其の十七
百鬼は、粟田口吉光の鎧通しを右手に構え、十字ブレードを左手に持つ。
鎧通しは、薄闇の中で月のように冴えた輝きを見せる。
ワラキアの串刺し公は、物思いに耽る詩人のような眼差しを百鬼に向けていた。
おそらくこの中世の闇より出でた殺戮の騎士にとって、百鬼は敵というより片付けなければならない、物でしかないのではと思う。
S字を長く伸ばし歪曲させたような、波打つ剣を静かに提げたままドラクラはただ待っていた。
獰猛な殺気は内に隠されており、むしろ退屈しているようにすら見える。
ドラクラにしてみれば、僕らはもうただの死体なのだ。
唐突に、ひゅうと風が鳴る。
闇色の十字ブレードが漆黒の風となって投じられた。
百鬼はほぼ、ノーモーションで投げている。
MD 7の目で無ければ、投じられたこと自体が判らなかっただろう。
十字ブレードは黒い死となり、部屋の中を大きな弧を描いて猛禽のように鋭く飛ぶ。
その先には理図がいた。
ドラクラは空気を引き裂いて移動する。
鈍い銀の輝きが、霞となって理図の前に出現した。
押し退けられた空気が爆風となって、渦を巻く。
白銀の稲妻がごとくに湾曲した剣が、漆黒の猛禽となったブレードを弾きとばす。
その時、百鬼の身体が霞となって闇に溶け混む。
ドラクラのように強引に空気を破砕して衝撃波を撒き散らすような瞬間移動ではなく、風の中に溶けてしまったような静かな高速移動であった。
MD 7のブーストのかけられた思考による動体認識力ですら、霞がかって見える。
その姿は残像が幾つも重なって見え、まさに分身の術であった。
三体の虚像に分身しながら、疾風となって百鬼は悪魔の騎士へと迫る。
その時、僕は視界の隅で光也が拳銃を抜くのを見た。
驚くほどはやい、抜き打ちだ。
僕は多少不意をつかれつつ、ダイナソーキラーを光也めがけて撃つ。
光也の狙いは、蝶子であったようだが銃弾は童子斬りを構えた蝶子を掠めてたにとどまり、ダイナソーキラーは光也の胴を粉砕する。
深紅の爆発を起こしたように、血と肉片を撒き散らして光也は跳ねとばされた。
その出来事は、ドラクラと百鬼にとってなんの影響も及ぼしていないようだ。
黒い霞となった百鬼の分身は、三方からドラクラに襲いかかる。
ドラクラは無造作といってもいい動きで前に出た。
白銀の風が闇色の霞を、粉砕する。
ドラクラの湾曲した剣は夜空を切り裂く稲妻のように、真っ直ぐ
百鬼に向かった。
避けようのない必滅の剣が、百鬼の喉元にとどこうとしたその瞬間に。
百鬼は裂帛の気合いを放った。
それは古武道でいうところの、胴当てである。
エネルギーの塊となった気が、ドラクラの頭に激突した。
ひとであれば、一瞬意識が跳ぶくらいの、ヘビー級のボクサーの拳ほどの力はあったようだがドラクラにとっては一瞬目を閉じた程度の打撃であったようだ。
しかし百鬼にはその一秒にも満たない瞬間で十分であった。
首筋を湾曲した剣が白銀の風となり通りすぎる。
百鬼は後の先をとっていた。
伸びきった剣を持つ腕の関節、プレートメイルの繋ぎ目に粟田口吉光を叩き込む。
剣を持った腕が、宙に舞った。
血が赤い奔流となって弧を描く。
百鬼は腕と剣を失ったドラクラに間合いを詰める。
粟田口吉光は凶悪な輝きを見せ、プレートメイルの胸へと吸い込まれていった。
丁度心臓がある真上に、短刀が突きたてられる。
ドラクラは濃い髭に覆われた口元を歪め、笑みを浮かべた。
「残念だな」
ドラクラは、静かに言葉を吐く。
「おれが吸血鬼ならそれで灰になったのだが」
ドラクラは残った腕で百鬼に殴りかかる。
鎧通しを捨てた百鬼は左手でガードしたが、ドラクラの拳はガードした腕ごと百鬼を吹き飛ばす。
百鬼は自分から後ろへ跳んで、ドラクラの打撃が持つ破壊力を半減させたがそれでもみしりと。
百鬼の腕の骨が悲鳴をあげた。
百鬼は爆風に呑み込まれたように吹き飛ばされると、壁に激突する。
動きは止まった。
ドラクラは胸に短刀を突きたてられたまま、平然と立っている。
そして、ほとばしっていた深紅の血が腕の形をとりはじめた。
赤い剣をもった、赤い腕。
それはやがて、鈍い銀の輝きを放つプレートメイルの腕となり、白銀の湾曲した剣となった。
「ノスフェラトウ、バンパイヤ。そう呼ばれる夜の一族にとって心臓は弱点なのかもしれんが」
ドラクラは猛獣の笑みを見せる。
「おれはそうではない。おれは死を撒くもの。夜に潜むものではないのだよ」
百鬼は、意識があるのかあるいは生きているのかすら、判らない。
僕も、後何分動けるか。
おまけに、光也が死んだのでドラクラはもう待つ必要がない。
自由に動ける。
むしろ光也はこうしたいがため、死を選んだ気がした。
状況は間違いなく、最悪になっている。