其の八
僕らは、教室にたどり着いた。
そこで信じがたいものを見る。
それは、あの公園で見た魔法の騎士だった。
ただ、あの時は影のような存在であり、物理的には希薄であるように見えたのだが、今はとてもリアルだ。
まさに、その場に存在しているように見える。
チェインメールを身につけた騎士エレオーレスは、槍を蝶子に向かって繰り出すところだった。
僕は、二丁のダイナソーキラーを抜くと、立て続けに4発の銃弾を発射する。
猛獣であれ一撃で倒すようなパワーを持ったライフル弾は爆発音のような轟音を発し、エレオーレスの乗る黒い馬に命中した。
一瞬、その黒い大きな獣は身体のバランスを崩し、エレオーレスの槍は僅かにそれる。
蝶子はその槍を開いた蝙蝠傘で受けた。
槍は傘を貫き、蝶子の右肩を掠めてゆく。
真紅の着物が裂け、血がしぶいた。
僕は跳躍すると蝶子のそばに立つ。
エレオーレスは黒く巨大な馬の体勢を整え、再度槍を突き出してくる。
僕は蝶子を抱きかかえ再び跳躍すると距離をとり、残りのダイナソーキラーをエレオーレスに撃ち込んだ。
破城の鉄槌並みのパワーがある銃弾は、僅かに黒い獣を後退させたに留まる。
おそらく装甲車であっても破砕できるであろうその銃弾は、ほんの一瞬エレオーレスの動きを止めることができるだけだった。
僕は溜息をつく。
何にしても、無傷というわけにはいかなかったが蝶子の命は救えたようだ。
「あきれたな」
蝶子は呟く。
「術者がそばにいないのに、あんな魔法的存在を召喚するとは」
エレオーレスは、猛り狂う黒い馬を御し再び体勢を整える。
「花苑院め、死ぬつもりか」
エレオーレスが黒馬を駆り、僕らのほうへ突進しようとした瞬間に百鬼が黒い風となって飛び込んできた。
背中に背負っていた長大な刀を抜き放ち、黒馬が走るのに合わせ横薙にふるう。
黒馬の前足が、閃光となった長大な刀に斬られどうと地に沈む。
鮮血が闇の中に迸った。
エレオーレスは、馬の背から跳躍し距離をとって着地している。
黒馬は影のように希薄な存在となってゆき、やがて消えた。
魔法的世界に戻っていったのだろう。
地も黒い染みとなり、やがて消えてゆく。
童子斬りを抜き放った蝶子は、驚いたように百鬼を見る。
「百鬼、エレオーレスを斬ることができるんか?」
大人の身の丈ほどの長さがあり刃の厚みもかなりのものがあるその巨大な剛刀を構えた百鬼は、平然と言い放った。
「ひとの姿をとるものは、ひとの理に縛られることになる。殺せはしないが斬ることくらいなら」
「十分や」
蝶子は、静に頷く。
「10秒でいい、動きをとめてくれ。その間に始末する」
「判った」
百鬼は、落ち着いた声で答える。
ダイナソーキラーのパワーですら、十分なダメージを与えることができないエレオーレスを斬ることができるのは不思議な気はするのだが、刀の放つ妖気を孕んだ輝きを見ていると人外のものであれ斬れるような気になってくるから不思議だ。
エレオーレスは、しずかにロングソードを抜いた。
エレオーレスの姿は公園で見たときよりも、ずっとリアルで存在感がある。
首には、真紅の傷跡が残っていた。
今にも血を吹き出しそうだ。
その身体はチェインメールに守られているが、剥き出しとなっている両腕には炎のような魔法的文様の刺青が刻まれている。
その両の目は、地の底に続く暗い穴のようだ。
エレオーレスは、右手にロングソードを提げている。
それは、鋼鉄の棍棒のように頑丈そうな剣だ。
刀身にブレードはなさそうだが、切っ先は鉄の鎧でも貫きそうなほど鋭く頑丈そうである。
左手には丈夫そうな鋼鉄の篭手をつけており、それで刀を受ければ刀がへし折れそうだ。
百鬼は、長大な刀を上段に振り上げ八双に構える。
僕の中、というかMD7に格納されているデータベースが、それが示現流の構えであることを僕に伝えた。
捨て身で相手の防御もろとも切り捨てる、剛の剣術薩摩示現流。
そして、僕の中にあるデータベースは百鬼の持つ刀が斬馬刀であることを伝える。
まさに、戦場で騎馬の侍を斬るのに使う刀であった。
馬ごと鎧武者を斬るというその剛刀は、示現流の捨て身の剣に相応しいとも言える。
エレオーレスは、百鬼の構えを意に介さず平然と間合いをつめてきた。
重たそうなチェインメールを身につけているのに、滑るような速度で百鬼に近づく。
冷たい風となったロングソードが百鬼に向かって突き出される。
その瞬間、百鬼は裂帛の気合を放った。
僕のデータベースはそれが胴当てという技であると教えてくれる。
目に見えぬ気の塊が百鬼から放たれ、物理的なパワーとなってエレオーレスの心臓に叩き込まれた。
百鬼の言うように、ひとの姿をとるものはひととしての理に縛られる。
ほんの一瞬であるが、エレオーレスの動きが止まった。
斬馬刀が、空気を切り裂き闇の中を疾る。
その切っ先は天井にぶちあたり、火花を上げながら天井を切り裂く。
その一瞬の遅延を見て、エレオーレスは再度ロングソードを百鬼に向かって繰り出した。
斬馬刀は天井を切り裂き終わり、振り下ろされる。
それは天井に触れることで力を蓄えられており、爆発的に加速した。
MD7の強化された視神経ですら補足することのできない速度で、斬馬刀は振り下ろされる。
流星となった刀は火花をあげ、チェーンメールを斬り裂いた。
エレオーレスの胸は縦に切り裂かれ、闇の中に真紅の血を迸らせたが、意に介さずロングソードを突き出してくる。
百鬼はその剣に向かってさらに飛び込んでいった。
エレオーレスの予想に反し、前に身を沈めて飛び込んできた百鬼の胸をロングソードは捉えることができない。
百鬼の肩をロングソードは切り裂くにとどまった。
エレオーレスはそのまま、鋼鉄の篭手をはめた左手の拳を前に飛び込んできた百鬼の頭に向かって放つ。
ボクシングのフックの要領で、鋼鉄の拳は百鬼の頭に向かう。
百鬼の斬馬刀はエレオーレスの足元に抜けた時点で刃を返し、地面に水平とする。
空気抵抗でブレーキがかかり、速度を落とした刃は上に向けられ斬馬刀は上に向かって振り上げられた。
刃は、チェインメールに守られていない、エレオーレスの鼠蹊部に食い込みそのまま肩口へと抜けてゆく。
エレオーレスの身体が両断され、鋼鉄の拳は空をきった。
紙一重の斬撃である。
股間から肩に向けて両断されたエレオーレスは、血を迸らせながら闇の中へと沈んでゆく。
蝶子が、エレオーレスの頭に童子斬りをつきつける。
「闇のものは闇へ。古のものは古へ。汝の契約は終わった。おまえの属する世界へ返るがいい。ドイルドにして騎士である戦士エレオーレスよ」
「驚いたな」
エレオーレスは、呟くように語る。
「おれはアーサー王の騎士として幾百もの敵をこの手で葬ってきた」
半身となったエレオーレスは、どこか夢見るように語りつづける。
「何十回もの戦場を血で赤く染め、死の山を築いてきたこのおれが。こんな僻地で葬られるとは」
斬馬刀を手に提げた百鬼が、独り言のように答える。
「お前の時代は平和すぎた」
エレオーレス驚いたように、百鬼を見る。
「おれの生きてきた世界は戦場ではなく、ひとがひとを殺すことが日常であるような世界だ。それがこの世界なんだよ。エレオーレス、あんたは所詮戦場で戦ってきた戦士だ。おれのように生きることを斬ることとして、過ごしてきたわけではない。まあ、お前の生きた牧歌的時代はそれが当然だったのだろうが」
エレオーレスは、目を閉じる。
蝶子は戦士をバルハラへ送るワルキューレのように、童子斬りを振り下ろした。
怜悧に輝く刃で額を貫かれたエレオーレスは、溜息をつくように吐息を吐くと闇の中へと飲み込まれゆく。
その姿は影となり消えていった。
ふうと、息をつくと蝶子は百鬼を見る。
「不思議なおとこやな百鬼」
百鬼は、斬馬刀を床に突き立てた。
百鬼は、肩に受けた傷の止血をしながら蝶子を見る。
「ダイナソーキラーの銃弾ではエレオーレスを傷つけることはできなかったように、通常の物理攻撃は通用しない。その存在の位相が他次元へずれているからな」
百鬼は肩を竦める。
「あんたのその斬馬刀は、戦場で幾人ものひとを斬ってきたものだから妖気を孕んでいるのは判るが、それにしても」
「その童子斬りのように別位相まで切り裂くには力が足りないのは判っている」
百鬼は少し溜息をついて、斬馬刀を見る。
チェインメールを斬り裂いたせいで、刃こぼれをしてブレードはぼろぼろだ。
もう使い物になりそうにない。
百鬼は少し遠い目をして語り始めた。
「おれは子供のころ、百と呼ばれた。おやじは九十九という名であったからまあ、しゃれのつもりだったのかもしらんが」
百鬼はとつとつと語る。
「おれとおやじは、ポルポトの支配するカンボジアにいた。四百万人が殺されたあのジェノサイドのまっただなかのカンボジアだ。おやじは多分西側の諜報機関と契約し、情報収集をしていたのだと思う。無数にひとを斬っていた。おれはある日しくじりを犯し、死にそうになる」
百鬼の目が暗く輝いていた。
「そのとき、闇に飲み込まれたのだよ」
「闇に飲み込まれたやと?」
「ああ」
百鬼は少し肩を竦める。
「おれにもどういうことかはよく判っていない。おやじがそれがいずれ判る日がくると言っていたが。人外のものを斬れるのは、その闇がおれの血に溶けているせいだと思う」
「ふん」
蝶子は少し微笑む。
「おもろいな、あんた」
百鬼も笑みを返す。
「あんたの肩の傷も手当てしてやるよ、みせな」
蝶子は肩を差し出しながら、斬馬刀に目を向ける。
「その刀はもう使えへんやろ。うちの童子斬りをつかうか?」
「まさか」
百鬼は苦笑する。
「そんなものは使いこなせない。おれにはこれがある」
百鬼は短刀を抜いて見せた。
蝶子は口笛をふく。
「粟田口吉光の鎧通しか。逸品やな。ま、それにしても示現流に柳生新陰流龍尾を合わせる技といい、小太刀まで使うとは節操なさすぎや」
百鬼は楽しげに笑い、蝶子の傷を縫い合わせてゆく。