裏事情2
昼休み、乙女に交際の返事を迫り、OKの返事と携帯番号をゲットした。
その後本来の仕事をこなすために、いつも通りT&Oコーポレーションの自社ビルに戻ったが、仕事は全く手につかなかった。
俺は一体何をしてるんだ!
また乙女に正体を隠し騙すような真似をして、乙女を傷付けるつもりなのか!?
フーと大きく息を吐き出し、先ほどの言い訳じみた電話の内容を振り返って自己嫌悪に陥る。
好きだ、愛してる、誰よりも大切にしたい、どれも正真正銘、嘘偽りない本当の気持ちだ。
だが、何度繰り返しても、乙女に対するこの誠実さを欠いた己の行いを改めない限り、乙女に伝わるはずもない。
俺は馬鹿だ! なんであの時、偽名を使って逃げてしまったのか!
勇気を出して正直に名乗り、謝罪して、リスタートを切るべきだった。
今だって、本当はそうすべきなんだ。
分かってはいるけれど、あの時と同じで、俺は乙女に断罪され関係を断たれるのが怖い。
親しみを込めた眼差しやはにかんだ笑顔を向けてくれる愛らしい乙女をもう二度と失いたくない。
フッ、自嘲の笑みがこぼれた。血は争えないな、俺も母と同じだ。
俺は西園寺家次期当主である兄のスペアとして生を受けた。
跡継ぎが必要な旧家では、正妻に男子が無ければ愛人に男子を産ませるのはよくある話だ。
ただ俺の場合は少々事情が異なる。
親父が選んだ相手は、愛人ではなく長年親父に仕えていた優秀な部下だった母だった。
親父が望む跡継ぎは、兄の代わりに西園寺グループを率いていくに相応しい人材だ。
人選としては間違ってはいない。だが、それが悲劇の始まりだった。
母は親父が好きだった。
身分違いの恋にずっと身を焦がしながら、それを親父に気取らせることなく一番傍で親父を支えてきたのだ。
愛は得られなくとも、親父との強い信頼関係が自負となり、彼女を支えていた。
だから、あの時、幼い兄と妊娠中の正妻を乗せた車が事故に遭わなければ、彼女は邪な野望を抱く事も無く、今でも一番近くで献身的に親父を支え続けていただろう。
周到な母は親父を西園寺グループのためだと説き伏せ、警戒されないように出産契約を交わし、愛しい男と叶うはずのなかった恋を成就させた。
母には幼い頃から厳しく育てられたが、愛しい男との間に出来た子供だ、愛情はあったと思う。
子供ながらに自分の家が、周りの友人達の家庭とは違うという事も分かっていたけど、時々家にやって来る父親と母と三人で過ごす時間は確かに幸せだったのだ。
それが狂い始めたのは、中学受験を間近に控えた六年生の時だった。
西園寺家の子供が代々通う超難関中高一貫校への受験を父親が渋ったのだ。
理由は兄がそこの高等部に通っているから。
俺の塾での成績はトップクラスで、どこを受験しようが合格は間違いなしと太鼓判を押されていたから、父親のその言い草は母にとっては我慢出来ないものだった。
また、その頃には状況も様変わりしていて、生死の境を彷徨った兄は、奇跡的に回復して無事に成長していたし、母の恋情に気付いた父親は、俺に会いに来ても家には泊まらなくなっていた。
母の生きがいは、当初の目的である、西園寺グループを率いる総裁に相応しい人材に俺を育て上げる事となった。
そうすれば、父親の歓心を買えると思ったからかも知れない。
母は父親の言葉を無視し、俺は兄と同じ学校に通う事になる。
その事が父親の逆鱗に触れた。
父親はこの家に寄り付かなくなり、その結果、父親に会えなくなった母の精神は崩壊の一途を辿る。
俺が出来る唯一の事は、ただひたすら優秀さを周りに示し、母を安心させてやる事だった。
だが、それもほんの一時の時間稼ぎにしかならなかった。
公にはされなかったが、思い詰めた母は兄を殺そうとした。
父親の愛情を得られないのも、優秀な自分の子供が跡継ぎになれないのも、全て兄が生きているせいだと凶行に及んだのだ。
母は父親によって精神病院の閉鎖病棟に入院させられ、俺は西園寺家に引き取られた。
兄もおばさんも悪い人ではなかったが、俺の居場所が西園寺家にあるはずがなかった。
だから、ひたすら学業や部活に打ち込んで、何も考えないよう自分をごまかして生きていた。
俺の世話は全て父親の部下である竹下という人に任され、父親すら自分を避けて暮らしているように感じた。
兄が無事に成長した今、西園寺家にとって俺はもう必要のない人間どころか、邪魔な人間だったのだ。
高校進学を機に、一人暮らしをする事を父親に望んだ。
厄介者の俺が居なくなって、父親も使用人も西園寺家で暮らす全ての者が喜んでいるに違いない。
俺の心は荒みきって、荒れた生活を送るようになる。
高2の夏、業を煮やした父親に連れ戻されそうになって、俺は有り金を握り締めて逃げた。
粋がってみても、所詮は金に苦労などした事がない坊ちゃん育ちの俺に生活能力は無く、ホームレスになって行き倒れ寸前のところを偶然シュウに助けられた。
シュウとは自暴自棄になって喧嘩ばかりしていた時に街で知り合った。
2コ上の当時高3だったシュウは、やさぐれていた俺を気にかけて、会えば声を掛けてくれていた。
シュウに出会えた俺は幸運だった。
シュウが住む場所(酷いぼろアパートだったけれど)や職の面倒を見てくれたからだ。
日雇いのキツい肉体労働だったけれど、そこには誰のためでもない、操り人形ではない俺自身の確かな生があった。
乙女は、その日雇い仕事の人夫を纏めている土建屋の娘で、人夫達の間ではアイドルのような存在だった。
この辺りでは有名な女番長らしいけど、両親に似た懐の深い、情に厚い女だった。
シュウからは乙女には絶対手を出すんじゃないぞと言われたけど、俺達は磁石のように引き合い、恋に落ちた。
俺にとって、乙女は初めての女ではなかったけれど、愛した女の柔らかな身体は特別だ。
最高の快楽を与えてくれたし、孤独に軋み喘いでいた心は乙女の深い愛情で満たされ、これまで味わった事がないほどの幸せを感じた。
俺は乙女に溺れ、乙女もまた俺に溺れた。世界の全てが美しく、二人でなら何をしても楽しかった。
乙女、ごめん・・・




