第二章 湖の底の船 その3
三人が岸まで戻ると、ルウとガグリの三兄弟が大岩から下りて待っていた。
「まあ、ブッカどうしたの? びしょ濡れじゃない」
ルウはトウリにおぶわれてぐったりしているブッカを見て驚いた。
「やあルウ、見ての通り、名誉の負傷さ」
ブッカはへろへろの声で大げさなことを言った。
「か、怪物だ。怪物にやられたんだ」
ガグリの長兄が興奮気味に叫んだ。弟達も声にならないうなり声を発している。ソビィはその姿に何か薄気味悪いものを感じて、思わず目を逸らした。
トウリはブッカを降ろし、両手を組んで大きくひとつ伸びをした。それからさっき見て来た『怪物』の正体について、ルウとガグリの三兄弟に説明を始めた。
「そのことだがね、結論から言うとあれは怪物なんかではなかったよ。あれはね、船だ。船の先端部分が地中から出ているんだよ」
ルウはおどろいた。「まあ船ですって!」ルウの心になんだかとても《素敵な予感》が芽生えてしまった。日常とはまるで違う、なにか特別なことのはじまりの予感だ。
と、そこではっとして隣にいる三兄弟を見た。長兄は無言でトウリを睨みつける。弟たちは、そんな兄の姿を不安そうに見ている。トウリは困った顔でそんな三兄弟を見ていた。
「か、怪物が船にされたんだ。魔女が魔法で怪物を船にしたんだ」
突然、ガグリの長兄が叫んだ。しかもルウを指差して。ルウはいきなり指をさされて、しかもなんだか魔女の悪口まで言われてしまった。しかし、あまりにも突然でびっくりが先に来てしまい、怒る事が出来なかった。でもびっくりが過ぎてしまうと怒りよりもまず悔しい気持ちが大きくなった。
「な、なによ、いきなり! どうしてそこで魔女が出てくるのよ」
ルウはまだこっちを指差している長兄の手をはたいてやった。長兄は「わぁ」と驚いて手を引っ込めた。その後ろで「なにすんだ」と弟達がわめき散らした。
「うるさいわね! 人のこと指差すなんて失礼じゃない。そもそも魔女がなんで怪物を船にしなきゃいけないの。そもそも怪物が船にされたなら、もうあなた達がやっつける怪物なんていないじゃない。そもそもあなた達はおうちのお手伝いもしないでどうして遊んでばかりいるわけ!」
ルウは悔しさのあまり、そもそも論を展開した。ガグリの三兄弟はルウのあまりの剣幕にたじたじになった。しかし末弟は棒を振り上げ、あくまで虚勢を張っている。
「まあまあ、ルウその辺で許してあげなさい。君たちもそんな棒なんてしまいなさい」
トウリがたまりかねて間に入る。しかしルウは不満顔でトウリに訴える。
「だって先生、この子たちひどいんですもの。まるで魔女のことを怪物扱いだわ」
ルウがそう言ってガグリの三兄弟を指差すと、そこにはもう三兄弟の姿はなかった。
「や〜い、魔女っこ。ば〜っか」
ガグリの三兄弟は、いつの間にか浜の入り口まで逃げており、ルウに向かって幼稚な悪口を浴びせ、仕舞にはお尻ペンペンまでする始末だ。ルウはふーとため息をついた。なんだかばからしくなっちゃった。せっかくのステキな予感が、なんだかドロドロの油でもかけられたみたいに嫌な気分になっちゃったわ。ルウはもう一度大きくため息をついた。
「あれは元々から船だよ。魔法で船にするとかある訳ないじゃないか。まったくあの三兄弟はナンセンスだ」
ソビィがボソリと呟いた。ルウがはっとしてソビィを見ると、照れくさそうにそっぽを向いている。どうやらソビィなりの不器用なやさしさだったようだ。ルウはそんなソビィの姿を見てちょっぴり機嫌がよくなった。そしてさっきのとても素敵な気分だった時に思いついたことを口にしてみた。
「ねえ、その船に乗ってみたくない?」
びしょびしょの体を葉っぱで拭っていたブッカがルウの言葉に反論した。
「船に乗るだって。ムリムリ、だってあの船は泥の中に沈んでいるんだぜ」
すこし休んで復活したブッカは、いつもの調子を取り戻していた。
「泥に沈んでいるなら、引っぱり揚げればいいじゃない」
ルウは話しながら自分の思いつきがとても良いものに思えた。
「あれを引っぱり揚げるなんて。はっ、君はいったいどれだけの人夫を使うつもりだい。それに引き揚げたって腐ってて乗れるわけないじゃないか」
ブッカはルウを小バカにしながら言った。
「カナンの人たちにも手伝ってもらいましょうよ。そうすれば簡単よ。それに腐っているところは修理すればいいじゃない」
ブッカは両手を広げて、やれやれと首を振った。
「ねえ先生、船はどれくらいの大きさなの」
ルウはそんなブッカのことはもう相手にしないで、トウリに向かって聞いてみた。トウリは少し考えて、
「ふ〜むそうだね、ここは実際に船を確認したソビィに聞いてみようじゃないか」
トウリはそう言ってソビィを見た。ソビィはみんなの視線を感じて少し顔が赤くなった。しかし口元にきゅっと力を込めてルウの質問に答えた。
「まずあの船の状態だけど、先生がさっき言われたように地中から出ているのは船首の先端部分だけだ。ほとんどの部分は地中に埋まっている。船首の向きからして船尾を下に45度くらいの角度で埋まっていると思われる。船の大きさは船首飾りのサイズから計算すると約15レピくらいかな」
ソビィは言い終えるとトウリの顔をちらりと見た。トウリはにこりと頷く。ソビィはなんだか照れくさくて鼻をかいた。
「15レピだって! いったい何の船なんだい。マルミの漁村にだってそんな船はないぜ」
ブッカは驚いた。この辺りで船といえば漁船くらいしか見たことがない。アビコの庵からカナンの逆方向に行くとマルミという漁村がある。そこの漁船とて大きさは5レピからせいぜい7レピくらいだ。チビのブッカにすればそれでも大きく感じるのに15レピだなんて!
「まあ大きさからしたら中型の漁船だが。船首飾りからすると旅客船かな。しかし旅客船にしては小さい。ひょっとすると貴族の遊覧船あたりかもしれんぞ」
トウリがおどけてそう言うと、ルウは飛び上がって喜んだ。
「まあ、すてき。貴族さまの船だなんて。ねえ先生。やりましょう。船を引き揚げましょうよ」
ルウはもうすっかりやる気になっている。トウリはどうしたもんかと言う顔でソビィに向かって尋ねた。
「ソビィはどう思うかね」
ソビィは少し迷ったが自分の考えを口にしてみた。
「引き揚げ自体はそんなに難しくはないと思います。ただ人手は多い方がいい。マルミの方にも声をかけてみましょう」
「なるほど。マルミには船大工もいるしな。引き揚げ後の修理のことを考えると、それはとてもいいアイデアだ」
トウリが感心しながらそう言ったもんだから、ソビィは顔を真っ赤っかにして大いに照れてしまった。
「じゃあ決まりね。さっそくみんなを呼びにいきましょう」
ルウはもうやる気満々だ。あわててトウリが注意する。
「おいおいルウ。ちょっと待ちなさい。いきなりは無理だよ。そもそも水が引かなければ作業できないからね」
「あ、そうか。じゃあ今日は無理なのね」
ルウはそう言って少しがっかりした。
「君は今日やるつもりだったのかい。まったくこれだから子供ってヤツはな〜」
ブッカはあきれ顔でルウを見た。
「まあ、あんただってチビの猫のくせに」
ルウはぶぅとふくれてる。
「ふむ。あそこまで水が引くには少なくともあと一週間はかかるだろう。話はそれからだ。まあ雨が降らなければの話だがね」
トウリがそう言うと、ルウは空に向かって祈った。
「ああ、雨さま! ここまで降らなかったんですもの。どうか、あと一週間は降らないでください」
その後、トウリとソビィは定期観測の準備を始めた。もちろんルウも手伝いをした。しかし手伝いをしながらも、ルウは船のことばかり考えていた。こんな素敵な気持ちになったことは今までなかったのだ。この予感はいったいなんだろう。いったいなにがはじまるっていうの。ルウの心は、たんぽぽのわた毛よりも軽くふわふわと空中を浮遊していた。
「君、手伝うんなら、ちゃんとしてくれよな」
ソビィに言われてルウは、はっと我に返った。そうだ今はちゃんとお手伝いしないと。ふと見ると、ブッカがいつの間にか戻って来ていたガグリの三兄弟と湖に向かって石投げ遊びをしていた。
「なによ、あなたのほうがよっぽど子供じゃない」
ルウはむっとしながらそうつぶやくと、バケツを手にしてトウリとソビィの後を追った。




