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第六章 ブッカ学校 その1


 あくる日、ルウが起きるとすでにアビコの姿は無かった。山の子のところへ行ったんだと思い、寝ているブッカを無理矢理起こして湖に向かった。


「なんだよもう〜ぼくはまだ眠いんだぞ」


 ブッカが目を擦りながらブツクサ言っているのがルウには少し腹立たしかった。


「なによ、この前はなんで起こさなかったんだなんて言ってたくせに。今日なんてとっくに朝なんだから起こして当然でしょ」


「だ、か、ら、猫じゃら草で優しく起こしてくれって言ったじゃないか。まったくデカシリーがないんだから」


「まあ、それを言うならデリカシーでしょ。レディに対してなんてひどいこと言うのよ」


 ルウは顔を真っ赤にし、お尻を手で隠すような仕草をした。


「やはは、こりゃしっけい。ぼくとしたことがお恥ずかしい。おかげで目が覚めたよ」


 ブッカはそう言って大笑いしたため、ルウから特大のげんこつを食らった。


「いってぇ〜ああこりゃ完全に目がさめた。ところで君、いったい何を持ってんだい?」


 ブッカは頭をおさえながらルウの手元の物に気がついた。


「あ、これはね、前にトウリ先生からお借りした本よ。何かの役に立つかと思って持ってきたの」


「ふーん、本ねぇ。ところで君はその本を全部読んだのかい」


「そ、それは内緒よ内緒!」



 大岩ガ浜へ着くと白鳥号の周りにはちらほらと何人かの大人が集まっていた。これから港造りの打ち合わせがあるのだという。


「よう、ルウにブッカの大将。チビどもはもうあっちにいってんぜ」


 若い漁師が教えてくれた。ルウもブッカもすっかり顔なじみだ。


「やあやあ、みなさんおはようさん。昨日の宴会は楽しかったね。みなさんの漁歌の勇ましさには、さすがのぼくもしびれたねぇ」


 ブッカがまた大げさなことを言っている。いや、大げさではないか。確かにマルミの漁師達の漁歌は勇ましかったし、カナンの田植え歌はのどかで聞いていてとても心地よかった。まあその後のブッカのまたたび歌もちょっとは良かったけれども。

 ルウとブッカはしばらく漁師達と談笑してから山の子の元へと足を運んだ。

 山の子の周りにはすでにガグリの三兄弟と子供たちが集まっていた。山の子は昨日と同じような体勢でぼうっと空を見上げていた。

 ところでアビコの姿がどこにも見えない。ルウはガグリの三兄弟にアビコは来ていないか確認したが、


「魔女は来ちゃいねえ」


 と言う。ここじゃなきゃ一体どこへ行ったんだろう。


「ねえルウ、山の子に色々教えるったって、いったいどうすればいいんだい」


 ブッカに言われたがルウだってそんなこと知るはずもない。


「さあ、そんなこと私にだってわからないわ。でもおばば様もいないし、きっと私たちでなんとかするしかないんだわ。なんせ私たちは、この山の子の先生なんだから」


 ルウは喋っているうちに、きっとそういうことなんだと思った。そして山の子を見上げて大きな声で言った。


「ねえ、山の子さん、私はルウ。私たちはみんなであなたの先生になったのよ。これからよろしくね」


 山の子は相変わらず空を見上げたまま動かない。


「なんだい、この巨人は。まったく反応がないじゃないか。こんなんでいったい何を教えればいいんだい」


 ブッカが不満の声を出す。他の子供たちもどうしていいかわからず、不安げな顔でルウやブッカを見ていた。ルウはどうしたもんかと困り顔だった。その時、


「お、おれはやっぞ。このかいぶつ……んにゃ、この山の子のセンセになってやんだ」


 ガグリの長兄が力強くそう言った。次兄も末弟も「そうだそうだ」と頷いている。ルウはそんなガグリの三兄弟を見ていると、なんとも微笑ましい気持ちになった。そうだ、やるんだ。そう決めちゃえばいいのよ。


「とにかくやってみましょう。それしかないじゃない!」


 ルウはとびっきり明るい声で、そう宣言した。うへえ、ブッカはこりゃたまらんという顔でお手上げした。こういう時のルウは何を言ったって無駄だとブッカは知っていた。


「わかった、わかった、君たちには負けたよ。しかしまず何から教えるんだい?」


 そう、それが問題だ。何を教えたらいいんだろう。ルウはとりあえず子供たちにも意見を聞いてみた。するとなんてこった! この子供たちは全員読み書きが出来ないと言うのだ。


「ええ、そうなの?」


 ルウはそう言って驚いた。まさかと思い、ガグリの三兄弟にも確認したが、


「字なんて書けねっし読めね。で、でも俺たちは学校なら行ったことあんぞ」


 と、むしろ自慢げに言われてしまった。学校とは半日で逃げ出したトウリの学校のことであろう。子供たちは学校と聞いただけで、この三兄弟のことを尊敬の眼差しで見ている。ルウはブッカと目をあわせ、やれやれと首を振る。結局、この子たちも山の子と一緒なんだ。私たちががんばるしかないじゃない。ルウは今度こそ腹をくくった。よし! こうなったらみんなまとめて面倒見ちゃう。さすがにルウとブッカは基本の読み書きと、ほんの少しならそろばんだって出来るのだ。ふたりでがんばればどうってことない。まあ気まぐれ面倒屋のブッカは当然辟易しているが、ルウはそんなことお構いなしだ。

 とはいえまずは何をすればいいんだろう。ルウは考えた。そうだまずは読み書きよ。文字を教えてみたらどうかしら。その思いつきをブッカに話してみる。


「うん、なるほど。いいんじゃないかい。さっそく、やってみようじゃないか」


 ブッカはそう言うと、棒を拾って地面にいくつかの文字を書いてみた。


「どうだい上手いもんだろう。さあ山の子、これを見たまえ。このブッカ大先生が君に文字を教えてあげよう」


 ブッカが山の子に話しかけたが反応はない。それでもブッカは気にせず話しかける。


「いいかい。こっちの文字はブッカ、その隣の文字はルウだ。で、真ん中がこどもで、そっちの長いのがガグリの三兄弟。一番はじっこのが山の子だ」


 ブッカが一息に説明し終えると、子供たちが「わあすごい」と地面に書かれた文字を見ながらブッカ、ルウ、こども……と復誦を始めた。ガグリの三兄弟もその後ろから地面を眺めていた。ガグリの次兄がブッカに近づいて感心したように小声で呟いた。


「お、おまえ字書けるって、すっげえな」


 ブッカは「これくらいで褒められても」なんて言いつつも、顔はにんまり。どうやらまんざらでもないようだ。さっそく講義を始めた。


「いいかい? 言葉というのはね、文字の組み合わせなんだ。キルティットという32字の表音文字とブラス元字という表意文字を組み合わせれば無限の言葉が表現出来るんだ。もちろんこれを覚えてしまえば本だって読めるんだぜ」


 へへんと得意げにまるで学者のような口ぶりで、ソビィからの受け売りの知識を披露するブッカを、ガグリの三兄弟も子供たちも尊敬の目で見ていた。しかし肝心の山の子には全く聞こえてないようで、相変わらず空を見上げてぼうっとしている。ブッカはルウを見てお手上げをした。


(ふむ、困ったものね)


 ルウは腕組みをして山の子を見上げた。さて次は何をしようか。そうだ、ためしに本を読んでみようかしら。ルウはトウリから借りてまだ半分も読んでない本を、山の子に見せるように高く掲げた。


「ねえ、今から私ご本を読むわね。よーく聞いててね」


 ルウはそう言うと適当に本をめくって大きな声で読みはじめた。子供たちもルウの周りに集まってきた。ガグリの三兄弟もじっと聞く体勢にはいっている。


「春を語るには草木の芽吹きを語らねばなるまい。草木を語るには山について語らねばなるまい。このようにひとつの事象を語るには、それを構成する事柄(要素)を……」


「お、おいおいきみ、一体なんなんだい? その本は」


 ブッカは慌ててルウを止めた。その本の内容があまり今の状況にふさわしくないと判断したからだ。その本の表紙には『言語分類学入門』なる、見るからに場違いなタイトルが記されていた。ブッカには、なぜトウリがこの本をルウに貸したのかも、なぜルウがこの本を読もうと思ったのかも謎であった。しかし、とにもかくにも今読むべき本ではないことは確かだ。


「ちょっとなんで止めるのよ! 失礼しちゃう」


 とは言ったものの、ふと見上げるとまったく様子のかわらない山の子の姿があった。さらに本の内容が少し難しかったのか、だんだん子供たちの集中力も無くなってきた。ガグリの三兄弟もがんばって聞いていたが、順番にあくびをしていた。やっぱり難しすぎたのだ。なんせ当のルウ本人だって、この本の半分も読めていないのだから。


「あんもう! いったいどうすればいいの?」


 ルウはなかば投げやりな気持ちで読みかけの本を閉じた。ブッカはとうに諦めた様子で、ちょうどいい岩の上でごろんと寝転んでいた。ルウもその隣にちょこんと座って山の子を見上げた。他の子供たちとガグリの末弟は、もう勉強に飽きたようでそれぞれに遊びはじめていた。ガグリの次兄は、さっきブッカが地面に書いた文字を飽きずに眺めていた。そしてガグリの長兄は、仁王立ちで山の子を見ていた。

 そのうちに遊び疲れた子供たちも岩の周りに集まって、輪になって座った。みんなでぼんやりと山の子を見ていた。


「ああ寝転んでたら本当に眠くなってきたぞ。おーい、誰かぼくのために子守唄でも歌っておくれよ」 


 ブッカのそんな冗談に子供たちは大ウケだ。「じゃあ歌ってあげる」と子供たちみんなで歌いはじめた。

  


  よいや よいやみ よいのつき

  

  ねんや ねんねや ねんねつき 


  うみや うみなり うみしづき


  つきや つくよみ つきみつき



 それはこの辺りに古くから伝わる子守唄だった。聞いているうちにルウも自然と口ずさんでいた。ブッカはだんだん楽しくなってきて、ついに立ち上がって指揮者気取りで手をくるくる振り回している。子供たちはその仕草を見てゲラゲラ笑った。


「よし、じゃあ次の歌いってみよう!」


 ブッカがそう言って小枝のタクトを振る。



  なみのおとすりゃ やってけり


  わいらわいらの  おにのこえ

  

  つきのあかりは  みてならん

 

  まなことじんや  はよねんね


  ねんなら  つれていかれんや


  ねんなら  つれていかれんや



 こちらも湖畔の民に伝わる子守唄だ。今度はガグリの三兄弟も一緒に歌った。みんなでブッカの指揮にあわせて大合唱になった。

 その時、ガグリの末弟が叫んだ。


「あ、あれ見っろ!」


 と山の子を指差した。見ると今まで空を見上げていた山の子が下を向いていた。


「こっち見てる」


 ルウは驚いて目を見張った。山の子のごつごつした顔は、表情はよくわからなかったがほんの少し首を傾げてこちらに向いていた。




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