其の十一
ビロードのような夜は、森を覆い尽くしていた。
張り詰めた緊張感を持つ闇が、静かな森を満たしている。
僕らは影となり、その闇の中を水の中を水が移動するように、動いてゆく。
その森の中に僕が通う学校、薔薇十字学園がある。
薔薇十字学園のさらに奥深く、旧校舎があった。
戦前に建てられたというその木造の、指定文化財となってもいいような建物を僕ら薔薇十字学園の生徒は、チベット館と呼んでいる。
その建物の外観が、どこか密教の寺院に似ているせいでそんな呼び名がつけられたらしい。
チベット館は、図書館となっている。
図書館といっても一般の学生が使用するものではなく、この薔薇十字学園が保持している古い文献を管理している場所らしいので、僕はもちろん行ったことはない。
研究のため古い宗教学の文献を閲覧するために、許可をえた学者が時折学外から訪れることがある。
そんな場所だった。
そのチベット館は年を経て神の域に達しつつある古い物の怪のように、闇の中にうずくまっている。
僕らは、そのチベット館の目の前にたどり着いた。
「どうや、あそこは」
蝶子が、僕に尋ねる。
僕は様々な装備を内蔵しているMD7の目を使って、チベット館を見た。
MD7の目で見たチベット館は、肉眼で見るのとはまったく違う様相を呈している。
ほとんど、電子の要塞といってもいいくらいだ。
赤外線センサーにソナーが随所に取り付けられ、侵入者を監視している。
さらに四足歩行の陸戦用ロボットが待機しており、侵入者を攻撃してくるようだ。
その上、遠隔操作式の銃座があり、設置された機関銃が近づくものを阻止する。
「あきれたなあ、こんなものものしい武装をしたものが学校の中にあったなんて」
蝶子はふん、と鼻をならす。
「ここは、魔法使いの養成施設や。中はさらにやっかいやで。けどな」
蝶子は、にやりと笑う。
「ちゃんと、ここのシステムの抜け道は把握してある」
蝶子は携帯電話を取り出した。
液晶ディスプレイがタッチパネルとなったタイプのスマートホンだ。
手早くそれを操作する。
「よし、アクセスできた。いくよ」
蝶子の声と同時にチベット館の警備システムが停止した。
闇の中を監視していた赤外線センサーもソナーも、沈黙している。
さっきまで要塞であったその建物は、無防備な姿をさらしていた。
「凄いな。監視システム止まったよ」
蝶子は、不敵に笑ってみせた。
「ハッキングしてしまえば、無人の警備システムなんてもろいもんや」
闇に同化して佇んでいた百鬼が、先に歩き出す。
「行こうか」
その言葉に促されるように、僕と蝶子も続く。
「それにしても」
僕は後ろから百鬼に問いかける。
「あんたはなぜ、闇の中でも見えるんだよ」
「無眼流という剣術がある。事実上の開祖とも呼ばれる反町無格は視覚に頼ることをすてるため、自らの目を潰したという。視覚を失いなお最強と呼ばれた」
「まさか」
僕は少しあきれた声で言った。
「あんたその無眼流を学んだっていうんじゃないよね」
「剣の業というものは、ひとつを極めれば後は通底しているものがあり、自然に身に付くものだ。無眼流はようは気の流れを読むことだ。剣の技としてはそれほど難しいことではない」
ふーん、と思う。
何にしても想像を越えた世界だ。
唐突に百鬼は拳銃を抜き、撃った。
巨大なライフル弾を発射する銃だ。
機関部はライフルそのままで、ボルトアクションである。
その強力な銃弾はいつの間にか僕らに接近していた四足歩行ロボットに着弾した。
銃弾を受けた四足歩行ロボットは、火花をあげて動きを止める。
百鬼はボルトを操作し、二発、三発と撃ち込む。
金色の薬莢が、地面に落ちた。
僕は振り向くと、ダイナソーキラーを撃つ。
両手の中で破壊的パワーを持つ銃弾を放った拳銃が、ダンスする。
僕は猛獣を操るように、それをコントロールした。
やはり、僕らに向かってきていた四足歩行ロボットの装甲を貫き、内部の駆動系を破壊する。
ロボットはテイザーガンを発射したが、僕は跳躍してワイヤーに接続された電撃針をかわす。
電撃針は地面に突き刺さり火花を散らす。
後数体のロボットが、僕らを探して動いている。
僕らは走り、チベット館の中へと入った。
僕は正面玄関の扉を閉じる。
「どうもあの警備ロボットは、システムから独立して動けるようやな」
やれやれだ。
さすがにメインシステムが死んだら完全に無防備というわけでは、なさそうだ。
「そういうのは、あらかじめ言っといてほしいな」
僕の言葉に、蝶子は笑みをかえしてくる。
「まあええやろ。君の活躍できる場面が増えるやん」
「あのロボットは建物内部にもいるのか?」
百鬼の問いに、蝶子は首を振る。
「このフロアは大丈夫や。地下に降りたらまた出くわす」
「僕らは地下に降りるんでしょ」
蝶子は頷く。
「君の死体は地下やからね」
蝶子はハンドライトで図書館の中を照らす。
折り重なる書架が作り出す迷路が浮かび上がる。
累積された知の廃墟。
その中を真紅の着物を纏った蝶子は、先にたって僕らを案内する。
その迷宮の奥に、一冊の本が浮かびあがった。
革の背表紙に金色の文字が輝く。
蝶子がため息をついた。
「見ろ、ボイニッチ写本や。まさかほんまにあるとはなあ」
蝶子はその本を抜き取り、開く。
おいおい。
「そんな場合じゃないでしょうが」
「その奥」
蝶子は、本を見ながら指差す。
僕は書架の奥にあるスイッチを見つけた。
それを押す。
書架がスライドしてゆき、扉が姿を現した。
蝶子は残念そうに、本を書架にもどす。
「しゃあない、いこか。君の身体取り戻しに」
蝶子は扉を開く。
そこは、エレベーターホールだ。