客その5 ー旧家のお坊ちゃまー
「ねぇ、たーさんはもうどこからどう見ても立派な当主よ? 私はもう必要ないわ。お土産持って高いお金払って、わざわざおしゃべりしに来なくてもいいのに」
上品なスーツに身を包んだ中年男が、執事のように優雅にお茶を淹れ、お土産の上級菓子を添えて私の前に差し出した。
「乙女様、そんな事言わないで下さいよ。乙女様は僕の永遠の師なんです。どこまでも付いて行くつもりだったのに、僕達を見捨ててお店を辞めてしまうんですからね、当然、最後の日までご一緒させていただきます」
・・・・・・
「一応、申し訳ないとは思っているのよ? でも、ほら、私も年だし、やっぱり若い女王様の方が元気があって、店もリフレッシュしていいと思うの」
「そうですね、では、お店は辞めるとして、個人的にされてはどうですか? 乙女様なら、僕も含めて支援を申し出る下僕が他にもいるでしょう?」
・・・・・・
「たーさんの気持ちは嬉しいけど、ごめんなさい、無理よ」
たーさんの言う通り、他の常連客にも辞めると言った時から、同じような申し出をずっとされてる。
その筆頭はシンさんで、祐一さんの事を話してあるにもかかわらず、結婚してもカウンセリングだと言って続ければいいって、ずっと言ってる。
場所はシンさんのタワーマンションがあるし、祐一さんはヘタレな奴だから、バレたとしても見て見ぬ振りをするだろうって、ほんと訳分かんない。
「そうですか。残念ですけど、仕方がありませんね。でも、僕はまだ諦めませんよ。最後の日まで口説く所存です。乙女様、僕は乙女様に命を救われたと思っています。どうか、困った時にはいつでも僕を頼って下さい。いいですね」
この男、ここにやって来た頃はげっそり痩せてひょろひょろのヨレヨレだった。
なんでも、お嫁さんとお姑さんの仲がものすごく悪くて、二人の間で板挟みになっていたらしい。
父親が健在の頃は、父親が母親の宥め役でなんとかやって来れていた。
ところが、父親が他界してからというもの、毎日二人から文句や悪口の集中砲火を受けて食欲は減退、どんどん痩せて最近では胃潰瘍も患って、自分は二人のせいできっと早死にするのだと嘆いていた。
いわゆる家柄と金を結び付けるための政略結婚だったとか。
嘆いてばかりのお坊ちゃまに、私はお気の毒にと慰めるのではなく、しっかりしろと鞭をくれてやった。
最初はヒーヒー泣いていたけど、帰る頃には憑きものが落ちたように晴れやかなさっぱりした顔になってた。
「うん。たーさん、ありがとう」
あれから祐一さんとは毎週日曜日、モーニングデートに出掛けている。
祐一さんが本社に戻って毎日お昼に会う事は無くなったけれど、電話は毎日くれるし、週一のデートは楽しくて、以前よりずっと祐一さんを近くに感じる。
今日、ドライブに出掛けた車の中で祐一さんに初めてキスされちゃった。
キスはずっと苦手だったけど、祐一さんのキスは優しい思いやりに溢れてて、全然イヤじゃなかった。
結婚に向けて、一歩進めたと思う!
キスか・・・
キスと言えばあの男、あれ以来、図々しくも女王様に奉仕する度、ご褒美のキスを強請るようになってしまった。
叱りつけて、男に応じなければいいと思うのだが、私はどうにもあの男に弱い。
姿は全然違うのに、拗ねて、ふてくされる仕草がなんとなく司に似ていて、憎めないのだ。
『乙女が好きだ! ずっと俺の傍にいてくれるか?』
『一生懸命働くよ。乙女のためなら、俺、何だって我慢出来る!』
土木作業なんて向かない綺麗な手をしていた。
『乙女、俺と結婚してくれ! 家族が出来たら、一緒に動物園や遊園地に行きたいんだ。俺、行った事がないからさ』
あの時から、司の夢が私の夢になった。
『金を沢山稼ぎたいよ。乙女に何でも買ってやりたいんだ! プランはあるんだ。俺は、乙女さえ傍にいてくれたら、何だってやってみせる!』
司・・・
『司様はアメリカに旅立たれました。乙女様には大変世話になったと』
『手切れ金です。今後一切、司様とあなた様は無関係ということで、お願いします』
『司様は西園寺グループのために生を受けた方なのです』
『待っていても時間の無駄ですよ。十年は戻って来れないでしょうからね』
『司様には婚約者がいるんです。あなた、邪魔なんですよ』
『忘れなさい。それが、あなたの、ご家族のためです』
あれから十年、司は日本に戻って来たのだろうか。
「今日は首輪で繋いで、お仕置きプレイですか? 俺はお仕置きより、女王様に溺愛されるペットの方が好みなんですけど」
男に首輪を付けて、繋いだ鎖をどこに括り付けようかと思案していると、明瞭な声で男が言った。
この男、あれ以来マスクは外し、そしてよく喋る。
「女王様のお膝の上で撫で撫でされるのを所望します」
・・・・・・
「残念だけど、あなたはケダモノだもの、ペットにはなれないわ。襲いかかってくるといけないから、しっかり繋いでおかないとね」
「襲いかかる?」
「とぼけないで。あなたこの前、ご褒美のキスの時、私に襲いかかったでしょう? 忘れたの!?」
「女王様とのイベントは何一つ忘れたりしませんけど、もしかして、ちょっと舌を入れた、アレですか? 襲いかかったなんて、大げさだなぁー」
「は? 私が動けないように押さえ付けたくせに」
「女王様が逃げる素振りを見せたから、頭をほんの少し抱えただけですよ? それに、結局女王様からアッパーを食らって、何もしてないのに顎を砕かれた俺の方が被害者です」
ああ言えばこう言う!
「砕けてないじゃない!」
「砕けてますよ、俺の心は。女王様が余りにも冷たいから。女王様が愛してくれないと、俺の心は砕かれたままです」
・・・・・・
「よく吠えるケダモノだこと。猿轡も必要みたいね」
「女王様、女王様のお仕置きにじっと耐えた俺にご褒美のキスを下さい」
「嫌よ」
「どうしてですか? 女王様が勝手に下僕の俺を捨てて店を辞めるから、俺はもう二度と女王様に会えないんですよ? そんな哀れな下僕のわずかな願いも、女王様は叶えられないって言うんですか?」
・・・・・・
「分かったわよ。だけど、この前みたいなのは許さないからね」
「分かりました。この前みたいな事にはなりません」
「じっとしててよ」
恐る恐るちゅっとした途端、やっぱり男が私の頭を押さえ、深くキスしようとする。
予感はあったから、口を真一文字に塞いで舌の侵入を阻止した。
図々しいヤツ! アッパーを食らわせようとするが、その腕は掴まれてしまった。
しまったと気を取られた隙に舌をねじ込まれる。
私の左手と頭は男の右手と体でがっちりとホールドされ、右手は男の左手に掴まれて身動きならない。
「んっ、んぐ」
男に好き勝手に唇を奪われたままでは、乙女の名がすたる。
三方向から、すなわち噛みつく、踏みつける、蹴る反撃を試みようとした時、男が飛び退った。
「おっと、危ない危ない。さすが俺の女王様ですね、手強いです」
「許さないと言ったはずよ!」
私が怒れば、男はふざけた態度を一変させ、切なげな悲しい瞳を私に向ける。
「女王様、冷たくしないで、お願いだよ。俺にはあと僅かの時間しかないんだ」




