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第十一章 眠れる力 その8


 ルウがカナンへ到着した時、すでに山の半分くらいが赤く染まっていた。ルウはそれでも躊躇無く集落を抜け、山へ通じる道を突き進んだ。

 後から来たソビィが空を見上げた。風に乗った火の匂いが鼻につく。


(そろそろこの辺りも危険だな)


 そんなことを考えながらルウの後を追う。

 

 ルウは走りながら思った。いったいなんのために走ってるんだっけ? そうだガグリの三兄弟を探しに来たんだった。でも本当に山へ入ったのかしら。ブッカの言う通りどこかでウルスを追うのをやめて白鳥号に戻っているかもしれない。うん、そうだったらいいのにな。でもそしたら私はなんのために走っているんだろう。う〜んやっぱりあの三人はこの山のどこかにいる。でも、もしガグリが山にいたとして、どうやって探せばいいんだろう。ああ、ソビィは怒ってるだろうな。ブッカはあきれてるかしら。

 

 ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ


 またも地鳴りが響き大地が揺れた。


「きゃあ」


 ルウは足を取られ尻餅をついた。地鳴りが止んでもしばらく動くことができない。気は張っていたが体は正直だった。怖くない訳がないのだ。なんとか立ち上がったが足がガクガクし、思うように動けなかった。


「ルウー!」


 不機嫌を通りこしたソビィの大絶叫が響いた。よたよたの足音と、息切れのぜいぜいした音が近づく。


「や、やっと追いついた。まったく君ってヤツは……」


 ソビィは肩で息しながら、それでも精一杯優しい声で、


「つかまえた」


 と言ってルウの腕を握った。ルウは何か言いたげだったが声が出ない。その両目にはこぼれ落ちそうなくらい涙がたまっていた。しかしソビィは首を横に振って、ため息混じりに自分でも嫌になるような冷たい言葉を吐いた。


「残念だけどもう無理だよ。これ以上は絶対に行かせない。諦めるしか無いよ」


 ルウは無言で懇願するような目でソビィを見ていた。ソビィはその視線に言い訳するように喋り続けた。


「もう火がそこまで来ているんだ。空を見てみろよ。火の粉が飛んでるぜ。カナンどころか白鳥号だって危ない。水が無きゃ消火もできない。もう逃げるしかないんだ」

 

 その時ルウの中でずっと引っかかっていた『何か』が転がる音がした。

 今、ソビィはなんて言った? 水……水が無きゃ消火ができないって……水! 水はあるんだ! そうよ水ならあるのよ!


「ソビィ!」


 ルウはめいっぱいの力を込めて声を出した。その瞬間、体中に力が戻ってきた。

 ソビィは突然名前を呼ばれて驚いた。そして目の前のルウの表情の変化に驚いた。目をきらきらさせて何かいいことを思いついたときの顔だ。そこにはいつものルウがいた。


「あるのよ、水なら! あるのよ!」


 そしてルウは再び風のように走りだした。


「お、おい、待てったら」


 ソビィは「またか」と一瞬天を仰いで再びルウを追った。ルウは今来た道をどんどん戻ってゆく。一旦カナンの集落に戻り、里山にある果樹園の方へ進んで行く。そしてその奥の茂みを抜けると、すり鉢状の窪地が見えた。

 ルウを追ってきたソビィは息つく間もなく目を見張った。


「こ、これは隠し沼か」


 ソビィは息を整えながら呟く。


「ねえソビィ、どうして湖の水は涸れていくのにこの沼の水は平気なのかしら。ううん、この沼だけじゃないわ。おうちの井戸だってそう。カナンの井戸だって涸れていないわ」


 考えてみるとルウは不思議だった。あの大きな湖の水がどんどん減っていくならば、こんなに小さな沼などとっくに涸れていてもおかしくはない。しかし水はむしろたっぷりあるのだ。


「ん?」


 ソビィはルウのその疑問を聞いて、確かに学校のそばの井戸も涸れていないことに気づいた。言われてみれば確かにそうだ。現にここには水がある。ソビィの思考が回転する。その回転の渦の中から答えを見つけなければいけない。


(考えろ、考えろ!)


 ソビィは目を瞑り黙考する。ルウはじっと待った。風の音とともに火の粉の匂いが漂ってきた。が、じっと待った。


「そうか、地下水脈だ!」


 はっと目を見開きソビィはそう叫んだ。そして落ちていた枝を拾って絵を描いた。アシアト湖と隠し沼、それに井戸の絵だ。そしてその下にそれらを繋ぐ線を描く。


「湖とこの沼、それに君んちの井戸なんかもそうだけど、この辺りの水源はみな地下水脈で繋がってるんだ。きっと沼も井戸も水は減ってるんだよ。しかしその水は湖から補填される。だから湖だけが水が涸れていくように見えるんだ。あの湖は貯水槽のようなもんなんだよ!」


 ソビィは今思いついたことを興奮気味に話した。しかしルウはとても静かに聞いていた。ソビィはルウのその姿を見て、にわかに冷静さを取り戻した。


「そうだ、そんなことがわかったって、今さらどうしようもない。それに実証が出来なきゃ、ただの仮説に過ぎない。どっちにしても僕たちだけで消火なんて無理だ。さっさと逃げないと、ここだって危ないぞ」


 そう言ってソビィはルウの手を取った。しかしルウは動こうとしなかった。それでもソビィはその手を強く引っ張る。


「ルウ、何してるんだ。早く!」


 いら立つソビィにルウは静かに振り返る。ソビィは思わず手を離した。ルウの顔はまるで白鳥号の女神像のように穏やかで優しい顔だったのだ。


「ソビィ、私わかったの。ううん、本当はあの時にはわかってたんだわ」


 ルウはソビィを見るともなしに話しはじめた。


「ルウ、何がだい。何がわかったんだい」


 ソビィは焦っていた。この間にも火の手は迫っている。早く逃げないと手遅れになるかもしれない。しかしルウはそんなことには頓着せずに話を続ける。


「ソビィ、前に言ったよね。魔女は生まれながらに魔女なんだって。私なんのことだかちっともわからなかった。でもウルスに名前を付けた時、私は確かに魔法をつかったのよ」


 ソビィはいつの間にか火のことなんて忘れていた。もう黙ってルウを見るだけだった。


「おばば様は言われたわ、あんたの出来ることをやるんだよって。私、自分に出来ることなんて何も無いって思ってた。でもここにあったわ。私に出来ることを見つけたの」


 ルウはそっと沼に近づき水面に手を触れる。淡い波紋が広がって消えた。


「私は魔女よ。魔女のルウ。だから魔女のやり方で、私の出来るやり方であの子たちを助けるわ」


 そう言うとルウは大きく息を吸って、ゆっくりとはいた。

 そして両手を広げ、目を瞑る。

 少しずつ髪の毛が舞い上がっていく。

 ルウの体の周りに気流が生まれた。

 ルウは目を開ける。そして沼に向かって何かをささやいた。

 

 一瞬の間、そして次の瞬間、水面が揺れた。


 シュシュシュシュシュゥバシュバシュバシュバババババッッ


 その瞬間をソビィは見た。沼の水面が巻き上がり、龍の化身のように天に伸びて行くのを。

 水の龍は一匹ではなかった。カナンの井戸から、アビコの庵の井戸から、他にも水脈の出口となっている井戸や池から次々と水龍が現れた。その龍の群れがカナンの一歩手前まで迫っていた火蛇の群れに噛み付く。じゅじゅじゅうっと火の消える音がする。それは炎の断末魔か。その音が、炎の消えるその音が、山の至る所で聞こえてくる。そしてその後には大量の煙と水蒸気が発生し、混じり合いながら空へ空へと昇ってゆく。

 ソビィは見た。

 空に大量の雲が立つのを。暗黒の雲は稲光を放ちながらどんどんと大きくなってゆく。

 その雲の下でルウが天を仰いでいた。遠くで爆発音がした。ソビィも空を見上げていた。その額に一粒の水滴が落ちた。


「雨だ」


 ソビィは呟いた。



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