ep095 救援依頼
ep095 救援依頼
僕は夜半に寝台を飛び起きて現場に向かった。タルタドフ村の周辺警戒と密偵として雇用した鼠族から緊急の連絡があり、村の北東部のユミルフの町の方角で人族の騎馬兵が争う様子があるという。
ユミルフの町には帝国の徴税官であるエルスべリア・ティレルが宿に滞在しているハズだ。斥候として森に展開した鼠族から騎兵に追われる一頭の馬が近づいている事を知らされた。
「リドナス。沼地に罠を張って、捕まえよう」
「はい。主様 手配イタシマス♪」
狩りの興奮か河トロルのリドナスが楽しげだ。僕は河トロルの戦士たちに注意を与える。
「もし、ティレルさんの馬であれば、無傷で保護したい」
「お任せ クダサイ♪」
頼もしい返事だ。そうして僕らが沼地に潜伏していると頭兜に鋭い角を付けた軍馬が現われた。背には意識の無い様子のご婦人を乗せている。
「ティレルさん!」
「…」
既に森の中では鼠族の密偵が追手を攪乱している様子だ。僕はオル婆さんの形見の鍔広の帽子を被り、興奮した様子のカイエン号に話しかけた。
「と、君はティレルさんの馬、カイエン号だろう」
「BUU!(近づくな)」
「おぉっと、僕は敵じゃないよ」
「FUNFUN!(知っている)」
カイエン号が背に乗せているのは、夜会用のドレス姿のティレル女史だが意識も無く様子がおかしい。
「ティレルさんの具合が悪そうだ…」
「HIHYNN!(お嬢!起きろ)」
「僕らに任せてくれないか?」
「……BUFUN(良かろう)」
時間をかけて説得するとカイエン号は落ち着きを見せた。河トロルの戦士たちは湖沼地帯の入口で戦闘に入った様子だが、地の利もあり奇襲では負けないだろう。
「ティレルさんを治療するから、付いて来て」
「BUFUN(良かろう)」
カイエン号は大人しく開拓地まで僕らに付いて来た。リドナスは先行して風呂を焚き薬湯の準備をしている手筈だ。リドナスの見立てでティレル女史は毒を受けたと見える。僕はカイエン号からティレル女史を降ろした。
湯殿に入ると意識の無いティレル女史をリドナスに預けて、僕は焚火の番をした。リドナスは薬湯を使ってティレル女史の解毒と水治療を行う。しばらく時間がかかるだろう。カイエン号は己の主人を心配してか湯殿の傍を離れなかった。
………
明け方近くにティレル女史は目覚めた。食糧の販売所として利用していた天幕に入ったティレル女史の着替えを待つ間に冷たい水を用意しよう。遊水地から引いて貯水池に貯めた水は澄んでいるが、僕は素焼きの壺に汲み濾過した水を殺菌する。
「浄水のままに…【殺菌】【消毒】」
実験室の器具を洗う為に身に付けた技だ。飲み水としても問題は無いだろう。
「ティレルさん。よろいしですか?」
「はい。どうぞ…」
僕が天幕に入ると湯に上気したティレル女史が出迎えた。急ぎタルタドフ村から取り寄せた着替えは胸が窮屈そうで首筋から谷間とお臍がチラ見えるエロさがある。僕は視線をそらして冷水を差し出した。
「あぁ丁度、喉が渇いて…うっくうっく…」
「……」
ティレル女史が冷水を飲む喉の動きに見惚れた。ひと息ついたティレル女史の話ではユミルフの領主カペルスキーの晩餐会に招かれたのだが、毒を盛られて命からがらに逃走したそうだ。
帝国では税務の安全と徴税官を守る為の法律が整備されている。また、徴税官は帝国の税務に通じた文官であり、領主の不正や税収の横領を摘発する役目も負っているらしい。
「カペルスキーを罰するために、ご助力を頂けますか?」
「はい。喜んで、ご協力いたします…」
話の途中で河トロルのリドナスが、葦よしで編んだ外套を持って来た。春先といえども明け方は寒いので防寒着は必要だろう。
「…それでは早速、ユミルフの町へ向かいますか?」
「ええ、ご面倒をおかけしますわ」
僕らはボロ馬車を用意したが、ティレル女史はカイエン号に騎乗して行くという。良く訓練された軍馬だ。開拓村から北へ向かう途中のタルタドフ村に騒ぎがあった。
「帝国の徴税官の女が来ているハズだ!」
「いいえ、村には滞在しておりません」
従者のロベルトが穏便に対応しているが、武装した兵士たちが村の家屋の家探しを始めている。氷の魔女メルティナが大人しくしていれば良いが…
「家の中も探せ!」
「へい」
速度を上げたカイエン号が到着して、馬上からティレル女史が叫ぶ。
「やめろ! 私はここにいる」
「!…」
驚いた兵士たちの注目を浴びるが、
「これは、徴税官様!…ご無事でしたか」
「お前たちはユミルフの兵士か?カペルスキーの私兵か?」
異な事を尋ねられて兵士たちは困惑した。自分の立場を思い出して答えを返す。
「…ユミルフの町の衛兵でございます」
「ならば、町まで案内せよ!」
………
ボロ馬車に氷の魔女メルティナと従者のロベルトに鬼人の少女ギンナも乗せて総力戦の構えだ。僕らが護衛の様に兵士も連れて馬脚の歩みを速めると、すぐにユミルフの町に到着した。
町の門前ではティレル女史の到着に驚いた様子で、門衛の兵士たちが駆け回っている。どうやら、追手の騎兵は出払って敵襲に備えは無かった様子だ。そうするうちに町の門が開いた。
「徴税官どの、自ら戻って来るとは! 大した度胸だッ」
「領主といえど、無礼は許しません!」
ユミルフの領主カペルスキーが私兵を従えて現れた。痰を吐いて私兵に命令する。
「かーペッ! かかれッ 捕えよ!」
「カイエン! はっ」
ティレル女史のひと声でカイエン号は右前方の兵士に突撃した。短距離から急加速して盾を構えた兵士を跳ね飛ばすと門の見張り台から弓矢が飛来したが、そのまま突進を生かして右へ駆け抜ける。ボロ馬車の周りにいた兵士は味方からの弓矢を受けて混乱しているが、氷の魔女メルティナは構わずに周囲へ魔法を放った。
「足元を凍り付け…【凍結】」
朝露に濡れた路面が凍りついた。氷にブーツを取られた兵士が転倒する。僕と河トロルのリドナスは御者台から降りて飛来する弓矢に備えた。従者のロベルトと鬼人の少女ギンナは馬車の後方に陣取り防戦の構えだ。
僕の後方から馬蹄の音が聞こえたが、混乱する人混みの中にカイエン号が突撃して来た!ティレル女史は本職の騎士かと見える手綱さばきで前方の中央を突破した。カイエン号の頭兜にある角が衝突して領主のカペルスキーが吹き飛ぶ!…死んだか。
「ぐわっ!」
残念ながらカペルスキーは生きていた。カイエン号がどや顔で鼻息を吹く。
-FUNFUN!-
護衛していたカペルスキーの手勢は突進の勢いで弾かれ、ティレル女史が手にした剣でなで斬りにされて地面に転がった。カイエン号の蹴りで兵士が倒れる。……まさに騎兵無双である。
修羅場でティレル女史の美声が響く。
「観念なさい! カペルスキー」
「「「 おおぉ…… 」」」
既に大勢は決したか、カペルスキーの私兵と町の衛兵たちは戦意を無くしていた。僕らの周りでもリドナスが敵を薙ぎ払い。ギンナが重石のハンマーを振るって兵士を圧倒していた。
僕らは勝利した。
◆◇◇◆◇
僕らは町の歓声を受けた。ティレル女史の人気か領主のカペルスキーが嫌われていたのか民衆の歓迎っぷりは異様だ。帝国の徴税官への暴行容疑で捕縛されたユミルフの領主カペルスキーは丁重に牢獄へ放り込まれた。
ティレル女史はユミルフの町の徴税記録を調査して領主カペルスキーが租税を不当に搾取していた証拠や町の通行税を横領していた証拠を集めていた。租税に関しては帝国の法で職種ごとの税率が決められており領主の権限ではない。また、通行税は領主の独自の判断で課税が可能だが一定の割合で帝国へ献納する義務がある。そのため、ユミルフの町での最初の施策は税率を帝国の標準税率に引き下げる布告となった。
「領主のカペルスキーは罷免されるでしょうから、私は新たな領主が派遣されるまで代行業務をいたします」
「それは…しばらく、ユミルフの町に滞在するという事ですよね?」
今回の事件のように領主が罷免される事態も想定の内なのか、既にティレル女史が領主代行となる想定で事後処理が進んでいる。僕はユミルフの町に長期滞在となる事を懸念したが、ティレル女史は心なしか楽しそうだ。
「ええ、そうです…クロホメロス卿のご助力に対しては、こちらから便宜を図る事が出来ます」
「それならば、うちの村人が町で商売をする許可と……開拓地へ移民の募集をお願いしたい」
移民の希望者に対しては入植条件と優遇措置を考えるとしよう。
「お安い御用ですわ。開拓地へ移民であれば…ここより人が集まるイルムドフの街で募集するのも良いでしょう」
「なるほど、考えてみます」
僕はその足でイルムドフの街へ向かった。
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