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客その3 ー情緒不安定男ー

「乙女姉さん、例のお客さんからさっき電話が入ったんで、10時に入れておきましたから」

 控えの部屋で休憩してると、リュウちゃんが言った。

「そう、分かったわ」


 何かあったのかしら。


 二年ほど前から結構頻繁にやって来る常連客で、私は通常予約以外の飛び込みは引き受けないのだけれど、このお客にだけは特別それを許している。

 特別に好意を持っているとかそういうんじゃなくて、ただ単にこの男は恐ろしく情緒が不安定で、放っておけないのだ。


 この男が初めてお店にやって来た時の事は、今でも鮮明に覚えている。

 この男、カツラにサングラスにマスクという、明らかに変装と分かる出で立ちでやって来た。

 もちろん店に入るところを見られたくないお客は他にも大勢いるし、顔を隠したり変装したりする事自体は珍しくもなんともない。

 でもそれは入店するまでの話で、女王様を前にして頑として変装を解こうとしない客など見たことも聞いた事もない。

 本物の女王様だったら即刻追い出すところだろうけど、私はエセだし、自分も仮面を付けて営業している身の上、男を責めることは出来なかった。

 まぁいいかとそのままプレイに入った。


 言葉責めがいいのか、実際にぶたれたいのか、辱められたいのかよく分からなかったから、率直にどうして欲しいのか聞くと、途端に慌てふためいて挙動がおかしくなった。

 そして、私が鞭を持っているのを見て、思い付いたように、では、鞭でお願いしますとぼそぼそと言う。

 マスクのせいか、声が聞き取りにくい。


 腑に落ちないながらも、とりあえず男の言う通りにしてやれば、歯をくいしばり顔を歪めてじっと痛みに耐えている。

 どう見ても愉しんでいるようには見えない。

 恍惚とした表情は微塵も見せず、顔の殆どが隠されているけど何となく分かる、ただひたすら我慢しているのだ。


 この男、本当にM男なのかしらと私が訝しんでいると、とってつけたように気持ちイイですと言う。

 全然、気持ちよさそうじゃないんですケド。


 SMの体験をしてみたくて、おためし入店でもしたのかなと思っていれば、大金の入った紙袋を取り出して、いくらでも貢ぐから女王様を辞めて欲しいと言ったり、おいおい泣きながら頭を床に擦りつけて謝ってきたり、とにかく行動が意味不明。

 何が何だかよく分からないけど、男が何かに後悔して酷く落ち込んでいるのだけは分かったから、床に擦りつけていた頭を撫でてやった。

 男には何となく、鞭よりも温かい抱擁が必要な気がしたのだ。


 それからというもの、頭を撫でられたのが余程気に入ったのか、繁々と通って来るようになる。

 調子のいい時は頭を撫でてやったり、手を握ってやったり、軽いスキンシップをしてやればご機嫌で、調子が悪い時は鞭で打ってくれと号泣して私に謝罪する。

 私を一人占めしようとして偽名で予約を入れたり、店に貢物を大量に送って寄越したり、いろいろ問題の多いお客だけど、どこか憎めないのよねぇ。

 

 部屋に入ると男はいつものように正座をして待っていた。

 カツラにマスクに、サングラスは私の顔がよく見えないからという理由で仮面に替えられていたけれど、相変わらず服も着たままだ。

 

 先週も会ったけど、男の精神状態はここのところあまり調子がいいとはいえなかった。

 顔を隠していても思い詰めた表情をしているのが分かる。


 私がお店を辞める日が近付いて来て、やっぱり不安になってきちゃったのかしら?

 大体、私がお店を辞めるって話をした時、この男ってば、物分かり良くあっさり承諾するんだもん、おかしいと思ったのよ。

 絶対にごねて拗ねると思ってたから拍子抜けしたのだけれど、あの時は、きっと無理してたのね。


「あのね、ちゃんとあなたのことはお店に話してあるから、心配しなくていいのよ?」

 男の正面に同じ様に座り、両方の手を取って話す。

 この男は、おかしなところは大いにあるけれど、無理矢理従わせようとしないで、話し合いで妥協点を見付けてやれば大人しく言う事を聞く、扱いさえ間違わなければ、金払いのいい上客なのだ。

 お金に目がない種類の女王様なら、少々は目を瞑ってこの男に合わせてくれるに違いない。


「俺はあなたに優しくされる資格なんてない酷い男なんです。どうか、俺に罰を。鞭を下さい。こんな俺を、馬鹿な俺を許して下さい」

 

 男はいつものように、鞭で打たれながらくぐもった声で謝罪し続けた。 





 週明けの月曜日のお昼、いつものように赤澤さんが食堂に行こうと誘いに来てくれた。

 手にはクッションが握られている。

 また、持病の痔が悪化したみたい。

 赤澤さんは若いのに痔持ちみたいで、時々こうして椅子に座れなくなるほど痛みが酷くなる。


 今も、固い食堂の椅子に持ってきたクッションを敷いて、痛くないよう位置を模索しながら、腰かけようと試みている。

 派遣の女の子達が、私達をチラチラ見てはくすくす笑った。


「恥ずかしい思いをさせて、すみません」

「気にしないで下さい。私は全然平気ですから。だけど、赤澤さんこそ、わざわざ私に合わせて食堂に来なくてもいいのに。痛みが酷い時は無理しないで下さい」


 赤澤さんは背も高いし、優秀だし、顔だってきりっと整っていて、派遣の子達に馬鹿にされる筋合いは全くないのだけれど、カッコいい垢抜けたエリート商社マンを狙っている若い女の子達からすると、赤澤さんは四角四面の堅物ダサ男と映るのかも知れない。

 そのダサ男と行き遅れの地味女のツーショットっていうのが、彼女達には滑稽なのだ。


「そんな事言わないで下さい。僕は少しでも乙女さんと一緒にいたいんです。乙女さんと過ごせる時間は、一秒たりとも無駄に出来ません。僕は、叶うなら一日中、一生だって共に過ごしたいんだ!」

「あ、赤澤さん、声が大きいです!」


 派遣の女の子達ばかりでなく、食堂にいた人達全員がこちらを見ている。

 海外帰りって、ホントに困る。

 プロポーズともとれるような言葉をさらっと口に出しちゃうんだから。

 

「す、すみません。つい、興奮してしまって」 


 衆人環視の中、私達は急いで食事を済ませ、食堂を出る。

 お尻を押さえて歩く赤澤さんの後ろ姿が、昨日、私が鞭で打った男と重なった。






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