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第一章 アシアト湖に住む魔女 その2



 ところで朝の来ない夜明けの国にも朝はやって来る。つまり「朝の来ない」というのは日が昇らないということであり時間としての朝昼晩の区別はちゃんとある。当然季節もあり、今は春から夏に向かう新緑の季であった。例年では二日に一度は雨という時期だが今年は月半ばを過ぎても一滴の雨も降らなかった。

 ルウとブッカが外に出ると、この季節特有のもあっとした暑さはなく、むしろ少々肌寒い。


「ねえブッカ、ちょっと寒いじゃない」


 なんで言わなかったのよ! と言わんばかりの物言いでルウが言うもんだから、ブッカは少しむっとした。


「へん、君も魔女の娘ならぬくもりの魔法でも使ったらどうだい。それにぼくにはちょうどいい。とってもいい毛皮があるからね。そうだ、どうせなら毛フサフサの魔法を使うといいさ」


「毛フサフサの魔法なんてあるわけないじゃない。そもそも私はまだ子供だから魔法なんて習ってもないわ」


「へえ、君はいつもそうだね。子供だから魔法できな〜いなんて。それならさっさとアビコに魔法を習えばいいじゃないか」


「だってしょうがないじゃない。おばば様は魔法の事なんてなんにも教えてくれないんだから。きっと私がまだほんの子供だからなのよ」


「そうなのかい。ぼくなんて生まれながらに猫だけどなぁ。魔女ってのはそうじゃないってことかい」


「なによそれ。そんなこと知らないわよ。でも魔法ができないんだからまだ魔女じゃないんじゃないの。そうよまだ子供。ただの子供よ、きっと」


「ふ〜ん、まあいいけどね。でもそれなら君は魔女になんかならないほうがいいと思うけどな」


「あら、どうして?」


「だって魔女になったらアビコみたいにいつも不機嫌な顔になっちまうぜ」


「まあ、ブッカったら。ひどい猫!」


 庵からなだらかな一本道を少し歩くと湖の浜辺に出る。アシアト湖という湖はとても大きな湖だ。トウリの話では対岸へ船で渡るにも丸二日はかかるらしい。まるで海のようだとトウリは言うが、海を知らないルウにはいまいちぴんとこない。しかしその湖は今、確かに水が減っており、なんだか藻の腐ったような臭いが充満している。その臭いに顔をしかめながら浜辺沿いをしばらく歩くと、むき出しになったボロ桟橋が見えて来た。闇に浮かぶシルエットはなにか巨大な生物の骨の残骸のようにも見える。その桟橋の先に人影がふたつある。その人影は湖にバケツを放っては引き上げる作業を繰り返していた。


「ほらあそこさ」


 ブッカがパンをかじりながら指さして言った。


「行ってみましょう」


 ルウはそう言うとブッカをおいて駆けだした。ブッカは「そんなにいそがなくても」と言いながらパンを食べる。さては、のんびり行くつもりだ。


 ルウが近づいても二つの影は同じ動作を止めようとしない。長身のやせ細った初老の紳士が学者のトウリだ。ぼさぼさ頭に丸眼鏡、いつもの白衣姿でシャツの襟元には赤いブローチのついたループタイを巻いている。そのトウリはノートを持ってしきりに何かを記入している。バケツを放っていたトカゲの少年はトウリの学校の唯一の生徒でソビィといった。するどい小さな目は真剣な面持ちで作業を続けている。頭の上にはトウリから貰った格子柄のハンチングを被っている。こちらも白衣姿だが点々と泥がはねている。


「や、おふたりさん今日もごくろうさん。絶好の調査日和だね」


 遅れて来たブッカが大げさな口ぶりで近づいて来ると、やっとトウリがこちらに気がついた。


「おやブッカにルウじゃないか。おはよう。いつからいたんだね」


「おはようございますトウリ先生。ついさっきからいますわよ」


 ルウはぺこりとお辞儀をして、少しいたずらっぽく言った。


「仕方ないよルウ。大先生は調査に夢中なんだから。で、調査は順調なのかい」


「ふむ。調査というのは結果への過程でね、順調かと聞かれればまだわからないとしか答えられない。もっとも君が言う調査が今行っている作業そのものを指すのであればきわめて順調と言えるがね」


 トウリは学者語(これはアビコが言っていた)を喋るので何を言っているのかよくわからないことがあるが、とりあえず調査は順調なんだとルウもブッカも理解した。


「先生、もう少しですからよそ見をしないで下さい」


 ふてくされた声でバケツを抱えたソビィが言う。トウリは「やあ、すまんすまん」と言いながら鉛筆で頭を掻いた。


「今日はいったいどんな調査なの」


 ルウがソビィに尋ねたが、ソビィはちらっとルウを見ただけで質問には答えず、黙々と作業を続けた。ルウはといえばそんなソビィの態度には慣れっこなのでまったく気にしない。ただその見慣れぬ作業を黙々と続ける、少し猫背な後ろ姿を楽しそうに見ていた。ソビィはそんなルウの視線を気にしながらも、バケツの中の泥水を小さなビンに入れてトウリの書いたラベルを貼付けていく。その作業を何度か繰り返し、ようやく一段落したところでソビィがふてくされた声で答えた。


「湖の水質と泥の成分調査だよ」


「へぇ〜」


 と興味津々のルウは並べられたビンを眺めていた。ビンは七つあり、一番左の物には透明な水が入っている。右に行くほど中身の水が濁っていき、一番右のビンには泥が入っていた。


「湖の深さによる水質の違いについての調査だ。我々は月に一回この作業を行っているんだよ」

 

 トウリはあご髭を触りながらルウに説明した。ルウはへぇと頷きながら聞いていた。


「そんなの調べていったい何がわかるっていうのさ」


 ブッカがパンをかじりながら聞くと、


「君、そんなことトウリ先生に聞いたら、ここで授業が始まっちまうぜ」


 とソビィがバケツの泥を拭いながら言ったので慌てて、


「このパン美味しいや。さすがアビコの作るパンだ」


 と適当に話題を切り替えた。


「ねぇ先生、私たちせっかく調査を見に来たのにもう終わりだなんて、なんだか物足りないわ」


「おや、これで終わりだなんて誰が言ったかな。定期観測ポイントはもう一箇所あってな。これから行くところだが、君たちも一緒に来るかね」


「ええ、もちろん! ねぇブッカ」


 ルウは元気よく返事した。ブッカはとても迷惑そうに、


「行ってもいいけど僕は手伝わないよ。絶対に」


 とパンの最後の一欠けをポンと高く放り投げて、くわえようとして失敗した。

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