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客その6 -不眠症の男ー

 土井良一先輩は大学時代にとてもお世話になった先輩だ。

 僕は医学部の二つ下で、馬術クラブの後輩でもあったから、特に目をかけてもらっていた。

 夜飼いの当番で一緒になった時には、馬に関してだけでなく学部の勉強も教えてもらったし、ノートを借りたり重要なポイントをレクチャーしてもらったり、先輩のお蔭で試験に困った事は一度も無かった。

 馬を愛し、人を愛し、困った時にはいつも手を差し伸べてくれる、博愛の精神が豊かな優しい先輩だった。


 卒業後も大きな病院の跡取り息子なのに実家に戻らず、最新医療の研究を続けたいからといって、安い勤務医のままずっと大学に残っていたのも、志の高い先輩らしいし、長く意志を貫く姿は立派だと思う。


 そんな尊敬する先輩が行けと言うから、貴重な予約がパアになるって言うから、僕はやって来た。

 再生医療学会で偶然会った土井先輩に、僕はただ世間話の一つとして、最近不眠症なんですと話しただけなのに。


 ここへ行ってこいと、渡された紙に書かれていた住所を見て、なんとなく予感めいたものはあった。

 ただ、愛妻家の先輩と新宿歌舞伎町が全然結び付かなくて、正直戸惑う。

 だけど、僕が根を詰めてしまうタイプなのを知っている先輩が心配して、息抜きをして来いと送り出してくれたのだろうと思った。


 その時も、はっきり言ってありがた迷惑だと思った。

 しかし、恩義ある先輩の顔を潰すわけにもいかず承諾して、とりあえずやって来たわけだけど、いや、まさか、先輩がこういう趣味の人とは思いも寄らなかった。

 先輩はどういうつもりで僕をここに寄越したのだろう。

 もしかして、僕も同類だと思われたのかな。

 それとも、気合いを入れるために、鞭で打ってもらえという事だろうか。

 処方箋は各々違うからなと言って、先輩は何も教えてくれなかった。

 

 覚悟を決めて、恐る恐る部屋に入る。

 店員の言う通りに、下着と仮面だけを身に付けて女王様を待っているわけだけど、とても心許ない。


 しばらくすると、奥の扉から女王様ではなくて弁天様がやって来た。

 立って待っていた僕に、弁天様はそこに座れと扇子で床を指し示し、自らは一段上にある豪華な椅子に座る。

 ちょっとホッとした。

 良かった! てっきり鞭を持った怖い女王様が出て来ると思ってたけど、すごく綺麗な女性だった。

 弁天様に希望はと聞かれて、先輩に不眠症を治してもらってこいと言われたのを思い出した。

 処方箋がどうのとも言ってたし、この(ひと)は、ヒーラーかも知れないと思った。

 風俗嬢のヒーラーとか、なんかそういうの聞いた事がある気がする。


 僕は日常の生活から症状までこと細かく説明した。

「ふーん、要するに、あなたは眠りたいわけね? 簡単じゃない。今すぐ眠らせてあげるわ。私に任せて!」

 弁天様は、やっぱりヒーラーだった。自信もあるみたいだし、有り難い。

「本当ですか?! 薬を飲んでも朦朧とするだけで、本当にしつこい不眠症なんですけど」

「簡単よ。落とすだけだもの」

「お、落とす?」

 一瞬、柔道の締め技が頭をよぎったけど、ヒーリング用語では、眠らせる事を落とすと言うのかも。

「首を絞めるのが一番簡単だけど、それじゃあ一過性のものになっちゃうから、あなたの場合は鞭で打つ方が効果があると思うわ」

 げ、やっぱりそっち?!

「ちょっと待って下さい! 僕を鞭で打って気絶させようっていうのですか? 僕は眠りたいだけで気絶したいわけじゃありません!」


「ねぇ、あなた生命の危機に晒された事ある?」

 はぁ? 一体何の話だ? 

「ほら、戦争経験のある人が大抵の事に驚かないのと一緒よ。出産経験のある女性が大抵の痛みになら耐えられるってやつ」

 全く意味が分からない。

「分かんないかなぁー、つまり、死ぬほどの痛み?死にたくなるほどの痛み?に耐える事が出来れば、大抵の悩みや苦しみなんて、あれよりはマシって思えるようになるわ。最後にはちゃんと寝かせてあげるし、任せてちょうだい」

 ええええええええーーーーーーーーー。この(ひと)、何言ってんの!? 頭がおかしい。狂ってる!

「じょ、冗談じゃない!! 僕は、いやです、いやですよ! そんなの全然根本治療になってないし!」

 冗談じゃない! 何がマシになるだ! 

 こんなところに長居しても意味がない! 早く帰ろうと思って立ち上がると、ビシッと長い鞭が床を打った。

 ひっ! 

 

 振り返ると、女王様が鞭を片手に椅子から下りてゆっくりとした動作でこちらにやって来る。

 怖い。逃げなきゃと思うのに、足が竦んで動かない。

「そんなに怯えなくても大丈夫なのに。ちゃんと死なない程度に、上手に痛めつけてあげるわよ?」

 美しい顔を僕に近付けると赤い唇をつり上げ妖艶に笑った。

 僕は初めて、蛙の気持ちが分かった。喰われると分かっていても、自分ではどうにも出来ないのだ。


 格好は弁天様でも、中身はサディストだった。

 女王様は動けなくなった僕に首輪を嵌め、犬のように鎖で繋いで壁際に連れて行く。

「あの、ありがとうございました。もう、結構ですから。お金はちゃんと払いますから、もう解放して下さい。お願いします」

「残念だけど、そういうわけにはいかないの」

 壁に手をつかせて、背後に回ると目隠しをされた。まるで今から処刑でもするかのように!

「本当に止めて下さい。僕にそういう趣味は無いんです! ただ、人に言われて来ただけで!」

「うるさいわねぇ。ここまできたら、男らしく覚悟を決めなさい。大丈夫、最後には気持ちよくイカせてあげるから」

 僕だって、ずっと研究に従事してるけど、医者のはしくれ、あんなもので打たれたら、皮膚だけじゃなく筋組織まで裂けて、場所によっては後遺症だって、とてもただで済むとは思えなかった。

「イヤだー! 誰か助けて下さい! 訴えるぞ! もし、僕を鞭で打ったら、暴行で訴えてや、うぐ!!」

 女王様に猿轡をされた。

「馬鹿ねぇ、ここがどういう場所か知ってるでしょう? うふふ」


 もう、気を失ってしまいたい。

 そう言えば、ずっと寝不足で頭も朦朧としている、やろうと思えば出来そうな気がした。

 

「あら、気を抜いてはダメよ? 歯を食いしばりなさい。不意打ちが一番危険なの。私がいくら手加減したとしてもね」

 女王様にバレて、意識を手離す事も出来なくなった。

 家に帰りたい! 妻や家族に会いたい! 怖い! 怖い! 誰か!


「さあ、行くわよ!」

 女王様が鞭を振り上げたのが気配で分かった。





 

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