第一章 アシアト湖に住む魔女 その3
トウリの話によればアシアト湖の水質観測ポイントは三箇所ある。その一つがボロ桟橋だ。その前にもう一箇所回って来たが、すでに水が干上がってしまっており調査をあきらめたそうだ。そして残りの一箇所がカナンの集落近くの大岩ガ浜とのことだった。しかしボロ桟橋から向こうは葦の群生地になっているため、大岩ガ浜へ行くには大きく迂回しなければならない。一行は一旦里道に出てカナンへと向かった。
「本当はアシアト湖全域を調査したいんだが、あまりに大きな湖だからね、半ば諦めているよ。それに学校のこともあるしね」
トウリがそう言うと、
「でも学校っていったって生徒はソビィだけじゃないか」
とブッカに笑われてしまった。
「一人でも生徒がいる限り学校はやめるわけにはいかない。それにソビィは学問の筋がいい。まだまだ伝えるべき事は山ほどある。実のところ観測よりもその方が大事だと思っているのだよ」
ソビィはこういう時、何も言わない。ただ照れくさそうに一番前を大きな荷物を抱えながら歩いていた。心なしか少し早歩きで。
「ねぇ先生、魔法を教えてくださるなら私も学校へ行くわ」
ルウは少し期待をこめて言ってみた。
「はっはっはっ魔法か。残念ながら私は学者だ。魔法は教えられないねぇ」
「もう先生もだめなの。いったい誰から魔法を教わればいいのよ」
ルウはため息まじりにつぶやいた。
「ルウ、魔女というのはね、生まれながらに魔女なのだよ。ゆえに魔法とは教わるようなものじゃないらしい」
「じゃあどうすれば魔法が使えるようになるの、先生」
「うん? いや私は学者だから魔法についてはこれ以上語るのはよそう。アビコどのに叱られてしまう」
トウリは少し軽率な発言をしてしまったと反省した。ルウはといえばそれはもう不満たらたら顔でトウリを見ている。そんなルウにブッカが言う。
「なんだ君も猫と同じじゃないか。生まれながらに魔女だなんて。でも今のご不満顔を見るとアビコそっくりだし納得だね。まさに君は魔女そのものさ」
「まぁほんとにいやな猫! ちょっと待ちなさいブッカ」
ルウは逃げて行くブッカを追いかけて走り出した。トウリは内心ほっとした。ふと見るとソビィと目があった。いつもの無愛想な目にトウリは肩をすくめ応えた。
「こら、まちなさいブッカ。チビ猫!」
「あっははっー、ジョークだよジョーク。それに僕は褒めたたえたんだぜ。なんで怒ってるんだよ」
「むっ。うそおっしゃい。おばば様も魔女の事もばかにして。もうゆるさないんだから。とまりなさーい」
「うっへー、かんべんしてくれよ。あっ、ほら。見えてきたじゃないか。カナンについたぜ」
ブッカは大きな声でそう言って急に立ち止まったので、後ろのルウはぶつかりそうになった。
「ちょっと急にとまらないでよね」
ムスっと膨れっ面のルウは、コツンとブッカにげんこつをくれてやった。
カナンはアビコの庵からは最も近い集落だ。住人はみな田畑を持っており、畦の間に家屋が点在している。時折、新鮮な野菜を持ってアビコの庵を訪れ、薬などと交換していくためルウの顔見知りも多い。
「もう少しだ」
ルウたちに追いついたトウリが先を促す。カナンを抜けてまたしばらく歩くと大岩ガ浜へ伸びる下道へ出た。一行はそのジグザグ道を雑草をかき分けながら進む。やがて視界がひらけ、突然巨大な平べったい芋形の大岩が姿を現した。
「わぁ大きい」
ルウもブッカも何度も来た事のある場所だったが、今日はいつもより巨大に見える。
「水が涸れているからね」
ソビィがぼそりと呟いた。このあたりも水位がかなり下がっており波打ち際も岸からずいぶん先に見える。いつもは半分以上湖面の中にいる大岩がむき出しなのだ。ルウ達はその存在感に圧倒された。
「先生、大岩の上にあの三兄弟がいます」
そう言ってソビィが指差したのはその大岩の先端で、そこには三つの黒い影があった。その黒影は岩の上から湖面を眺めているようだった。手には棒を持っており、それを振り回しながら何かを叫んでいるようだ。
「ガグリの三兄弟か」
トウリが言う。ガグリはカナンの集落の顔役で三兄弟はその息子達だ。この三兄弟は農作業の手伝いもせず遊んでばかりいる。一度母親が息子達の将来を心配し、この三兄弟をトウリの学校へ連れて来た事があったが、三兄弟はその日のうちに逃げ出してしまった。以来この三兄弟はカナンの住民にも手に負えない存在となった。
「何してるのかしら」
「ケンカでもしているんじゃないの」
ブッカがルウの疑問に適当に答える。
「そりゃいかん。武器を持ったら怪我人が出るぞ。早く止めねば」
真に受けたトウリが大慌てで大岩を登りはじめた。ルウもその後を追う。その後に続くソビィが一瞬ブッカに向けて非難めいた目を向けた。ブッカはその視線に気づいたが無視して、
「僕もい〜こうっと」
と大岩に飛びついた。