其の五
夜の図書館。
しんと静まり返ったその場所があたしは好きだ。
書架に収まった無数の本たちが、ひとの目から逃れてそっと呟きはじめるのが聞こえる。
なぁんてね。
窓の外には、大きな森が広がっている。
これで首都圏の市部だというから驚きだ。
まるでゲルマンのロマン派詩人が歌ったように昏く物憂げな闇を抱え込んでいる。
薔薇十字学園という名のこの学校に相応しい、神秘を備えた森。
あたしはぼんやりとその森を見つめていた。
夜は優しく全てを包み込んでいる。
はい、今晩は。
あたし、花苑院理図。
ごく普通のおんなの子で、女子高生だ。
でも、少しだけ普通と違うのは魔法が使えること。
えっと、普通じゃないじゃん、なんてつっこみはしないように。
魔法なんて、いうほど大したものじゃあないんだよ。
少し前まではありふれたものだったの。
歴史を振り返ってごらんよ。
例えば、初代エリザベス女王の元にいたディー博士なんてさ。
普通に歴史の教科書に出てくるじゃない。
彼だってれっきとした魔道師だよ。
スペインの無敵艦隊を海賊王エルドレイクがほんの数隻の船で撃退したのは、そんなこともある。
ほらほら、一杯魔法は歴史の中に散らばってるのよ。
昔の宮廷に魔道師がいるのは珍しいことではなかったし、有名な貴族には必ず魔道師がついていた。
ジャンヌ・ダルクの副官だったジル・ド・レイを導いたプレラチなんて有名でしょ。
え、知らないの?
困ったな。
日本だってさ。
陰陽寮は、つい百年かそこらほど前までは公式の機関だったのよ。
陰陽道はいうまでもなく魔法の東洋的表現なのよね。
いつも魔法はあたしたちのすぐ近くにあった。
でもあんまり正規の歴史書には書いていない。
なんでかって?
まあ、ひとつはローマン・カトリックは魔法を独占したからね。
魔法ではなく、『奇跡』と呼ぶことを強要しそれを聖なる秘儀として占有した。
もうひとつは。
ナチス・ドイツが魔法を利用して戦争に敗れたから。
第二次世界大戦の欧州戦線はようするに、キリスト教とそれに対立する魔法使いたちの戦いでもあったのよ。
ナチスにはアルフレット・ローゼンベルクというプラハから由緒正しい魔法を学んだ魔道師がいて、導いていたのだけれど。
結局は負けちゃったからね。
魔道師たちは二度と正規の歴史にコミットメントしないと、カトリックと協定を結んだわけ。
だから第二次大戦以降、魔法は歴史の裏側に入り込むことになったの。
え、結局魔法なんて異端だって?
何言ってるのよ。
第二次大戦後なんて何万年も続いた人類の歴史の中で百年にも満たない。
どう考えてもさ、魔法が偏在しているほうが普通で、ローマン・カトリックが魔法を『奇跡』と呼んでいる現代のほうが特殊なのよね。
大体、ジーザスをクライストなんて称号つけて呼ぶなんて、ちゃんちゃら可笑しいと思わない?
ジーザスは歴史上最強の武闘派魔道師だったのよ。
その辺の記録をした文書類はカトリックの手でほとんど抹殺されていて、ナグ・ハマディ文書とかに片鱗が残ってるだけなんだけどさ。
で、なんだっけ。
そうそう、あたしが普通ってことよ。
普通に女子高生だし、普通に恋もしてるし、普通に受験勉強もしてる。
そう、受験!
プラハにはまだ魔道師たちのギルドが残っているの。
十六世紀にルドルフ2世が大陸に散らばっている魔道師たちをかき集めてその礎をつくり、アルフレット・ローゼンベルクの時代には組織として完成されていた魔法協会。
そこには、一般に明かされることはないけれど魔道師の学院もある。
あたし、そこを受験するの。
だから今も、スウェーデンベルクやエリファス・レヴィといった古の魔道師が書いた本や、マンリー・P・ホールの書いた秘儀の学術的研究書を読んで勉強して。
夜なのに図書館にいるってわけよ。
ふう。
ま、正直つまんないけれどね。
でも知識としての魔法も実践とは別に身につけておかないと、プラハでは通用しないし。
そうはいいつつも。
つい、窓の外を眺めてしまう。
地上には昏い森が広がっており、闇に塗りつぶされた空には孤高の月が輝いている。
月齢は七日くらいかな。
その少し眠たげな猫の瞳みたいな月の輝きを、すっと遮った影があった。
夜を飛ぶ鳥、ええっとどうもあたしの使い魔みたい。
あたしの使い魔である、大きな鴉はあたしの前にある窓辺に降り立った。
嘴でこんこんと、窓をつつく。
はいはい。
窓を開くと、古の伯爵みたいな大仰な様子で部屋に歩いて入ってくる。
鴉で使い魔のくせに、なんかえらそう。
「おかえり、ひでろう君」
鴉は、ぎろりとあたしの顔を見る。
ひでろうという名があまり気に入ってないらしい。
つくづく生意気なやつである。
(みつけたよ、蝶子のアジト)
「へえ、よくやったじゃん。ひでろう君」
少しどんなもんだという顔をしてみせる鴉。
まあ、結構単純なやつでもある。
(仲間はあと二人。ひとりはメイドロボット。もうひとりはニンジャ)
ぷふっ。ぷふふっ。
あたしはげらげら笑ってしまった。
鴉のひでろうは、憮然とする。
「まじぃ? まじなの? メイドロボットにニンジャって。何それ」
(おれは見たままを言っただけだ。聞きたいことがないなら帰るぞ)
「ああ、まって」
あたしは机の引き出しから蜥蜴の干物を出してわたしてやる。
「ご苦労さん、ありがとね」
ひでろうは、嬉しそうに受け取った。
まあ、結構可愛いところもあるやつだ。
飛び去るひでろうを見送ると、窓を閉めあたしは書架の奥へと向かう。
ふうん、三人なんだ。
しかも、やけくそじみた面子で。
じゃあ本当に陰陽寮から離れて単独で動いてんだ、蝶子のやつ。
馬鹿じゃなかろうか。
でも、そのほうがこちらとしては、やりやすい。
書架からフレイザーのゴールデンバッフの初版本を抜き出す。
その奥にある隠しスイッチを押す。
ポチットな。
書架が自動的にスライドし、奥に扉が現れる。
その扉を開き、小部屋に入った。
がくんと。
部屋ごと地下へ向かう。
図書館の地下奥深くには、コンピュータ設備を設置した施設がある。
そしてその最奥には彼がいた。
あたしの恋するダーリン、光也。
地下についた。小部屋型のエレベータから降りて、あたしは廊下を真っ直ぐつっきる。
突き当たりの部屋、オペレーションルームに入った。
ハリウッド映画に出てくる、CIAの司令室みたいなところだ。
放射状に配置されたディスプレイの中心に、美形の少年が腰を降ろしキーボードを操作している。
「やあ、理図」
光也にあたしは頷きかけ、その隣に座る。
「みつけたよ、蝶子のアジト」
「へえ」
あまり感動は無い。
ということは、光也も見切りをつけていたのだろう。
「やっぱり陰陽寮は動いてないよ。今、蝶子をやればあっさり片付く」
光也はとても楽しげな笑顔をあたしに向けてくれる。
大天使ミカエルだってきっとこんな輝かしい笑みは、作れないだろう。
あたしは、背筋がぞくぞくするのを感じた。
やっぱりあたしは光也が好きだ。
どうしようもないほど。
「蝶子はどこにいる?」
あたしは、キーボードを操作して光也の前にあるディスプレイに地図を表示した。
ひでろうは、位置情報をダイレクトにあたしの海馬体経由で記憶域にライトしている。
あたしそれを、頭の中で写真を見るように見ていた。
空からの俯瞰情報と地図を重ね合わせ、あたしはマウスを操作して蝶子のいる場所をポイントする。
「相手は何人?」
「三人らしいよ」
「エレオーレスで十分だな」
あたしは頷く。
光也は電話をとると、指示を出していく。
兵士を蝶子のところへ向かわせる指示だ。
指示を終えると、あたしに向き直る。
「理図」
「判った。シモン・マグスに接続する」
あたしは、オペレーションルームの奥にある、リクライニングシートに身を沈めた。
あたしの脊髄にジャックが接続される。
地下設備の大半を占める巨大な量子コンピュータ、シモン・マグス。
それがあたしの脳へ接続される。
シモン・マグスはあたしの脳のシナプシス発火状態を解析していく。
そして、神経伝達物質のモニタリングをする。
シモン・マグスは簡単にいえば脳内マイクロチューブルに発生するコヒーレントな状態を加速し、量子重力を人工的に増大させる。
え、簡単じゃないって?
まあ、ひらたくいえば、サイバードラッグと言っていいわね。
ドラッグってね、魔法を促進する力があるの。
でも薬物のドラッグが引き起こすトリップは、無秩序なものだから魔法が暴走する恐れすらある。
シモン・マグスはドラッグの引き起こすトリップをコントロールして、魔法をうまく強化できるの。
あたしは、脳がブーストをかけられ、無数の風景が高速で脳内を駆け巡ってゆくような感覚に酔いしれた。
でも、意識だけは物凄く明晰になっていく。
冴え渡る冬の夜空に輝くオリオンみたいにあたしの意識は秩序だって、作動している。
あたしは、エレオーレスを呼び出す。
魔道の世界からこの世へ呼び出すには、緻密な想像力が必要だ。
要するに、魔法とは脳内で生み出す幻覚を現実化するようなものだから、意識がより緻密にエレオーレスを思い描けば、それだけリアルにエレオーレスが現世に生成される。
あたしはマシンの助けを借りなくてもそれくらいのことはできるけれど、でもシモン・マグスを使えば公園で呼び出した時みたいな影としてではなく、もっとリアルな存在として召還することができた。
ふふん。
蝶子が終了するときが、きたということだ。