其の二十
というわけで、僕は身体をとりもどし無事平穏無事な日常にもどることができた。
え?
どういう訳だって?
まあ、色々あったんだよ。
え?
やっぱりそこの説明いるの?
ふーん。
じゃあ、まあ、色々の話をしてみようか。
えっと、どこまで話がいったんだっけ。
ああ、MD7が活動停止したのか。
やれやれ、絶対絶命じゃあないの。
そこから何とかするのは、たいへんだね。
では、話を戻します。
闇の底に僕はいた。
はるか頭上に、何か光を感じる。
僕は、その光に意識を向けた。
きらきらとした光が、次第に強まってゆく。
光が渦をまき、僕はその渦に向かって飛んでいった。
僕はその光に包まれて、飲み込まれていく。
僕は、自分の中に色々なものが流れ込んでくるのを感じた。
手足の感覚、心臓の鼓動、血液の流れる感覚、色々な音、振動、温度。
無数にあるパズルのピースが、あるべき場所にはまり込んでいく感じ。
僕は僕という巨大なシステムの中へと、投げ込まれていく。
僕の意識はひとという迷宮の中に迷い込み、そして僕は意識を取り戻した。
僕は、身体を起こす。
薄暗い地下のコマンドルームの中だ。
頭がくらくらし、吐き気がする。
息がうまくできず、咳き込む。
「まだ、無理やな。もう少し寝とけ。なんせずっと死んでたんやから」
僕の意識に記憶が甦る。
どうやら蝶子は、MD7として活動していた期間の記憶を、僕の脳にインストールしてくれたようだ。
僕は、頭痛と吐き気をこらえながら、無理矢理起き上がる。
「何言ってるんだよ、寝てる場合じゃあないだろう」
コマンドルームの中心では、焔が燃えている。
蒼ざめた焔。
冷たいひかりが揺らめき、凶悪な熱が近づくものを阻んでいる。
蝶子は、僕の眼差しを読んで説明をした。
「多分、あれはロキの焔。理図はあれに守られており、まあ逆に向こうからも手だしはできないのだが」
「あの中で、理図は神になろうとしてる?」
「神というか」
蝶子は少し複雑な表情をする。
「元型と一体化しようとしている。集合無意識というひとのこころにプリインストールされてるシステムを起動しようとしてるんやろうけれど」
僕が訳が判らんという顔をしたため、蝶子は肩をすくめた。
「例えばさっき倒したワラキア公ブラド・ドラクラは所詮ひとやから、どこかでひととしての制約をうける。せやけど神話的存在を呼び出して一体化されたら制約なんか無いに等しい。せやから」
「だから?」
蝶子は重いため息をつく。
「できることは、もうない。理図が身体を返したのもそのせいや」
「そういえば、ひとつ聞きたいんだけど」
蝶子は僕を見つめる。
「なんや」
「なんで僕はメイド服を着てるの」
「他に服がないからな。裸のままのほうがよかったのか?」
「いや、まあ、着せてくれてありがとう」
僕は、ホルスターからダイナソーキラーを抜いて見る。MD7であれば楽々と扱えた拳銃が、今ではおそろしく重たい。
こんなものを撃てば、腕の骨が砕けるんじゃあないだろうか。
でもこれで、戦うしかない。
僕の意識にはMD7に組み込まれていた戦闘プログラムが少し残っている。
もう、完全な素人という訳でもない。
蝶子は拳銃を手にした僕に、微笑みかける。
「まあ、そういうことやから、無理せんと寝ててもええのやで」
「あきらめたら、そこで試合終了だよ」
蝶子は苦笑した。
「これは残念ながら、少年マンガの連載やないねん。戦って死ぬか、静かに終わりを迎えるかしかない。あたしは戦って死ぬけど、あんたもそうする義理はないで」
僕はそれに応えようとして、言葉を止めた。
傍らに、百鬼が来たためだ。
片腕を剣で貫かれ、全身を槍で串刺しにされ満身創痍のはずなんだけれど。
真っ直ぐに僕らを見ている。
やるべき仕事をただこなそうとしているだけといった、気負いも使命感も感じさせない冷めており、だけど確信に満ちたその目に。
僕は少し安心する。
「やることなら、あるぜ」
蝶子は戸惑いを眼差しに乗せて投げ掛ける。
「やることって、まさか」
百鬼は僕に錐刀を手渡す。
ドラクラの目を貫いた、錐刀。
「あかん、それは」
百鬼は蝶子の言葉を無視する。
「これでおれを刺せ」
「ええっ、とお」
「見えるんだろう」
百鬼は正面から僕を見据えた。
「おれの中にある、潜在性が」
まあ、確かに。
MD7の時には見えなかったけれど、今は見えている。
ひとの中にある、あるべき未来を呼び覚ます点が。
僕の中に眠っていた能力。
直視の魔眼。
「蝶子、ルーンをその錐刀にのせろ」
「あかんて、それこそ理図の思うつぼやろ。理図はあんたと戦えばその力をより高めることができる」
「勝てばだろ。おれは負けないぜ。神であろうと、ひとの姿をしているのなら」
百鬼は、平然と言った。
「斬ることができる」
「斬れたところで」
「お前が、神を祓う時間はくれてやる。童子斬りならできるだろう」
「けれど」
「京八流は六韜、つまり文韜、武韜、龍韜、虎 韜、豹韜、犬韜の教えからなるが。それとは別に外典として鬼韜があるという。そこには神の降ろしかた、祓いかたも書かれている。あんたはそれを学んだのだろう、蝶子」
「せやけど」
「迷うことはない。おれを信じろ」
蝶子は。
逡巡の末頷いた。
ルーンを唱えはじめる。
僕の手にある錐刀に、光が灯った。
紅いルーン文字が螺旋状に刀身を走る。
「どうなっても、知らないからね」
僕は全く自信がない。
百鬼は苦笑する。
「問題ない、やれ」
ルーンの宿った錐刀を僕は百鬼の額、僕の魔眼が見いだした輝く光の点に突きたてる。
百鬼は仰向けに倒れ、全身を痙攣させた。
死んだように、動きが止まる。
いや、死んでるのか。
息をしてない気がする。
「おい」
蝶子の声に僕は我にかえる。
「焔が消えた」
蒼ざめた焔が消え去り、純白の輝きが見える。
新雪のように汚れなく、銀河のように深淵を宿した輝き。
それは、純白の鎧にマントであった。
理図は白銀に輝く鎧を纏い、槍を手にしている。
「やはり」
蝶子は、溜め息をついた。
「オーディンの娘、ブリュンヒルドを宿したか」
「ワルキューレ?」
理図は槍を手にして一歩、前にでる。
僕は拳銃を構えた。
「バルハラへ送られるべき戦士は、お前なのか?」
理図、いやブリュンヒルドは歪んだ笑みを見せた。
傲慢な、けれど気高く美しい女神の笑み。
槍が僕に向けられる。
その時ゆらりと。
影が立ち上がった。
「お前の相手はおれだよ」
百鬼が白き光の前に、暗き闇となってたち塞がった。




