其の三
僕は激痛でくらくらする頭を抱えて膝をつく。
「一体何を」
僕はそう言おうとしたが、その言葉は途中で打ちきられることになった。
漆黒の大きなワンボックスカーが公園に入ってきたからだ。
ワンボックスカーは僕と蝶子の近くに止まると、扉を開く。
中から出てきたのは、少年と少女。
二人共、僕と同じ高校の制服を着ている。
少年は、モデルのように整った容姿をしており、黒く真っ直ぐな髪を切り揃えていて、切れ長の醒めた瞳で僕を見つめていた。
黒い制服を身にまとい、静に佇むその姿は牧師か神学者のようだ。
もう一人、少女は女神に捧げられる花束のように可憐で華やかな雰囲気を纏っている。
冬の青空のように清冽に澄んだ青いセーラー服を身につけて、ふわりと公園のグランドに舞い降りた。
「君が弦月貴士君だね」
「え、そうだけど」
「君の助けをかりたいんだ」
「ていうかさ、君、誰?」
少年は貫くように僕を見つめると、言った。
「僕は風日光也、そしてこの子は」
「花苑院理図っていうの。よろしくね、貴士君」
少女は自然にウエーブのかかった亜麻色の髪を、指先に巻き付けながら言った。
「なんやねん、うちはガン無視かいな」
蝶子の言葉に光也と名乗った少年は、皮肉な笑みを浮かべる。
「陰陽寮の出る幕などいまさらない」
今度は蝶子が笑みを浮かべる。
「言ってくれるやないの。薔薇十字がなんぼのもんかはしらんけど」
「ローゼンクロイツなどただの下部組織だ。僕らはプラハの魔法協会の命を受けている」
「うそやな、おい絃月。逃げろ死にたく無かったら」
光也が手をあげる。
二人の黒い背広を身につけた、サングラスの男たちが車から姿をあらわす。
「走れ、絃月!」
そう叫ぶのと、黒服が拳銃を抜くのは同時だった。
僕は足が竦んで走れない。
「あほ」
蝶子は黒服に向かって走りながら、蝙蝠傘を手にして振り払う。
傘の中に仕込まれていた刀が姿を現した。
刀は閃光となり空を疾ると、黒服の銃を持った手を斬り飛ばす。
もう一人の黒服が銃を蝶子に向けた。
乾いた銃声が響くのと、蝙蝠傘が開くのは同時だ。
開いた傘に銃弾は食い込んだが、貫通はしなかった。
防弾防刃素材の傘らしい。
蝶子は傘をたたみ、同時に刀を振るい拳銃を持った手を腕ごと斬り落とした。
どすんと腕がグランドに落ちる。
砂が夕日を浴びるように、朱に染まった。
蝶子は血を吸った刀の切っ先を、光也へ向ける。
「なあにがプラハの魔法協会や。そんなとこから拳銃もった兵隊が派遣されるわけないし、花苑院の狂姫を引っ張り出すはずがない」
「何よ、狂姫って。失礼しちゃうわね」
理図は眉間に皺を寄せると、べーっと舌を突き出す。
「童子斬りをもちだすとは」
光也は呆れ声を出した。
「それは宮内庁管理だろ」
「そっちはレプリカ。これが本物」
蝶子は凶悪な笑みを浮かべる。
「酒呑童子を斬ったのはこいつや」
「ふん、組織を無視した暴走はおまえだろう陰陽師」
そう言うと、光也は理図へ眼差しを投げる。
それを受けて、理図は空色のスカートの下から杖を引き出す。
杖を宙に振りルーンを描き出した。
朱色の軌線が宙空に踊る。
「ちぃ」
蝶子は童子斬りを振り上げ、理図のほうへ向かおうとする。
光也は無造作に拳銃を取り出して撃った。
蝶子は後退して、蝙蝠傘で銃弾を受ける。
同時に光也も後ろに下がり間合いをつくった。
理図の詠誦が公園に響き渡る。
「今世の理を超え夢幻の理に身を委ねしものエレオーレスよ。古の約定に従い、我との血の契約を果たす時が来たり。我が前に出よ」
「絃月! 逃げろ! 今逃げなければ本当に死ぬぞ」
けれど、僕は金縛りにあったように身体を動かすことがだきない。
僕は見た。
陽炎のように、目の前の空間が揺らめくのを。
そこには間違いなく、何かがいた。
目に見えぬが、それは何か空間の歪みのような、そこだけ音も光も現世と異なる関数で波動を描いているかのような。
異質なるものがいた。
蝶子は狼のような咆哮をあげ、童子斬りをその空間の歪みへ叩き込む。
刀は金属音をたてて、跳ね返された。
突然、日蝕が訪れたように空間の歪みが闇色に染まる。
理図はそのフランス人形のような顔に、異形の笑みを浮かべた。
「エレオーレス、我に騎士の誓いを」
闇がさらに濃さを増し、地の底から響くような声が轟く。
「蒼天我が上に落ちてきたらぬ限り」
蝶子は、僕に向かって童子斬りを向ける。
それは稲妻のような光を一瞬放ち、僕の頭の中に火花を弾けさせた。
闇はさらに言葉を重ねる。
「泡立つ海押し寄せて我を飲み込まぬ限り」
僕は、身体が動くようになったのを感じる。
僕は絶叫すると、振り向いて走り出した。
僕はちらちらと後ろの闇を見る。
闇は凝縮しそれは影絵のように、形をとろうとしていた。
それは馬に跨がった騎士の姿を取る。
騎士の影は誓いの言葉を締めくくった。
「我が誓い破られることなし。汝に忠誠を誓う。花苑院の娘」
「そなたの誓い受けた。我は命ずる、そのものたちを殺して」
理図のどこか華やいだ声を受け、何かが空間を裂いて、僕の所へ飛来する。
それは、細く長い影。
槍の形をしている。
僕はそれに貫かれた。
あたかも氷の刃に引き裂かれたように、僕の胸を激痛が襲う。
僕は木葉が嵐の海に飲み込まれてゆくように、暗黒へと意識を飲み込まれていった。