其の二十一
冬の空のように冷めた青い瞳で、ブリュンヒルドは百鬼を見据える。
「お前が、わたしの戦士だというのか。お前はバルハラに相応しい戦士なのか」
百鬼は、全身が傷ついていた。
左手は提げられたまま動かず、コンバットスーツには槍で貫かれた傷がそのまま残っている。
何よりも、百鬼には刀が残っていない。
鎧通しはドラクラの鎧を貫き通したことで、刃がぼろぼろになってつかいものにはならないだろう。
その姿は、戦士というよりは、幽鬼といったほうがいいように見える。
けれど、百鬼は相変わらず醒めた瞳で、ブリュンヒルドを見ていた。
「戦士というよりは、ひと斬りだよ、おれは。神であってもひとの姿をしていれば斬れる」
百鬼は、笑うように口を歪める。
「それでは不足か、ワルキューレ」
ブリュンヒルドは黄金の炎がごとく輝く髪を輝かせ、女神の美貌に冬の風のような笑みを浮かべた。
「いいだろう。バルハラの館でログナロクを待つがいい」
僕はため息をつく。
「百鬼には神が降りてるの? なんか理図と全然違うんだけど」
「ちゃんと降ろしたよ。そやけど時間が全然たりひんかった。イカヅチの神を左手に宿らせるのが精一杯や」
「えっと、なんでイカヅチなのかな」
はあ、と蝶子は息をはく。
「この島国では武芸者はイナズマ使いとよばれてたんや。刀の神といえばイカヅチやろ」
んなことは、知ってるはずがないけれど、まあそうなのだろうと納得する。
ブリュンヒルドには、理図の面影がほとんどない。
まあ、長いことロキの焔に包まれていたので、全身を造り変えたということなんだろう。
どの程度理図の意識が残ってるのかさえ、疑問に思えてくる。
その姿は女神にして戦士であり、シャーマンでもあるワルキューレに相応しく、美しさと死を撒くものらしい残酷な気配に満ちていた。
狂暴な真冬のブリザードのように、触れるものを凍り付かせ死に送る力を感じる。
神が降りたはずの百鬼がまるで変わらないのと対照的だ。
百鬼には武器がない。
おそらく十字ブレードすら使い尽くしたのだろう。
対するブリュンヒルドは、彗星のように穂先が輝く槍を構えている。
百鬼があと一歩間合いを詰めれば、その槍で串刺しになるだろう。
百鬼は動かなかった。
まあ、徒手では動きようがない。
ブリュンヒルドは獲物を目の前にしたユキヒョウのように、獰猛な笑みを浮かべる。
「どうした、ひと斬り。わたしを斬るのではないのか」
槍が少し退り、間合いをとった。
「そちらから来ないなら、こちらからいくぞ」
ブリュンヒルドが動こうとしたその瞬間に、百鬼の右手がすっとぶれる。
一瞬、右手が動いたかと思うと非常灯が次々に砕けて行く。
僕の足元に何かが落ちる。
小さな鉄の球だ。
百鬼はパチンコ球のような鉄球を放ち、全ての非常灯を砕いた。
完全な闇が部屋を閉ざす。
まるで粘液に閉じ込められたような、濃厚な闇が部屋を埋め尽くした。
地下奥深い部屋である。
人工の証明を殺してしまえば、見る術がない。
けれども、僕は百鬼とブリュンヒルドの存在を感じとることができた。
直視の魔眼が生命の点を見せる。
それは、漆黒の宇宙に星が瞬く様にも似ていた。
ブリュンヒルドは動きを止めている。
けれど、理図が僕と同じ魔眼を身に付けているのであれば、見ることができているのかもしれない。
あるいは、ブリュンヒルドの目としては魔眼の力を持たないとも思える。
魔眼があったとしても、ただの点であれば槍の標的としては小さすぎるかもしれない。
そして、闇の中で百鬼が動く。
百鬼は闇でも見えているはずだ。
無眼流の使い手である百鬼は、闇でも気を読むことにより相手を見ることができる。
そして、今闇に溶け込みながら高速で動く。
生命の点が闇のなかで残像を描き、星座のように分身する。
闇のなかでの影分身。
それでも、ブリュンヒルドは槍を流星のように高速で繰り出す。
轟と空気が切り裂かれ、風がなる。
速度が速すぎて、衝撃波が産み出されていた。
それは二撃、三撃と繰り返し放たれる。
あたかも無数の突きが放たれたように、槍が連続して百鬼に襲いかかった。
影分身で闇の霞となった百鬼は、その突き出される無数の槍を風に舞う木の葉のように躱して間合いを詰める。
槍は一度躱されて、間合いを詰められてしまえば役にたたない。
ブリュンヒルドが闇の中で槍を捨てる気配を感じる。
ざくりと、剣が肉を貫く音がした。
蝶子がハンドライトを点ける。
闇の中に百鬼とブリュンヒルドの姿が浮き上がった。
僕はその様を見て、息をのんだ。
ブリュンヒルドは百鬼の動きを読んでいた。
腰につけていた剣を抜いて、百鬼の胸を貫いている。
百鬼は傷ついた左手を手刀にして、ブリュンヒルドの胸へと突きだしていた。
徒手のしかも傷ついた手を出したところで、何の役にもたたない。
その時、蝶子が叫ぶ。
「タケミカヅチよ、今こそ、その姿を顕したまえ!」
蝶子の叫びに応じるように、百鬼の左手が刀となり蒼ざめた氷の輝きを放ちながら、真白きブリュンヒルドの胸を貫いた。
刀と化した百鬼の左手は、ブリュンヒルドの背中から突きでる。
雪原が沈みゆく夕陽に染め上げられるように、ワルキューレの白銀の鎧が血で朱に染まった。
百鬼が蝶子に向かって血を吐きながら叫ぶ。
「童子斬りだ、蝶子」
「おう」
蝶子は僕にハンドライトを渡すと、童子斬りをブリュンヒルドの背中から突きたてる。
その切っ先は、百鬼の腹に食い込んでいた。
何かが童子斬りに吸い込まれていく。
蝶子は童子斬りを抜き去る。
深紅の血が、ほとばしった。
ブリュンヒルドは崩れ落ちる。
その身体は、再び蒼ざめた焔に包まれた。
百鬼は膝をつく。
その左手は、ひとの手に戻っていた。
「国譲りの神話通りだな」
百鬼の言葉に、蝶子が苦笑する。
「あほいうな。アース神族のワルキューレが国津神系のタケミナカタの変わりになるかい」
「結果オーライだろ」
「まあな」
やがて焔が消え、理図が姿を顕す。
純白の鎧も、刀に貫かれた傷も消えたが、理図の生命が消えていこうとしているのが判った。
「どうして、あたしが負けるのよ」
苦しげに呟く理図に、蝶子が応える。
「この国の神を呼び出せば、地の精霊が味方するんや。あたりまえやろ」
「ワルキューレなら八百万之神ごとき蹂躙できるはずなのに」
「いや、コッポラの映画やないんやから」
理図は哀しげに笑った。
「バルハラで待ってるよ」
「ああ。ラグナロクで。全てが終わる日にまた会おう」
理図は薄く笑うと、そっと目を閉じた。
蝶子は少しの間、目を閉じ理図の魂を送る。
そして、百鬼に向き直った。
百鬼は針を何本か身体につきたてている。
「おれは、もうそろそろ限界だ。後は土御門の収拾部隊に委すよ。おれの身体はしばらく仮死状態になる」
「オーケイ、委しとき」
百鬼はそのまま死んだように横たわった。
「終わったんだ」
僕の呟きに、蝶子が頷く。
「まったく」
ふうと、蝶子はため息をついた。
「あんたがあの時さぼらへんかったら、もっと楽に片付いたはずなんや」
「いやまあ、反省してるよ」
「ほんまか」
僕は素直に頷く。
「うん、今度からはね」
「ああ」
「学校をさぼるときは、生命がけの覚悟をするよ」




