挿話 K01 暗闇を走るカイエン
挿話 K01 暗闇を走るカイエン
人族の気配が多い集落を避けて人気のない荒野を走ったのは幸運だった。俺の背中にだらしなく乗るお嬢の様子を気にしても嘶きを抑えられない。……お嬢!起きてくれ。
-HIHYNN!-
「追え! 獲物を逃がすな!」
「…お手付きに……」
背後から俺を追う人族の騎兵と馬蹄の音が聞こえる。暗闇に乗じて駆けてみたが自慢の快速は発揮できない。やはり乗り手が荷物の様では走りが不安定で、いつもの人馬一体の動きは期待できない。お嬢は酒精の匂いと嫌な香草の匂いを付けていた。
「南へ逃げたぞ!」
「…やっ!…」
町の囲みを突破する際に衛兵を蹴り倒したので追手を受けるのは止むを得ないが、軽快な走りが出来ずにもどかしい。
「こっちだ!」
「…はっ!」
どうやら追手が近づいたらしい。その時、前方の森林地帯の茂みに小動物の集団の気配がした。……あえて!そこを突破してやろう。上手くすれば混乱に乗じて逃げられるッ。
俺はすでに荷物となったお嬢の様子を気にしつつも速度を上げた。大切な荷物を落とすような失敗はしない。森の茂みを飛び越えると驚いた様子の小動物が飛び出して来たが、逃げ惑う様子もなく左右に分かれて道を開けた。……変な奴らだ。
「ぐあ!」
「何だ! 馬が……」
後方では追手が混乱している様子だ。俺は予定通り混乱に乗じて逃走する。お嬢が起きていれば追手など自慢の角でひと突きなのだが、今は逃げる事を優先しよう。しばらく行くと湖沼地帯に差し掛かった。沼地に魔物の気配はするがここは関わらずに通過しよう。
-BUFUHA!-
さすがに長時間の走りで息が上がってきた。この先の水場で休息したい。水場の小動物が蠢く気配がするが実害はなかろう。追手が近づく様子も無い。……ひと安心だ。
俺は自慢の耳を頼りに水場に近づいて水を飲んだ。町の井戸水に比べてもマシな味だろう。思えば人族の厩舎で干し草をたら腹に喰っておくべきだったか。水場に生える下草で口直ししておく。
すでに遥か後方となった湖沼地帯の手前辺りでは戦闘と思える声がする。物音からすると肉を鋭利な刃物で切り裂き敵を絶命させたらしい。……こいつは手強い。
俺は耳をそばだてて敵の気配を探った。あいかわらず俺の背中では荷物同然にだらしなくお嬢が乗っている。……逃げるか、このままやり過ごすか。
緊張した空気は間抜けな声で破られた。
「ティレルさんの馬…カイエン号?だろう…」
「BUU!(近づくな)」
「おぉっと、僕は敵じゃないよ」
「FUNFUN!(知っている)」
この人族の雄には昼間にいちど会っている。見慣れぬつば広の帽子を被っているがこの声は間違いない。
「ティレルさんの具合が悪そうだ…」
「HIHYNN!(お嬢!起きろ)」
「僕らに任せてくれないか?」
「…BUFUN(良かろう)」
俺はこの人族の雄にお嬢を預ける事にした。何か悪事をすれば俺の自慢の角でひと突きに出来る構えだ。人族の雄に付いて湖沼地帯を抜けると人気の無い集落に着いた。ここは昼間にお嬢と訪れた場所だが水場の近くに火を焚いた場所があった。夜の寒さにも人族は弱いからお嬢は火の傍に降ろすとしよう。
「ティレルさんを治療するから、付いて来て」
「BUFUN(良かろう)」
人族の雄はお嬢を抱えて建物に入った。俺が中を覗くと湯気が立つ泉があった。泉の傍には火が焚かれて暖かい水が湧き出している様子だ。……なるほど!この泉でお嬢の体を癒すのか。
泉には先客らしい河トロルがいて何かの薬草を湯に付けていたが、これは良い香りがする。問題はなかろうと見ていると人族の雄は衣服を剥いてお嬢を泉に入れた。やはりお嬢は生まれたままの裸体が美しいと思う。
人族の雄は向こうで火を焚いているらしい…時折に薪を加べる音がする。そうして暖かな泉に癒されたお嬢が目覚めた。
「ここは…」
「開拓地の 湯殿デス♪」
-FUN!-
「カイエン…助かったわ、ありがとう」
-FUNFUN!-
お嬢が元気になるまでは、この泉に滞在するのも良かろう。
………
夜が明けた。お嬢は開拓村の中心にある三角岩を利用して張られた天幕にいる。俺は天幕の傍で敵の襲撃に備えて腹ごしらえしていた。
「お体の具合は大丈夫ですか?」
「ええ、助かりました。クロホメロス卿、改めて感謝いたします」
お嬢は何やら人族の雄と話し込んでいる様子だ。しかし、俺とした事か今になり気付いた所で、昨晩の泉にいた河トロルの気配は……湖沼地帯に居た手強い魔物と似た気配だ。河トロルが泉を出入りする水音は僅かだが俺の自慢の耳は誤魔化せない。そんな強敵が平然として眼前の天幕に出入りしているのだが今は手出しはしない。敵を殲滅する号令はお嬢の役目だから。
しばらくして話が終わった。何やら草を編んだ服を着てお嬢が天幕を出て来た。人族の服は雨風が凌げれば何でも良いが、この服は葦よしの香りがして悪くない……むしろ旨そうだ。
-FUN!-
「カイエン!食べないでね」
-BUFUN-
旨そうな服の匂いを嗅いでいたらお嬢に注意された。毛皮の無い人族は寒さで簡単に死んでしまう事を俺は知っている。外套はともかく内着のシャツはお嬢の体に比べて小さいのか胸が窮屈そうでボタンも弾け飛びそうだ。俺はお嬢の髪をハムハムと毛繕いした。
「それでは、ユミルフの町へ向かいますか?」
「ええ、ご面倒をおかけします」
お嬢は俺の背に跨り人馬一体の動きを取り戻した。体調は万全の様子と思える。俺は同行しているボロ馬車の速度に合わせて軽快なステップを踏む。食後の運動にもならない歩みだがお嬢の手綱は確かだ。
開拓村から北へ向かうと人族の集落がある。前方では人族の争うような物音がしていた。昨晩に俺を追いまわした連中であれば、自慢の角で一突きにしてやろう!
「帝国の徴税官の女が来ているハズだ!」
「いいえ、村には滞在しておりません」
「家の中も探せ!」
「へい」
村人の許可もなく武装した兵士たちが家探しを始めた様子だ。人族の事情など知らぬ事だがお嬢が嫌悪感を示した。……速度を上げよう。
「やめろ! 私はここにいる」
「!…」
お嬢が兵士たちに良い声で命じる。俺にも号令して欲しい所だ。
「これは、徴税官様!…ご無事でしたか」
「お前たちはユミルフの兵士か?カペルスキーの私兵か?」
異な事を尋ねられて兵士たちは困惑したが、自分の立場を思い出して答えた。
「はい、ユミルフの町の衛兵でございます」
「ならば、町まで案内せよ!」
………
お嬢の号令に兵士たちが従うのは気持ち良いものだ。俺たちは馬脚の歩みを速めた。ボロ馬車を曳いた馬たちは不満を示したが、己の背に乗らない主人に対しての不満だろう。すぐに背徳の町ユミルフに到着した。
町の門前では俺たちの到着に驚いた様子で、門衛の兵士たちが駆け回っている。誰がこの群れの統率者だろうか。俺は門に集まる人族の動きに注意していた。人族は飛び道具を使い弓矢や魔法を放つ事があるので、いつでも駆け出せる準備は怠らない。そうするうちに町の門が開いた。
「徴税官どの、自ら戻って来るとは! 大した度胸だッ」
「領主といえど、無礼は許しません!」
ユミルフの領主カペルスキーが私兵を従えて現れた。痰を吐いて私兵に命令する。
「かーペッ! かかれッ 捕えよ!」
「カイエン! はっ」
お嬢の号令を受けて俺は前方右側の兵士に突撃した。短距離から急加速して盾を構えた兵士を跳ね飛ばすと、予想通りに門の見張り台から弓矢が飛来した。そのまま、突進力を生かして兵士の眼前を駆け抜ければ、弓矢には当たらない。ボロ馬車を中心にして人族の兵士が混乱しているが、俺は構わずに右回りに旋回して再び突撃体勢をとった。
俺の背ではお嬢が細身の剣を構えたがそんな物は飾りだ。俺の自慢の角で一突きにしてやるッ! 号令を受けて俺は混乱する人混みの中に突撃するが、お嬢の手綱さばきに従うと余計な力を使わずに標的へ迫った。さすがに俺のお嬢は無駄がない。俺は全力で標的をひと突きにした。
「ぐわっ!」
-FUNFUN!-
髭面の男は鎧の合わせ目をぶち抜かれて地面に転がった。ついでに手下の何人かを弾き飛ばし…無礼にも背後にいた兵士を蹴り倒した。その場でお嬢が命じる。
「観念なさい! カペルスキー」
「「「 おおぉ…… 」」」
既に大勢は決したか、カペルスキーの私兵と町の衛兵たちは戦意を無くしている。ボロ馬車の周りでも河トロルの戦士が奮戦して敵を薙ぎ払った様子だ。
お嬢の号令の元で、俺たちは勝利した。
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