ep091 行商生活
ep091 行商生活
僕は港町トルメリアの倉庫街にあるアルトレイ商会を訪れた。ここは魔道具を扱う兄弟子キアヌが商会長を務める店だ。僕はトルメリアの学院へ通うための下宿としても世話になっている。
「おやぁ、マキト君じゃないかね!」
「ただいま戻りました」
商会長のキアヌは相変わらず、美中年の営業スマイルで僕を迎えた。
「旅の成果はあったのかい?」
「ええまぁ、これを見て下さい」
僕はアアルルノルド帝国の北部平原で採取した氷の魔石を見せた。
「ほう、氷の魔石と見えるが……今度は何の魔道具を作るのかな?」
「以前に作成した保温箱と氷の魔石を応用して……」
保温箱は断熱構造の入れ物で冷やした食品を運ぶには最適だ。さらに氷の魔石と魔法回路を作成すれば長期保存が可能な氷室が出来るだろう。僕は商会長のキアヌに動作原理を話した。
「うーむ。そうであれば上部で氷の生成を行い下に水が溜まる水桶が必要じゃないか?」
「そうですねぇ」
たしかに、貴族が室内で利用するなら保温箱を大型にして氷を満たすと下部には解けた氷の水滴が溜まる容器が必要だろう。氷の生成時に水をどこから調達するのか研究が必要かも。
「良しッ! 試作用と製品用に氷の魔石を買い取ろうじゃないかね」
「お願いします」
僕は氷の魔石と新製品の話を売って資金を得た。実際の設計と製品化は工房の職人たちに任せるとしよう。氷の魔石は帝国でも北部の冬季に限定された狩猟期間の物だ。ここトルメリアでは希少で高価な部類なのだが、商機を見付けた商会長キアヌは多額の現金を支払う様子だ。
「マキト君。学院の方はどうするのかな?」
「また、受講登録をすると思います」
そろそろ春期の新入生が登録する時期だと思う。新しい受講登録には入学案内が必要だろう。
「頑張りたまえ。君の部屋は残してある」
「ありがとうございます」
以前に裏手の工房部屋に下宿していた僕はキアヌの厚意に甘える事にした。
その後は町で食料品などを買い足して、町の北部にある私立工芸学舎に立ち寄り帰路についた。
◆◇◇◆◇
僕はボロ馬車に乗りトルメリア北部の荒野を走っていた。荒野にはいくつかの開拓村が点在しており、村を結ぶ様に農道が出来ている。僕らの他にも牛に荷車を引かせた農民や乗合馬車が走る街道を外れると人影は少なくなる。
「むひょー、いざ魔境へ! 魔物の調査じゃ! 楽しみじゃのぉ」
「教授っ! 落ち着くっチャ…」
「はいですぅ~」
ボロ馬車ではちみっ子の教授先生と森の妖精ポポロが乗り込んで燥いでいた。鬼人の少女ギンナも同年代と見える幼女に囲まれて楽しそうだ。
どうしてこうなった……僕は私立工芸学舎に立ち寄り来季の受講登録をして授業料を支払ったのだが、教員室でちみっ子の教授先生につかまり、研究調査に同行する事になった。ちみっ子の教授の研究テーマはトルメリア北部の荒野から魔境に生息する魔物の生態調査らしい。それに同行する森の妖精ポポロは調査研究の助手だと言うが、魔境へ行くのに護衛の者は必要だろうと思う。
「教授。あまり騒ぐと魔物に襲われますよ!」
「なんじゃわれ、魔物が怖くて研究ができるか! かっかっか」
「落ち着くっチャ!」
「ですぅ~」
こう見えても、ちみっ子教授は私立工芸学舎では古株らしく学舎でも偉そうだ。また見た目の幼さから学生の人気も高い。実年齢を女性に尋ねるのは危険だが成人しているハズだ。森の妖精ポポロは西の妖精族の出身で、僕はポポロの実家から届くお土産の醤油と味噌を楽しみにしている。西の妖精族の集落では豆類の栽培が盛んで豆類と醗酵食品が作られていると言う。ポポロの実年齢は学生並と思うが両親や兄弟と並べて見ても年齢差は分からない幼女だ。つまり、僕は見た目は幼女の三人を連れている。
ちみっ子教授のハイテンションと幼女のおしゃべりをBGMにして、僕はボロ馬車を北へ走らせた。氷の魔女メルティナはタルタドフ村に残してきたので荷物を満載したボロ馬車が泥濘に嵌るのは避けたい。そのため乾燥大地の荒野を北へ進み北部の山沿いを通ってタルタドフ村へ至る予定だ。
「おやぁ、誰か襲われておるのぉ……」
「魔物ですか!?」
僕は呑気な様子でちみっ子教授が指差す方を見た。左手の西の方から砂塵を上げる荷馬車と見えるが何者かに追われている…小型の魔物か野犬の様だ。僕はボロ馬車の進路を変えて逃げている荷馬車へ向けた。近づいて来る魔物の前方に、素焼きの球を投げ込む。
-BOMF-
爆発から紫色でいかにも危険な様子の煙が発生した。魔物の群れは統率された動きで反転し逃げ去った。
「ほほう、煙玉か……いやな匂いじゃのぉ」
「た、助かった!」
荷馬車を止めて行商人と見える男が降りて来た。
「お怪我は?」
「すまん。……ご迷惑をおかけした」
行商人の男は矢傷を負っていたが、無事の様子だ。
「傷口に障ります…【殺菌】【消毒】」
「うぅっ」
彼の手当をギンナに預けて僕は荷馬車を調べた。荷馬車に突き刺さった小枝は粗末な材料で作った弓矢と見えるので、単なる魔物ではなかったらしい。
「大丈夫ですか?」
「あぁ、近道をしたら、この有様だ……」
行商人の男の話では、近隣の開拓村を巡る道中に襲われたらしい。粗末ながらも弓矢で武装した盗賊の様だが背丈は野犬の程と思える。乾燥大地で荷馬車が巻き上げる砂埃に紛れて正確な姿は見えなかった。
僕らは途中の開拓村まで行商人の男と荷馬車を送り届けた。
………
次の日、開拓村で野営した僕らは道も無い荒野を北東へ進んだ。予想外な事に行商人の荷馬車が僕らの後を追尾している。僕が振り返って後方を見ると行商人の男は親しげに笑みを浮かべて手を振る。どうやら僕らを無料の護衛として利用するらしいと…この先に開拓村は無かったと思うが…道無き道は岩石地帯に入った。荒野には小山の様な巨石から人の数倍の巨岩まで大小の岩が疎林のように並んでいる。馬車は岩の間を縫うように北へ進む。
「ふむ。面白い地形じゃのぉ。こういう岩場にも適応した魔物がおる…」
「ッ!」
ちみっ子教授による魔物生態学の講義が始まると思われた。その時、岩に擬態した魔物と遭遇した。
-HU!GAAAW-
「止まれッ!」
全身が岩石に覆われた巨人だ!巨人は馬車の二倍もあり手足は異様に大きいが腕が長く足が短い。縮尺を違えたかの様な体形は岩オーガ族だ!以前に聞いた話では、ここの岩オーガの主食は岩石だが人間の肉も喰らうらしい。乾燥大地ならば人間の血肉は果汁の類だろうか。
岩オーガの巨人が太い岩石の腕を振るい暴れる眼前へ、鬼人の少女ギンナが飛び出した。巨人の足元に飛び込んだギンナは手にした重石のハンマーを振るう。ガツン!と岩が衝突する音を立て、ギンナが怪力を発揮すると岩オーガの巨人が転倒した。それを見て森の妖精ポポロが水筒を巨人に投じると、水滴に混じり小石の様な物が巨人の頭に降りかかる。
「フリュトレの種!伸びよ…【繁茂】」
森の妖精ポポロが呪文を唱えると蔦植物が伸び出して岩オーガの頭に絡み付いた。そのまま地面に拘束される。僕はツバ広の帽子を取り出し被った。
「待て! 僕らは 敵じゃない」
「HUGUU……」
僕は鞄から魚の干物を取り出して岩オーガの眼前に掲げた。岩オーガの視線とは別にもう一枚の魚の干物を取り出して左右の手に持つと、岩オーガの視線が動いた。
「話を 聞いてくれるか?」
「HUU ナンダ」
次第に岩オーガの巨人の興奮が収まるのを感じて僕は交渉を続けた。さらにもう一枚の魚の干物を取り出して岩オーガの眼前に並べる。
「ここを通してくれ 魚の干物を三枚 あげる」
「……イイダロウ」
交渉が成立した様で、恐る恐るも岩オーガの巨人の拘束を解放した。
………
岩石地帯を抜けて進むと湿地を流れる河川の流れがあった。僕は湿地の進路を選んでボロ馬車を走らせる。この馬車は車体も車輪も改造して湿地から浅瀬まで対応しているが、行商人の荷馬車は湿地を上手く走行出来ない様子だ。ここで別れるのも止むを得ないだろう。
「ま、待ってくれ! 魔法使いの旦那。俺も連れて行って下さい!」
「あっ……」
行商人の男は持てるだけの荷物を背負い馬車を捨てて徒歩で追いかけた。僕は行商人の男の様子に呆気にとらわれていたが、仕方なくボロ馬車を停めた。
「仕方ないですねぇ……荷台に乗って下さい」
「すまん。恩に着る!」
強引に僕らと同行する行商人の男はベンリンと名乗った。僕らの目的地の開拓村まで行商に行くと言うが本気の様子だ。悪い男には見えないが警戒しておこう。
僕らは河トロルの助けを借りて河川を渡り、タルタドフ村の南の開拓地に帰還した。
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