ep120 最近の研究室
ep120 最近の研究室
僕は魔方陣概論の担当であるオー・タイゲン教授の研究室を訪れた。オー教授は奇声を発して古い遺跡の調査へ出かけたまま帰還していない。研究対象の魔方陣の発見は出来たのだろうか。僕は助手の資格で研究室を開き資料を整理した。いつオー教授が帰還しても問題はなかろう。
オー教授の研究室は魔法工芸学舎の北棟にあり比較的に暗くて地味な場所だが、教職員には不人気で空き部屋も多い。学生の喧騒から離れて静寂な研究環境は理想的と言える。僕は教授会に相談して空き部屋を借り受け、部屋の改装を申請した。まず、部屋の内部を洗浄をする。
「リドナス頼む」
「…打ち寄せよ【大波】」
-DOPPAN-
大量の水が召喚されて部屋に渦巻く。長年の汚れも根こそぎ洗える。…リドナスの新しい清掃技術だ。
「そ~れ!【穴掘】」
僕は壁の一部を破壊して外へ汚れを排水した。庭は既に長雨に濡れて水浸しだ。
「ふむ。出番か…【城塞建築】」
「おおぉ…」
壁の穴から泥に塗れた男ディグノが現われて、無口に魔法を行使した。こう見えてもディグノは学生ながら土の建築家に弟子入りしている。部屋に土壁が現われて仕切り小部屋を形作る。…良い仕事だ。
「リドナス。外の面倒を見てくれ」
「はい。主様」
リドナスが部屋を出て行くが、外では森の妖精ポポロが排水の処理をしている手筈だ。
「…ルグスメルの水草よ…【繁茂】チャ!」
「ぷっ!」
庭の方からポポロの声が聞こえた。ディグノの排水建築と戯れているらしい。
僕は部屋の仕上げを行う。
「表面加工に…【硬化】【乾気】♪」
何面もある土壁を魔力で押し固めて水分を抜く。…既に、粘土細工は僕の得意技法である。
こうして僕は新しい研究室を得た。
………
クラントさんの干物はカルオという海の魚を使う。肉厚のカルオを三枚に切り分け低温で煮てから皮と骨を取り除き燻製へと乾燥させる。その際に旨みを生み出すカビの一種に接触するのだが、あの保存倉庫は立ち入り禁止として厳重に管理しよう。カビが生えた食品に対する評判は悪いから、門外不出の秘伝の製法としたい。
それに貴重な奇跡の旨みを生み出すカビを繁殖させる為には、大量にカルオを仕入れて保存倉庫へ積み上げよう。細菌を繁殖させる研究が急務と言える。僕は新しい研究室で細菌の選別を始めた。
カルオの切り身は下処理をして試験容器に入れる。試験容器の下部は粘土の焼き物で上部はガラスの造りだ。試験容器は密閉した研究室の小部屋に並べて置き、部屋の中ほど…奥と手前から…棚の上中下と場所を変えて配置した。
本来は温度管理をして一定の環境条件にしたいのだが、温度測定の魔道具が非常に高価で取り扱いも難しく断念した。要は優秀な旨み成分を生成できる菌種を特定できれば良いのだ。まずは細菌の繁殖に務めよう。
僕は意欲的に研究に取り組んだ。
◆◇◇◆◇
明けて本日は魔物生態学の試験のはずだが、学生は総出に野外でフィールドワークとなった。背の低い子供…ちみっ子と見える教授が沢山の学生を引き連れて現われた…さすがは人気の講師だ。
「マキト助手。頼んだじょ!」
「きゃー、可愛い!」
「チリコ教授!◇(ハート)」
「…」
ちみっ子教授め…いま噛んだな。僕は助手として野外活動の引率をしていた。荒野の沼地に魔物と見える昆虫が飛ぶ。
「伸びよ、フリュトレの種…【繁茂】!チャ」
「ッ!」
森の妖精ポポロが呪文を唱えると蔦植物が伸び出して昆虫を捕えた。トンボに似た飛行する魔物だ。
「このように昆虫が魔物化した場合は、元の生体と外甲殻の特徴を引き継いでいるが、食性は肉食となる事が多い」
「ほおぉ…」
ちみっ子教授が差し棒で巨大トンボの顎をつつくと魔物は牙を見せて噛みついた。
「この巨体を維持するには、より効率的な餌の捕食が必要と考えられる…」
教授の解説によると、巨大化して魔物が肉食となるのは食物連鎖の観点からも必然らしい。しかし、あの苔の巨人は肉食とは見えなかったが……元の生物は何から変化したのか謎だ。
僕らは野外活動を続けた。これで試験が免除されるとは簡単な事だろう。
………
午後の戦闘訓練Aに関しては特に試験は無かった。訓練生は日頃から鍛練しており実践形式の試合ではお互いの力量も把握している。それでも訓練生の順位を上げる為か僕は対戦を申し込まれる事が多い。水鬼リドナスと互角に戦ったという虚名の影響だろうか。…実際には三回も負けているのだが…僕は無駄な戦いを避けて研究室に通う。
新たな研究室では細菌の培養が順調で、マルオの熟成に使う細菌は麹菌の一種と判明した。森の妖精ポポロの実家で作る味噌と醤油も麹菌を使う。ますます重要な研究として僕の意欲も上がる。
これは研究が捗りそうだ。
◆◇◇◆◇
試験も五日目の事、僕は試験の出来に絶望していた。王立魔法学院で受講した軍師魔法学では陣地魔法の他にも貴族の家紋としての紋章学の出題があり、しばらく受講していなかった僕には無理な課題だった。午後の精霊神学論についても、神々の神話における関係性を理解していない僕には難問だった。神様の名前は長いし、神々の関係性もドロドロな展開だし……無理っす。
「あんな試験は無理ゲーだ!」
僕はひとり不満を漏らしていたが、
「待っていたぞっ。クロホメロス卿! 私と勝負してもらおう!」
「!…」
見ると剣呑な顔で騎士と見える装備の女が僕を呼び止めた。この時、僕は冷静さを欠いていたのかも知れない。この剣呑な女は騎士風の衣装を着て下級貴族の者と思えるが、強敵ではない。
「ふむ、いいだろ! ただし場所と道具はこちらで用意する。…付いて来い」
「………」
安易に対戦の申し込みに応じた僕を女は剣呑な顔で睨み付ける。悪意が無いのは知っているが、女の目付きは悪すぎる。帰りの道すがらに私立工芸学舎の訓練場へ立ち寄った。この時間は試験も無いリドナスが戦闘訓練をしているハズだ。訓練場の一角を占拠して僕は言う。
「訓練用の木刀だが、得意な物を選んでくれ」
「ふっ」
剣呑な女は当然とばかりに長剣を模した木刀を手に取る。僕は愛用の杖だ。いつのまにか、訓練場には観衆が集まって来た。
「王国優戦士勲章のマキトだぜ!…」
「相手の女は、お貴族さまか?…」
「…どれどれと…」
「それでは 試合を 始めマス♪」
颯爽とリドナスが来て主審を務める様子だ。
「はァァアッ!」
「くっ…」
開始と同時に剣呑な女が踏み込んで来た。真っ直ぐな突きを杖で逸らす。そのまま左右から剣撃を振るい僕を追い立てる。
「身体強化っ…【俊足】【強打】!」
僕は開始前から練っていた魔力で足腰を強化して俊敏にバックステップを踏む。間合いの外から杖で強打すると木刀が弾けた。
「…【剛力】!」
その隙に僕が杖を長めに持ちて突くと、剣呑な女は打撃を受けた衝撃で下がった。完全に杖の間合いだ。…観衆がどよめく。
「「「 おおぉ~ 」」」
「ふっ、思った以上だッ!」
剣呑な女は何かを呟いて突進した。僕は杖を短く持って応戦する。剣呑な女の得物は片手半と呼ばれる大振りな長さもあるが、それを容易に振り回す膂力は中々の者だ。胸の張りや腰の据わりは鍛えた騎士のそれだ。僕は打撃を杖で受けながら魔力を放出する。
「…【研磨】【粉霧】!」
打撃の最中に地面の砂が渦巻き粉塵として巻き上がる。僕は後方へ飛んだ。
「ふう、危ない」
「ゴホッ、ゲホッ、ゲホッ」
粉塵の渦が剣呑な女を包み咽せた様子だ。そんな隙でも僕は見逃さない。
「…【押叩】【連打】♪【鍛鋼】!」
「がっ!」
僕は杖で左右からの四連打として打撃技を叩き込んだ。…全て鍛冶の技である。
「そこまで デスッ!」
僕は辛くも勝利したらしい。
訓練場に倒れた剣呑な女は焼けた鉄の様に真っ赤な顔で呻いた。
「あぁ~ん。燃えるように体が熱いぃ……」
「…」
しまった。剣呑な女は変態さんか、鍛冶の業が利いたらしい。
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