ep112 濃霧に潜むもの
ep112 濃霧に潜むもの
僕らは避難民を連れて街道跡と思われる平地を南西へと進む。魔芋の密林は次第に疎らになりて平地となったが、疲れた体に纏わり付くような濃い霧により視界不良となった。前をゆく荷車の陰影しか見えない。
「だめだ、これ以上は危険だ!」
「仕方ありません…」
無事であれば街道の途中にある宿場町イマノフに到着する頃合いだろう。僕らは方向を見失う危険を感じて避難民を集めて野営をした。あたりの地面は何かに削られた様子で薪にする枯れ枝も無い。炊事も出来ずに円陣を組んで休息した。
「リドナス、辺りを警戒してくれ」
「はい♪」
すぐにリドナスの気配が消えた。野営地の周辺を探索するのだろう。幸か不幸か周りは湿気を含んだ濃い霧の為、飲み水には困らない。僕は水差しの魔道具に魔力を注ぎ水を集めた。体に纏わり付く水滴も取れて少しはマシと思う。僕は腹が減ったので、棒状にした魔芋を噛んでいた。
「マキト君、避難民に逸れた者がいる」
「それは……マズイですね」
白い霧を通して銀級の冒険者カルロスが現われた。さすがの手練れも額に黒髪を張り付かせて疲労の色が見える。
「この霧では捜索も出来ない…」
「おや?」
始めから諦めの態度を見せて、カルロスは捜索をする気が無いらしい。確かに冒険者たちが護衛する契約はイマノフに到着する迄だ。後は依頼主のギルド職員と話し合うべきだろうと相談していたら、遠方から悲鳴が聞こえた。
-GYAaaaa-
「獣の鳴き声か!?」
「いや、行方不明の避難民では?…」
僕らは悲鳴が聞こえた方へ霧の中を急いで駆け付けた。視界が悪い中では駆け足もままならない。霧を通して発見したのは避難民と見える男女の亡骸だった。
「むっ、干からびている!」
「そんな馬鹿な…」
遺体を検分していたカルロスが驚いている。僕も遺体の顔を確認したが見覚えは無かった。イマノフの町からの避難民かもしれない。オルグ塚の迷宮で異変があってから三日程度で遺体が干からびると言うのも不思議な事だ。それ以前に死亡していたとも考えられる。
では、あの悲鳴は何だったのか?
「主様…」
「わっ!」
僕は驚いて飛び退いたが、河トロルのリドナスが至近から声をかけた。周辺の探索から戻って来た様子だ。
「…周辺に 魔物の気配は アリマセン♪。…先程の声は?」
「僕らも、魔物の姿は見ていない」
「むっ!」
-GYAaaaa-
今度は野営地から悲鳴が聞こえた。
………
僕らが到着した時、野営地には混乱が広がっていた。深い霧の中で刃物を闇雲に振り回す者や安全地帯を求めて逃げ惑う者など…特に飛び道具を持つ者は危ない。
「やめろ! 同士討ちになる!!」
「リドナス。取り押さえられるか?」
「はい♪」
銀級の冒険者カルロスが警告するのに、狂気に駆られて暴れていた男をリドナスが背後から絞め落とす。弓を背負た冒険者の二人が現われたが、すでに近接戦闘用の得物を手にしている。…この二人の技量には問題ないだろう。
黒髪を束ねて三つ編みにした褐色肌のお姉さんがユーリコ、筋肉質の大男がアントニオだ。
「ユーリコ。無事か!」
「ええ。こちらは、魔物に襲われたけど…問題ないわ」
「…魔物の姿が見えぬ…」
カルロスがお仲間の無事を確認して安堵の息を吐く。アントニオがぼそりと呟く内容は問題だろう。
再び避難民を集めて円陣を敷くのだが、僕ら五人だけでは警戒が足りないので、働ける男の人手を得て円陣の外側を警戒した。…何人か頭数が減っているが大丈夫か。
「魔力を放つ…【投網】【引寄】」
僕は霧の中へ魔力を放ち敵の反応を伺った。しかし何も感じられない。
「違うなぁ…もっと薄く広く【気配】」
いくらか広げて魔力を放つが、岩の塊の他には魔力を反射する物も、僕の魔力を嫌がる魔物も発見できない。
「もっと鋭敏な感覚を…【距離】?【方位】?」
少しは皮膚感覚が鍛えられただろうか。僕らは棒状の魔芋を噛み締めて夜通しにまんじりともせず警戒を続けた。
夜中には悲鳴が聞こえたが、捜索には出ずに過ごした。
あの悲鳴は霧に潜む魔物の擬態だろうか。
………
夜が明けて霧も晴れたが、僕らは冷水を浴びた様な状態で震えていた。ただひとり河トロルのリドナスだけは元気だ。そのため、僕らは先頭を任されていた。
「主様。誰か来ます!」
「ふむっ…【気配】【探知】」
今度は僕にも分かる馬の蹄と……複数の兵士の気配だ。しばらくして訓練された足音が聞こえた。
「止まれ! 何者か?」
「………」
先行していたと見える騎馬から誰何された。
「我々は帝国軍の調査兵団である。貴公らはイマノフの住民か?」
「いいえ。僕らは迷宮都市からの避難民です」
話し振りから見て帝国軍の騎士か士官だろう。しかし騎士の兵装ではなくて兵士の装備と見える。
「迷宮都市となっ!」
「…」
それならばとお互いの情報を交換した。どうやら帝国軍はイマノフの町が壊滅した為にその周辺を調査しているらしい。僕らは民間人として保護されて帝国軍の調査兵団に護衛される形でイルムドフの都市へ向かう。途中の宿場町イマノフには廃墟の残骸の他に何も残っていなかった。
◆◇◇◆◇
それは桃の月も終わりの頃でした。春の陽気に誰もいない受付業務ほど退屈な物はありません。日は高く並の冒険者ならば狩りか採取の時間であり、ギルドへ仕事の完了報告をするには早い時間です。そこへギルドのベテラン職員ゴロンゾさんが現われました。
「ミラ。やべぇやつが来た!」
「また。ミスリル証の冒険者ですか?」
慌てた様子のゴロンゾさんが、冒険者もまばらな受付で話します。
「いや、それ以上だ。…リンデンバルク侯爵閣下の軍船だとよっ!」
「リンデンバルク侯爵って、トルメリア王国に負けて逃げ帰った…将軍様ですよねぇ」
町では無能な将軍閣下との噂だが、
「いんや、トルメリア王国から賠償金をがっぽり儲けた…つう話だ」
「あうっ…」
頭が痛くなって来ました。ここハイハルブは帝国の東の玄関口と言われる港町ですが、侯爵閣下ともなれば上級貴族の出迎えが必要です。そのために町の衛兵だけでは人手が足らず、冒険者ギルドの職員も警備の手伝いに借り出されるのです。
「面倒だが、業務は中断して緊急配置A3だ!」
「はいっ!」
ようしこうなれば、から元気でもお仕事を頑張って臨時手当に期待しましょう。
◆◇◇◆◇
僕らはイルムドフの都市を経由してタルタドフ村に帰還した。イルムドフの周辺では戦の後の荒れようで大きな魔物の死体と帝国軍の兵士の遺体が累々としていた。さらに王城に翻る帝国の旗は無くて見慣れぬ色の旗がはためいていた。僕らを都市部まで護送して来た調査兵団は王城を占拠した反乱軍に囲まれて、戦う事もなく武装解除して捕えられた。
迷宮都市からの避難民の生き残りは戦禍も目に付くイルムドフの都市に入場して保護された。なんでも反乱軍は帝国に占領されていた元イルムドフ王国の貴族の子弟を中核とする組織であり、元イルムドフ王国の市民の味方である。過去にオグル塚の迷宮都市はイルムドフ王国の一部であった。僕らは半ば歓迎されてイルムドフの都市に入場したのだ。そんな避難民の中にトルメリア王国からの行商人の身分で僕らが同行しても不審は無かった。
僕は久しぶりの風呂を満喫していた。タルタドフ村よりも開拓地に設けた露店風呂の方が快適だ。夜霧と湯気に湿気が溢れる。河トロルのリドナスは当然の様に僕の全身をあわあわにして洗い背中を流す。その時、霧を通して風呂場に侵入する人影があった。
「そこかッ!」
「ちっ、チルダさん」
最早お約束であるチルダの突撃を受けて僕は湯船に沈んだ。霧の中から現れる魔物に比べれば何の事も無い襲撃だろう。火の一族の御山ブラル山の天然温泉に比べれば見劣りする露呈風呂だが、最新式の加熱の魔道具は僕の自慢だ。湯船に備えられた加熱の魔道具に魔力を注いで湯の温度を上げる。
「ふぅー。いい湯だ…」
「チルダさん。今度はいつまで滞在ですか?」
すでに炎の傭兵団の護衛任務は終えたハズだが、僕はあらためて尋ねた。
「しばらくは世話になる…じゃん」
「それは、お仕事ですかねぇ」
チルダが褐色肌で湯加減を感じながら、悪い笑顔で笑う。
「にぃししししぃ」
「…」
こういう時は警戒するべきと思う。
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