第七章 お茶の時間 その1
言葉を覚え、礼儀作法まで身につけ、大いに成長を遂げた山の子であったが、その巨体もまた大いなる成長の途中であった。このひと月の間に山の子の体はゆうに10レピは越えていた。これは発見時の倍ほどの大きさだった。
さてお茶会パーティの当日、久しぶりにその巨体を目の当たりにした実行委員の連中はみな驚いた。
「やあこりゃ困った。こんなに大きくなるなんて、これじゃ用意した食器じゃ小さいんじゃないかい」
「しっかしもう時間がないべ。今から作り直せねえべ」
男達が用意した食器は木製の大きなお皿とカップだったが、発見時の山の子にあわせて造ったので今の山の子にはちょっと小さめだった。
「それじゃあの船はどうだい? 白鳥号をカップにすればちょうどいいじゃないか」
ブッカが冗談まじりにそう言うと男達は大笑い。
「はっはっはっそりゃいいや。でもコーヒーを入れちまったら黒鳥号になっちまうぜ」
一方ルウは結局昨日は書庫に籠ったまま一夜を過ごしてしまった。
「ああ、寝過ごしちゃった」
ルウはとぼとぼと、ひとり大岩ガ浜へと向かっていた。それにしてもあんなに楽しみにしていたお茶会なのに、こんなに足取りが重いだなんて。それもこれも……
「どうしよう……山の子さんのお名前」
そう、結局ルウは山の子の名前を決めることが出来なかったのだ。
ルウはあの日、アビコに山の子の名付け親になれと言われた日、とても嬉しかった。なにせ山の子が自分の付けた名前で呼ばれるのだ。それにトウリの話では山の子はいずれ山になるのだ。ならばそれは山の名前を付けると同じことなのだ。だからこそルウは立派な名前を付けてあげたい一心で、迷いに迷って今日まで来てしまった。
「はあ〜せっかくおばば様が任せてくださったのに」
そう、ルウはアビコからこれほど重要なことを任せられたことなどなかったのだ。だからこそ、その期待に応えきれない自分が腹立たしくもあった。俯いて歩くルウは、八つ当たり気味に足下の小石をポーンと蹴飛ばした。小石は思いのほか高く飛んで、前からやって来たソビィの前で落っこちた。
「なんだよ、危ないじゃないか」
ソビィは相変わらずの不機嫌声だった。
「ご、ごめんなさい」
ルウは自分の不注意を素直に謝って目を伏せた。ダメな時は何をやってもうまくいかない。そんなルウの目の前に、突然一冊の本が飛び込んできた。
「これ、貸してやるよ」
ソビィが本を差し出して静かにそう言った。
ルウは顔を上げてソビィを見た。ソビィはあさっての方を向いて本を差し出していた。照れくさそうな後ろ姿だった。ルウがぽかんとしているとグイと本を押し付けてきた。
「これ何の本なの?」
ルウはそのぼろぼろの小さな本の表紙を見たが、書いてある文字は見たことの無いものであった。
「ツェペリ辞書だよ」
「辞……書?」
「ツェペリというのは中世の言語学者でね、その学者が古代文字の収集と分類を行った集大成がこのちっぽけな辞書だよ。ただ記されている文字が僕らのものと違うからね、僕にだって半分も読めないけど」
ルウは聞きながらページを捲ってみた。ふと目についたページには見慣れぬ文字がびっしりと詰まっている。
「どうせまだ名前、決まってないんだろう。これ貸してやるよ」
ソビィは照れくさそうに小さな早口で言った。ルウは少し戸惑った様子で、
「ありがとう。でも私の知らない文字がたくさんあって、とてもじゃないけど今から調べるなんてできないわ」
とページをぱらぱらと捲りながら肩をすくめた。
「何もそれで調べろなんて言ってないさ。この小さな辞書はね、僕が初めて手に取った本さ。僕が先生と出会い、学者を目指すきっかけになった本なのさ。まあお守り代わりに持って来たんだけど……ところで君は学者にでもなるつもりかい」
ルウはハッとして顔をあげた。ソビィは鋭い目をしてこっちを向いていた。
「トウリ先生が言ってたろ。魔女ってのはなろうとしてなれるもんじゃない。生まれながらに魔女なのさ」
ソビィは再びあさっての方を向いた。
「君だって子供とはいえ魔女なのさ。魔女なら魔女らしい本の使い方があるんじゃないのかい」
「で、でも私まだほんの子供だし、魔女らしい本の使い方だって習ってないし」
「魔女の本の使い方なんて方便さ。ただ本を捲って言葉を探すなんて、いかにも学者のやり方じゃないか。もっと魔女らしいやり方……君らしいやり方ってのをためしてみればいいじゃないか」
ルウの心はその言葉に射抜かれた。魔女らしいやり方ってなんだろう。私らしいやり方なんて出来るだろうか。ううん、出来るかじゃない。やるんだ! そう思ったら急に晴れやかな気持ちになった。
おばば様は私に名前を決めろと言った。それは山の子さんの運命が私に託されたということ。たとえどんな名前になろうとも、それは私が決めること。魔女の私が決めることなんだ。
「ありがとうソビィ。でもどうしてこんなに親切にしてくれるの」
ルウが笑顔で問うと、
「僕だって今日のお茶会は楽しみにしているし、あの山の子にもいい名前を付けてほしいからね」
と早口でそう言って足早にどこかへ行ってしまった。
ともあれルウの心はさっきまでと違いずいぶんと楽になっていた。
カラン、カラン、カラン
お茶会の鐘が鳴った。会場は白鳥号のドックの前だ。おかみさん達がテーブルセッティングをすませたその場所に、漁師も百姓も子供たちもみんな集まってきた。
ブッカは真っ先にやって来てキョロキョロしている。ガグリの母親がそれを見て料理のチェックなどをしているんだろうと思い、
「おやブッカ先生、今日の料理は何点ですの」
とおどけて聞くと、
「いやいやみなさんのお料理はいつでも百点満点ですとも。ところでいったいルウはどこいったんだろう」
おべっかもそこそこにキョロキョロしていると、なんだか大事そうに本を抱えたルウが向こうからやってきた。
「やあルウごきげんよう。ずいぶんすっきりした顔じゃあないか。さてはようやく名前が決まったようだね」
「あらブッカ大先生、ご心配なく。きっといい名前を見つけてみせますわ」
「えっ、てことはまだ決めてないのかい? もう間に合わないじゃないか」
「だいじょうぶ。まかせて、まかせて」
ルウは胸をとんとたたいて元気よくそう言うとみんなの元へ向かった。ブッカはその後ろ姿を見ながら、
「ほんとにだいじょうぶかいな」
と心配そうに呟いた。
みんなが集まると、司会のトウリが挨拶に立った。形式的で退屈な挨拶に、漁師達からヤジが飛ぶ。
「おーい学者先生よぅ、早くしてくれぇ。もう腹ぺこだよ」
「で、では今日の主賓、山の子殿を呼んでみましょう」
トウリは額の汗を拭いながらソビィに合図を送った。ソビィは頷いて後ろに向かって手を挙げた。すると会場から大岩に向かって並べられていた二列の松明に火が灯り、炎の回廊が出来上がった。そして大岩の向こうから山の子がぬっと姿を現した。ひと月前に見たっきりの人々は、松明に照らされた山の子のその大きさに驚いた。その山の子がドシンドシンとゆっくり近づいてくる。よく見ると山の子の前にはガグリの三兄弟がいる。どうやら誘導しているようだった。山の子が一歩踏み出すたびに地響きが大きくなる。その姿は近づくたびに大きくなる。大人達はみな息をのんだ。おかみさんの中には驚きのあまりテーブルの下に隠れる者もいた。しかし子供たちはともに机を並べた仲だ。みんな山の子の元へ駆け寄り、一緒に歩きはじめた。
「さあ、みなさん山の子殿がお見えになりました。どうか盛大な拍手を」
トウリがそう言ったが、大人達はまだみんなあっけに取られている。そこでブッカが大げさに、そして力強く拍手をした。ルウも負けじと痛くなるくらい手を叩いた。すると周りの大人達もつられて手を打ちはじめた。
先頭を歩くガグリの三兄弟も子供たちもとても誇らしい気持ちだった。山の子は少し照れたような表情で歩いている。白鳥号の近くまで来るとガグリの三兄弟が立ち止まり、山の子に向かってここへ座れと合図した。山の子はこくんと頷くとゆっくりと腰を下ろした。その瞬間、もの凄い衝撃で地面がびりびり揺れた。大人達は驚いたが子供たちは慣れたもので「キャッキャッ」とはしゃいでいた。
「さあ山の子殿が席に着かれました。それではただ今からお茶会のはじまりです」
トウリが高らかに開会を宣言した。さあ待ちに待ったお茶会のはじまりだ。しかし大人達はみんな固まっていた。お茶会といっても言葉は知っているが作法など知る訳がない。やろうとは決めたものの、いざ始まってみると一体何をどうすればいいのやら全くわからないのだ。
「さぁさみなさん、そんなに固くならずともよいのですよ。なぁにお茶会といっても貴族のそれとは違うのです。作法など気になさらずに、要はお酒抜きの宴会だと思えばいいのです」
トウリが説明すると漁師の親方が、
「俺は酒があったほうがいいなぁ」
と言ってみんなが大笑いした。それでみんなの気持ちがほぐれた。
「よーし、じゃあごちそうをいただくべ」
とみんながテーブルのごちそうに向かった。テーブルの上にはごちそうの他にも焼き菓子やジュースもたっぷりあり、子供たちも大喜びだ。ブッカなどは両手にお皿を持ち、口にはコップをくわえていた。それを見たおかみさん達はあきれて笑うしかなかった。
「そう言えばおばば様がまだ来ていないわ」
ルウはキョロキョロと周りを見渡した。その姿に気づいたトウリがそばに来て、
「アビコ殿は朝一番に来られたのだがね、まだ足りない物があるからとまた行ってしまわれたのだよ。少し遅れるよと言ってね」
と声を掛けてくれたので、ルウは安心した。
そのうち腹を満たした若い漁師達が漁歌を歌いはじめた。余興の始まりである。若衆の荒波のような歌声に山の子は手を叩いて喜んだ。その後のカナンのおかみさん達が披露した農歌はそよ風のように優しく山の子は目を瞑って聞き入った。そして子供たちの元気なわらべ歌には一緒になって歌っていた。
そんな山の子の姿を見て、大人も子供もみんな大喜びだった。ルウもとても楽しんでいたが、ふと見ると山の子の後ろにアビコの姿を発見した。そしてルウは突然自分の役目を思い出した。胸がどきどきしてきた。




