ep143 廃棄された山小屋
ep143 廃棄された山小屋
ゲフルノルドの王都にある奴隷商人シュタットガルト伯爵の屋敷から逃げ出した僕は、王都の東と見える森に不時着した。精霊核から解放された西風の精霊は貿易風と名乗った。西風の貿易風は幼女の姿で爺の様な話し振りだが、魔力を使い果たした様子に今は手乗りサイズに縮んでいた。
「…ワシの魔力では、ここまでが限界じゃよ…」
「これだけ、王都から離れれば十分さッ」
それでも、ひと時程の飛行でかなりの距離だ。北に見える三連山は飛竜山地だろう。既に西日の陰にゲフルノルドの王都は遥か遠くて見えない。安全に着地できた事に感謝する。
「あの小屋を仮りの宿としよう」
その山小屋は森の草木に覆われて半ば打ち捨てられた場所と見える。しばらく人の手入れも無くて街道からも孤立している様子は隠れ家としては良い立地と思えた。
「…きゅうう。ワシは眠るぞ…」
精霊も休息は必要なのかと疑問に思うが、問い返す間もなくて西風の貿易風は姿を消した。それでも、爆発に欠け残った護符には新たな魔石が輝いている。僕はひと晩の宿を求めて山小屋へ踏み込んだ。
小階段を上り扉を開くと施錠も無くて無人と思える。小屋へ入ると埃っぽい室内は荒らされた様子も無くて調度品が残されている。…貴族の別荘か。
手持ちの装備も食糧も無いので、小屋の炊事場を探すと保存食の干し肉と芽が出た芋を見付けた。確か芋の芽には毒性があると思う。僕は干し肉と乾物の豆を煮込んで食事とした。水差しの魔道具と竈の魔道具が利用出来て助かる。野山で生存競争するよりはマシだろう。
金赤毛の獣人ファガンヌはゲフルノルドの王都で分かれたきりで連絡も取れない。そういえば、神鳥のピヨ子の姿も見えない。西風の貿易風に飛ばされて、あの速度に追い付ける術は無いと思う。
「僕も、ひと眠りするかなぁ~」
欠伸をして寝室を探すと奥に締め切った部屋があった。珍しく施錠があり僕は開錠を試みた。
「鍵穴に魔力を注いで…【調査】」
本来は地質や埋設物を発見する土木調査用の魔法だが、鍵穴の構造解析にも応用できる。がちりっと何かが嵌る音がして、自動に扉が開いた。
「ふわわぁ~ 自動ドアか?」
また一つ欠伸をしつつ、僕が寝室に踏み込むと、
寝室は整えられて埃も気にならないが、寝台には大き目で横長の箱が置かれていた。…まさか棺じゃあるまい。
僕は恐る恐る、棺の蓋……いや、ただの箱を開いた。あっ!
棺の中身に対面して僕は意識を失った。
眠気が…限界だっ……
………
◆◇◇◆◇
金赤毛の獣人ファガンヌは屋台の串焼きを完食して満足そうに微笑んだ。屋台の主人は久々の地獄を味わい串焼きを焼き続けて、今は看板を仕舞い店仕舞いとなった。路地のごみ貯めには組の者と見える破落戸が生ける山となって呻いている。
「GUUQ 腹は満ちた 話を聞こうか」
組の者が獣人を使いに寄こすのも珍しい。半裸で腰巻きのみを身に付けた筋骨の逞しい、おそらく獣人だろう男がファガンヌに問う。
「GUU ソアラ様から託けだ。貴殿のご助力を得たいと」
「GUUQ 嫌じゃ」
金赤毛の獣人ファガンヌの返事はにべもなし。ソアラ様とは組の幹部だろうか。
「GHA いちど我らが住処に招待したい」
「GUUQ 招待とな…ぐっく、ぐっく、ぷはぁ」
野次馬から差し入れの酒で喉を潤す。この不遜な態度も屋台の目前で起きた騒動を見れば、納得せざるを得ない。…町の衛兵は何をやっている。
「GFU 人族の小僧はどうした?…喰ったか」
「…」
獣人同士の物騒な会話も聞こえるが、店仕舞いを手早く済ませて逃げ出そう。しばらく町で商売は出来ないと思う。
ゲフルノルドの王都を赤い満月が見下ろしていた。
◆◇◇◆◇
僕は睡魔に負けて寝台に突っ伏して倒れたらしい。夜半に起き出して部屋を見ると薄ぼんやりと明りを灯したランタンがあった。それは光の魔道具とも油を燃やした明りとも異なる光と見えた。…貴族の魔道具だろう。
「お食事を堪能いたしましたわ」
「!」
気付くと寝室の戸口に白い服を着た少女が立っている。幽霊ではなさそうか。
「私を助けて頂き、感謝いたします」
「それは?」
「あのままでは、私は眠り続けて朽ち果てる事になったでしよう…」
「…」
白い服の少女の話では、山小屋が賊に襲われて使用人たちは主人を残して逃亡したらしい。何かの異常事態が起きたのだろう。僕はひと晩中にその少女と会話を続けたが事の真相は明確にはならず。
………
次の日、その少女を保護して近くの町を目指した。
西風の精霊として解放された貿易風の運搬能力は絶大だが魔力効率が悪いらしく、魔力の回復にも充填にも時間がかかる為か、未だに姿を見せない。
ファガンヌかピヨ子が追いついて来ると思うが確証は持てない。そういえば、氷の魔女メルティナに付けられた監視役に、猫顔の獣人ミーナとバクタノルドの王都で合流する予定だったが、僕の方が行方知れずでは話にならない。オー教授たちは無事に帰国しただろうか。
白い服の少女はオーロラと名乗った。
山小屋の地下室と見える床に切られた扉を開くと土間があり、小屋の床下にはゴーレムの足が取り付けられていた。それが前後左右に八基もあり移動式の乗り物の様であった。
その大型トレーラの様な移動式の小屋も魔力が無くては走行できない。八基もゴーレムに魔力を注ぐには人手も時間も不足していた。僕らは徒歩で街道を東へ進むが、オーロラが賊に襲われたのは何日も前だろう。
「オーロラ。この道で間違い無いか?」
「はい。東へ向かっていました」
街道とはいえ山道を徒歩で進む。夏の日差しも熱く照り付ける。
「足元に気を付けて」
「ええ。お食事も十分に摂りました。懸念はありません」
貴族のお嬢様と思えるが、白い服の少女オーロラは意外な健脚を見せて日暮れ前には宿場町キサシに到着した。
宿場町キサシには大型トレーラの様な移動式の小屋が何台も駐機して村となっていた。住人を尋ねて歩くと彼らは戦乱から逃げて避難して来たらしい。贅沢にゴーレムを配置した移動式の小屋はその為か、避難生活も慣れた者だ。同じ避難民としてオーロラの素性を知る者を探したが見つからない。その途中で白い服の少女オーロラは体調を崩した。やはり無理をしてマキトに付いて来たらしい。
珍しく移動式ではない建物を見ると宿屋があった。元から白い顔色を青くしたオーロラを宿に泊めてファガンヌとピヨ子の合流を待つとしよう。ここから南の忘れられた山の民の領土を抜けてタルタドフの領地へ帰国するか、山オーガの谷を訪ねて氷雪山地を超えるか、遠回りに平地を東へ進み帰国する方法もある。魔獣グリフォンの姿でファガンヌが飛行すれば、ひとっ飛びに帰還できるのだケド……彼女の気まぐれは予想できない。
町でオーロラの預け先を探そう。それぐらいの時間は取りたい。
◆◇◇◆◇
猫顔の獣人ミーナはバクタノルドの郊外にある農園で農奴に混じり収穫の手伝いをしていた。ここまでの旅費も心許なくなり稼ぐ必要に駆られたのだ。…というのは表向きの理由にしてキャロル姉さんの借金の足しに働いた。ミーナは持ち前の明るさで農奴たちに溶け込み作業をしている。
「そぉれー」
「きゃっ!」
収穫の後に畑には水を撒くのだが、澄まし顔でキャロル姉さんがミーナに水をかけた。
「うふふ、待ちなさいッ」
「やったなッ、コラー!」
次の収穫に備えて、井戸から水を汲み作物へ与えるのは重労働だ。どうせ畑に撒く水だから農奴たちに多少の水が掛かっても違いは無いだろう。水撒きは重労働に加えて農奴たちの息抜きでもある。畑に嬌声が聞こえていた。
北国に夏の日差しは短くて、秋の気配が忍び寄っていた。
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