客その1 ー医者ー
「お前はいつから神になったのじゃ」
今日の私は、天界に住む女神様をイメージして、髪をゆるく結い上げ、白い着物を羽織っている。
顔を隠す仮面も、衣装に合わせて白い。
私は、客にも仮面を付けさせている。
だって、嫌じゃない、街でばったりとか!
取引先の社長とか、未来の旦那様のお父さんとかなんて事になったら、マジ気まずくて困る!
何と言っても、私エセだし、ただのアルバイトで人生を棒に振りたくない。
目の前でパンツと仮面だけをつけてひざまずく男を睥睨して、先ほど聞いた男の懺悔の言葉に答えてやった。
この中年の男はどっかの病院の偉いお医者さんみたい。
自分の患者が亡くなると、こうして私に懺悔をしに来る。
匿名性がウケたのか、私のゆるい調教がウケたのかよく分からないけど、私のお客さんには社会的地位のある人が多い。
求められるサービスも性的なものじゃなくて、弱音とか愚痴とかを聞いて欲しいとか、日頃の責務や重荷を下ろして包容されたいとか、叱られたいとか、そんな感じが多い。
真性のMさんは、本物かどうかを本能的に嗅ぎ分けられるのか、私からは自然と離れて行く。
あ、一人だけ、私にぶたれるのが気持ちイイっていう本当に気持ちの悪い奴がいたっけ。
偉くなればなるほど、メンツを気にする男は特に弱音を吐く場所を失っていく。
わざわざこんなとこで高いお金払って零すより、妻にくらい甘えて愚痴を零しても罰は当たらないと思うんだけどな。
「人間の分際で、生死を左右しようなど、片腹痛いわ。身のほどをわきまえよ!」
持っていた扇子で肩をピシャリと打ち、その扇子で男の頭を床に押さえ付けていく。
男の商売道具である顔や手を傷付けないように気をつけて、締め上げてやらないと。
「申し訳ありませんっ。私は驕っておりました。どうぞ罰して下さい」
「よい心がけじゃ。決して驕ってはならぬ! 傲慢になった罰を受けるがよい」
男は罪悪感から逃れるために罰を受けたがっている。
偉くなれば、自分を叱ってくれる者もいない。
ただ、重い責務だけがのしかかってくる。どれだけ放棄したくとも。
ここにいる時だけ、この男はその責務を私に丸投げして、ただの下僕と成り果てる事が出来るのだ。
正午。
私は机を綺麗に片付けて、昼休みの食事に出掛ける用意をする。
そろそろ来るかな。
そわそわして待っていると、黒い髪をぴっちり七三に分けた銀縁眼鏡の赤澤さんが、お昼ご飯のお誘いに来てくれた。
「乙女さん! 出られますか?」
「はいっ」
私は隣の席のパートのおばさんの容子さんに声をかけて、赤澤さんの後を追った。
赤澤祐一さんは、うちの会社を企業買収した会社の人で、その企業買収に関連して、査察だかなんだかでうちの会社の総務部統括課に三ヶ月前に出向してきた。
出向して間もない頃、たまたま胃痛をおこしてうずくまっていた赤澤さんを、私が介抱して助けた事があって、それをきっかけに彼と付き合うようになった。
年齢は同じ27歳だけど、この見た目とか、落ち着いた雰囲気とかで、随分年上に見える。
一応上司になるから(私の所属は総務部庶務課)、お付き合いは出来ないとお断りをしたのだけど、直接の上司である庶務課長から、生理的に受け付けないのでなければ付き合って、ご機嫌をとってもらいたいと頼まれた。
私の理想の男性は、堅い職業についていて、チャラくない真面目な人、年上なら尚良しって感じで、赤澤さんは条件にバッチリ当てはまる。
名前も普通っぽくていいし。
少女漫画に出てくるような名前は絶対にダメ!
西園寺司とか、西園寺司とか、西園寺司とか。
だから、そんなふうに頼まれたのは好都合だった。
最初に断ったのは、社内恋愛厳禁の会社ではないものの、同じ社内で付き合うのはいろいろと面倒かなと思っての事で、嫌いってわけじゃなかったから。
「今日は乙女さんの好きな唐揚げ弁当です。はい、どうぞ、召し上がれ」
私達は近くの公園のベンチに二人並んで腰掛けて、赤澤さんが買って来てくれたお弁当を食べる。
「いつもすみません。買って来てもらってばかりで。おまけに赤澤さんは、代金も受け取ってくれないんですもの、何だか申し訳なくって」
「気にしないで下さい。こんな厄介な新参者の僕とお昼ご飯を食べてくれるだけでありがたいと思っているのですから」
赤澤さんはニッコリ笑って、自分の唐揚げの一つを箸でつまんで、はい、おまけと言って私のお弁当にのせた。
ポットまで用意して、温かいお茶まで入れてくれる。
私には、いつもニコニコして、かいがいしくお世話までしてくれる優しい赤澤さんだけど、会社の役員達、つまりうちの会社のお偉いさん方にはすごく手厳しいらしくて、皆、震え上がっているとか。
下っ端はリストラされないって話だけど、役員達は赤澤さんの評価次第でリストラの憂き目に合うかも知れないって、それはもう一生懸命仕事をしているらしい。
そのためか、企業買収されてから収益は上向きで、給料も上がるらしいよとの噂がチラホラあったり。
とにかく、馬鹿な私でも赤澤さんの手腕がすごいって事だけは分かる。
「そんな、厄介だなんて。役のついた人はともかくとして、少なくとも私達平社員は赤澤さんが来てくださって良かったと思っていますよ。業績が上がっているから、給料も上がるらしいよとかいう噂まで出てますし。ほんの数ヶ月でこんなに違うものなのかと皆驚いています。感謝していると言ってもいいくらいです」
これは、おべんちゃらじゃない、本当の話。
うちの会社って創業者一族が蔓延っていて、バブルの時は時代にも後押しされて上り調子だったけど、バブルが弾けてからというもの、業績はがた落ちで、立て直しを図るにも、隠蔽体質っていうか、風通しが悪いっていうか、組織が上手く回らなくて、能力を発揮出来ないどころか優秀な人は会社に見切りを付けて辞めてしまうという悪循環に陥っていた。
「そうですか。僕と付き合う事で乙女さんが肩身の狭い思いをしなくて済んでいるのなら、良かったです。乙女さん達の給料が上がるのは本当ですよ。業績が上がっているからというよりは、給与体系を見直したのです。今までは役員が厚遇され過ぎでしたからね」
「本当ですか!? すごく嬉しいです!」
私が喜ぶと、赤澤さんは本当に嬉しそうに笑う。
その嬉しそうな顔を見ると、私もつられて嬉しくなってしまう。
「公私混同でやっているわけではありませんが、乙女さんに喜んでもらえると、とても嬉しいですね。頑張った甲斐がありました」
それに、赤澤さんは紳士的でいつもこんなふうに甘い言葉をくれる。
照れ臭くて、どんな顔をしていいのか分からない。
恥ずかしくて思わず下を向いてしまった。
すると、赤澤さんが急にそわそわし始めた。
あ、ヤバい。これはマズイ流れかも。
「乙女さん!」
「はい!」
「そろそろ、お付き合いを始めて二ヶ月になります。お返事を聞かせてくれませんか?」
き、来たー!!
ヤバいヤバいヤバいヤバい!
私はお付き合いの承諾の返事をした時に、条件を出している。
赤澤さんがどんな人物かも分からないのに、個人情報を明かすようなお付き合いは出来ない、二、三ヶ月はお昼休みの時間だけ会う事にして、お互いを知り合い、お互いにその後で本格的に恋人として付き合うかどうかを決めましょうと。
あの時は二、三ヶ月あればなんとかなると思ってたのよね。
私には重大な隠し事があるから、親密な付き合いなんて誰であろうと出来るような状況じゃない。
だから、綺麗に精算するための時間稼ぎとして期間をもうけたのだけど、私が先月いっぱいで辞める(予約を受けている分は消化すると言ってあった)と聞いた途端に常連さんが予約を入れまくって、半年先まで予約が詰まってしまった。
赤澤さんの事は嫌いじゃない。というより、好感を持っているし、是非とも結婚したい!
赤澤さんとなら、私の念願とする平凡な普通の家庭を持てそうなんだもん。
愛情はぼちぼち育んでいけばいいと思うのよね。
適齢期は今なんだから、好物件を逃すわけにはいかないわ。
ああ、だけど、例のアルバイトの事を知られたらおしまいだ。
副業してた事がバレたら、お付き合い云々ばかりか、仕事までも失う事になってしまう。
どうすればいいの~。




