬ」
「ぐっ……偽物か」
本人が余程の病状にあるか、戦線への復帰を拒むなら考えられるのは、貴族の我ままか。
「傷病に倒れて、気が狂う事は……あるかも知れぬ」
「気味の悪い話だなッ、おぃ」
夜間の見張りに立つ同僚が目を剥いて凍り付いた。
「むっ、何だ!」
「ひぃぃぃぃ、ぎゃーぁぁぁあ」
白銀の鎧を着けて遠目にも空中を飛ぶ、狂犬リナリアの姿が見えた。
絶叫を残して夜警の兵士は逃げ出した。
………
夜半を過ぎて風雨が激しく吹き付け嵐となった。海岸線には逃げ込む入り江や港も無くて、艦隊は岩礁と浅瀬を避けて沖合へ退避した。
ぎぎぃい、と船体を軋ませて軍船が傾く。荒れた海では弾薬を船倉に抱えた軍船よりも空舟の商船の方が危ない。大波の上下動に揉まれて船体を傾ける商船が相次いで、船乗りたちは必至の対応に追われている。
「おらー、お前たちッ、海の男の意地を見せやがれ!」
「「 おおぅ! 」」
この季節の嵐は南方の海から吹きつけて、西方の山に衝突し北国へ風雨を運ぶ大自然の驚異だ。
「船を守れッ、綱を引けぇー」
「おうっぷ…」
高波が船を襲うが、訓練された海兵たちは勇敢に奮戦した。
◆◇◇◆◇
嵐の晩に僕は開拓地へ戻り決戦の準備をしていた。この天候では渡河作戦も中断されるだろう。開拓地の鍛冶工房では火か焚かれて夜通しに準備が進められている。
サリアニア侯爵姫は河トロルの本陣で不測の事態に備えて待機している。後は河トロルのリドナスが上手く運んでくれるだろう。サリアニアのお付きの女中スーンシアには屋敷の獣人メイドの戦闘訓練を任せている。いざとなったら戦闘にも参加する心積もりらしく気合の入った訓練をした。今は領地の周辺警護にも参加しているそうだ。
もう一人お付きの女騎士ジュリアは僕が姫様の傍にいるだけで険悪となるので、サリアニア侯爵姫の護衛に残した。何と言っても姫様の傍を離れる事は無いだろう。…忠犬め。
「岩オーガ族のハボハボ様が、ご到着なさいました」
「ありがとう。スーンシア」
ぴりっ、と静電気が飛んで僕は狼狽える。女中姿のスーンシアは表面上にこやかでも本心は打ち解けないらしい。
岩オーガ族のハボハボには土木用のショベルを大型化した、大ショベルを用意した。得物を担いで開拓村を出立した他の岩オーガたちにも土木用の獲物を配布している。
「じゃ、頼むよ」
「任せるッで、ゴンス」
僕は見送りもそこそこに次の製作を行う。
夜明けまでには時間がある。
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