ep097 雪山の魔物
ep097 雪山の魔物
私はメルティナ・ブラフォルン。既に落ちぶれたブラフォルン家の子女として生まれ貴族に相応しい教育を受けた私ですが、その教養を生かす事は出来ませんでした。
今のいえ…最後のブラフォルン家は領地もなく北方の寒村の村長として細々と生活しておりました。幼くして病に母を失い。戦乱に父を失い。最後の血族のおじい様も老齢のため村で亡くなりました。
そんな落ちぶれた家に最後まで仕えてくれたのは使用人のハンスだけでした。ハンスには僅かな退職金と名を与えて…ロベルトと改名しましたが、今も己の意志で私の世話をしています。
私は村長の代理として村の窮状を救うためシュペルタン侯爵家を頼りました。侯爵家は大都市アルノルドと周辺の街や村を統治する大領主です。私は侯爵家が村の租税を肩代わりする代償としてゲオルク・シュペルタン・アルノルド侯爵閣下の元で働きました。
そんな後ろ暗い仕事のひとつでトルメリア王国の開拓村に潜伏した私が英雄のマキト様に出会ったのは春も中頃だったと思います。当時の私は氷の芸術家として売れ始めて魔道具の飾りに使う意匠などを考案していました。子供の頃から氷細工が得意で魔法に慣れ親しんだのも、村には遊び道具も無い所為でしようか。
氷の芸術家の評判を聞いて英雄のマキト様…当時は商人の見習いのご様子でした…が開拓村を訪れました。伴には邪魔な水の神官の女を連れていましたので、ひとつお仕置きを考案いたしました。
水の神官の女は以前に何度も私の仕事を邪魔していたので、既に顔は見知っていたのです。この拠点も直ちに引き払う予定として開拓村と周辺には子鬼の群れが放たれていました。そんな大国の工作とも知らずに屋敷に踏み込んだ水の神官の女は無様に罠にかかりました。いい気味ですね。
私は開拓村の拠点を退去して帝国領へ帰還したのですが、水の神官たちが生きていると知ったのは後日の事でした。そんな些細な失敗も侯爵閣下の計画の詳細も知らされない私には許されませんでした。次第に氷の魔女メルティナの活躍は減ってゆきます。まぁ夏場は氷の魔法も効果が期待できませんから仕方のない事です。
そんな私の目の前に再び現れたマキト様はグリフォンの英雄として帝都で叙勲されたばかりの初々しさでした。私が村長代理を務めるカイエツ村を訪れたマキト様は雪兎を狩猟なされて帰って行きましたが、私の正体には気が付かないご様子でした。
そして運命の日、あなた様は悪魔の徴税官として私の前に現われたのです。すでに血に汚れた私とハンスは帝国の徴税官が通るとの情報があった街道で待ち伏せ襲撃の準備をしていました。こんな事をしてもひと冬の時間稼ぎでしかない事は明らかでしたが、村の借金を返済する計画も既に破綻していたのです。
襲撃の計画も借金を返済する計画も共に失敗して私たちは死の覚悟を決めました。できるなら他の村人たちに類を及ぼさない為にも秘密裏の処置をお願いしたい所でした。こんな原野の雪原であれば死体はおろか遺品の痕跡も春までは発見できないでしょう。そう覚悟を決めた私にあなた様は言いました。
「生きろ」と、そして「逃げ出しても最後まで助ける」と
………
回想の直後に私メルティナ・ブラフォルンは目を覚ましました。ここは雪山に出来た裂け目か、谷間の頂からの落下中でしたっ!
「氷の羽!」
私は鳥が滑空する姿で氷の翼を形成しましたが、すぐに翼がへし折れました。翼の強度が足りない!
「何でも良いから羽を下さい!」
氷の翼を背中から頭上……今は逆さまに地上へ向けて伸ばして行きます。そのまま三角形の鏃の様にしてッ……
「翼を!」
私は鬼人の子供たちが投げて飛ばしていた葉っぱの遊具を思い出し羽を伸ばした。その不格好な三角形の羽をV字に上げると頭が上がった。
「くっ…成功だわ」
見るとマキト様は意識を無くしても私の腰を強く抱き締めていました。外套に着たマントが絡み付いたばかりとは言えませぬ。そうして雪が降り積もった谷底でも、墜落死を免れたのです。
………
気が付くと私は雪に埋もれて斜めに掘った雪洞の中に倒れていました。マキト様に助けて頂いた訳ではなく、氷の翼で雪だまりに運良く突っ込んだ様子です。砕けた氷から私の魔力の残滓が抜けて形を無くしていきます。
「マキト様! お気を確かに」
「ふっ……すぅ……」
息はありますが無理に起こすのは危険かと思います。雪洞の外を見ると吹雪が激しく、助けを呼ぶのは現実的ではありません。私は生まれながらの氷の加護があり全く寒さを苦にしないのですが、マキト様はかなりの低体温に陥っています。
外套のマントを床面にした雪上に敷き、マキト様を寝かせます。雪洞の入口は私の氷操作の魔法で塞いでも、救助を待つための目印を立てます。氷の造形ですが従者のロベルトならば私の作品だと気付くでしょう。そうして吹雪を遮断した雪洞で私はマキト様の外套を開き中へ滑り込みます。密着して肌を合わせ首筋に腕を回すとマキト様の鼓動を感じました。こうればお互いの体温で暖かく、私の氷の加護でも守られるハズです。
私の計画に狂いはありませぬ。
………
「はっ!おかしい、緊急事態です」
「ふぅ……すぅ……」
朝になってもマキト様は目を覚ましません。落下の衝撃だけではなく雪豹の魔力に当てられた可能性もあり得ます。私は急いで脱出の準備をしました。…雪山で目覚めて気まずい関係のふたり…計画が台無しです!
外は朝になり、吹雪は止んだものの暗雲で天候は不安定でした。得意の氷の操作魔法でマキト様を雪洞から運び出し、氷の造形で橇を作りお荷物ッを乗せます。氷の魔女の勘でおそらく南の斜面を氷の橇で下りますぅ。なめるな雪国育ちぃ!
私は全ての野生の勘を総動員して雪山を駆け下りました。
途中で冬眠に失敗した熊をぶっ飛ばし、
包囲する餓えた狼の群れを突破して、
麓の村に辿り着きました。
◆◇◇◆◇
僕は雪山で遭遇した雪豹の怪事件について話した。
「その雪豹は僕らを追って麓の村まで迫ったらしいですが、途中で熊を一撃で斃し、餓えた狼の群れを全滅させて腹を満たした様子で……雪山に帰ったらしいですね」
「ほうほう、それは災難でしたなぁ…しかし、それでは話が面白くない!」
「えっ、面白くない?」
「いや、こちらの事情です」
サルサ師は熱心に僕の話を書き留め、何やら思いついた事も書き連らねている様子だ。怪盗姿の麗人…今は平服の麗人アーネストが言うにはサルサ師は演劇の師匠で脚本から演出も手掛けるそうだ。
「僕は意識を失っていて、後から聞いた話ですよ」
「それでも、これは冒険譚になる!」
「らしいですねぇ……」
結局、僕の話は演劇用の台本クロウヴァイン冒険譚となった。英雄クロウヴァインが悪の帝国に滅ぼされた亡国のメルティ姫を連れて追手から逃れるため雪山に入り。道中の魔物や幻獣と雪山の主を倒して新天地へ恋の逃避行をすると言う話だ。お供のギンナとロベルトの役回りは雪山の精霊と力を無くした地霊という。戦闘では英雄クロウヴァインが無双するのだが……ならば、悪の帝国の追手と戦えば良いだろうと思う。
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