第三章 夢見る白鳥号 その3
午後の作業はトウリの言う通り順調に進んだ。後面もほぼ掘り終えて船の全貌が見えて来た。船大工の指示による紐掛け作業も一段落したところで次は丸太の準備だ。丸太を船の下に敷き、引き揚げ易くするのだという。
その間にソビィが引き揚げの組み分けをしていた。組は前面と後面に分け、カナンの住人を中心におかみ衆や子供たちは前面の組に振り分けられた。もちろんルウもブッカもこちらの組だ。それに対して後面組はマルミの若い漁師たちが中心だ。こちらは前面より深みがある分、より一層の力仕事になるだろう。
「おうい、連れってきたぞい」
その声に皆が振り返ると、カナンの牛飼いが十頭の雄牛を引き連れて現れた。モウモウと鼻息荒い雄牛たちは、歓声をもって迎えられた。
引き揚げの段取りはこうだ。まず前面側を大勢で引っぱりあげる。と同時に後面側では力自慢の連中が滑車を使って船を持ち上げるという寸法だ。ルウはブッカと一緒に前面側でロープを握り、今か今かと出番を待った。
漁師の親方が気合い一発。いよいよ始まった。
「よーし、じゃあみんなで引っぱんぞ」
「おう!」
とみんなが応える。
「そーれっ!」
ルウもおかみさん達もみんなでロープを引っ張った。
ガガガガガ
船が少し動いた
「う、うごいたー!」
ガグリの長兄の声がどこからか響いた。三兄弟もどこかでロープを引っ張ってるのだろう。
それからしばらく同じ作業の繰り返しだった。ルウもブッカもガグリの三兄弟も力いっぱい船を引っ張った。何度も何度も。
「よーし次、それ引っ張れ」
親方が右手を大きく振ると、それを合図に全員で船を引く。何度も繰り返したので息はぴったりだ。
「そーれっ!」
ガラガラガラガラガラガ
丸太が擦れる音が響き船がまた動きだす。そしてついに船体は大きく反り上がった。もう半分以上が穴の中から出ている状態だ。続いて後面側の力自慢たちが「エイサ」とロープを引く。カラカラと滑車が音を上げ、船体の後部がぐいと勢いよく持ち上がった。と同時に今度は逆に船首が下がった。
ガ……ガガガガァ……ドスウゥン
耳をつんざく衝撃音が大地を揺らす。そこですかさず親方の号令が響いた。
「よーしもう少しだ。引けー!」
「そーれっ!」
みんな掛け声をあわせロープを引っ張る。
ガラガラガラガラガラガラガラ
船体が大きく前方にせり出した。あわせて後面側の力自慢たちがロープを引く。
ゴゴゴゴゴゴゴゴ
船体後部はさらに持ち上がり、もはや船体は完全に地上に姿を表していた。
「で、でたぞ。でたぞー」
ガグリの三兄弟がまたどこかで叫んでいた。みんなが船を見上げていた。至る所で歓声が上がる。ルウもブッカと手を叩いて喜んだ。
そこでトウリが一旦ストップをかける。船大工とベテラン漁師たちが丸太の位置の確認をはじめた。
ルウはその一休みの間に船を改めて眺めてみた。船首から船尾にかけて丸みのある可愛らしい形だ。船底は平底でこれは河川航行用の船の特徴だろう。さっきまでルウの視線の高さだった女神像は、今やルウの背丈の倍の倍ほどの高さになった。
「なんて美しい船かしら」
ルウは思わず手を叩き、小躍りした。
「まあ泥だらけだけどね」
ブッカがさっきの喜びはどこ吹く風の、台無しの一言を口にした。
「まったく、やんなっちゃう」
ルウはそう言ってため息をつくと、急に疲れにおそわれ、ついついその場にぺたんとしゃがみ込んだ。ふと周りを見るとそこかしこで同じ様に腰を落としている者がいる。みんな穴堀りからがんばった者達だ。ルウはその姿を見ると、慌てて立ち上がった。だめだ、だめだ。私なんてただ船を引っ張っただけなのに、まだまだへばっていられないわ。ルウは大きな深呼吸をしながら、そう心の中でつぶやいた。
トウリと船大工、それにベテラン漁師たちが丸太を浜辺まで敷き詰めていった。船は引き揚げたが、それだけではこの計画は終わらない。これから船体の詳しい調査と修理とを行わなければならない。そのために簡易ドックを造るというのだ。
「そこでこれから船を浜まで引っ張ります。みなさん、後もう少しがんばってくだ
さい」
トウリがそう言うと、頭領の女将が前に立ち、
「みんな、それが終わったら宴会だよ。そら、もうひとがんばりだ」
と威勢良く発破をかけた。へばり込んでいた男達はその一言に立ち上がった。
「よーしやんべ」
「おう、後もうちょいだ。終わったら酒だ酒だ」
「はははおめいさん、もう酔っぱらってんじゃねえのか」
たちまちみんな元気になった。ルウがあきれるくらい元気になった。漁師も百姓も男も女も大人はみんな宴会が好きなのだ。
「よーし、じゃあ引っ張り再開すっぞ」
親方が大きな声で音頭をとる。みんながそれに「おう」と応える。
それから少し時間をかけながら船を動かしていった。浜までの距離約40レピ、途中の段差などでは一旦作業を止め、船大工が船体をチェックしながらまた引っ張るといった具合だ。
「よーしこのあたりでいいでしょう。みなさんご苦労さまです」
トウリがそう言った。その場所は浜に近い少し深みになっている場所でそこにはすでに船大工の指示でドックが出来上がっていた。別班のベテラン漁師達が丸太を組んで造った急造の二つの足場が、寸法ぴったりに船を挟み込んだ。
おかみさん達は体を休める暇もなく、さっそく宴会の準備に取りかかった。もちろんルウもその準備を手伝う。するとブッカが、
「まったく女はよく働くにゃあ」
と猫言葉で言った。普段、猫言葉なんて使わないブッカがよっぽど疲れているのか無意識に話すのを聞いて、ルウはちょっと可笑しかった。ふと船を見ると男達が船体を綺麗に洗っている最中だった。泥が落ちて現れた船体は真っ白で、施された彫り物はとても立派だった。特に船首飾りの女神像はひと際美しかった。その顔は憂いを帯びた表情で頭には白鳥を模した冠を着けており、広がる真っ白な髪の毛先は、まるで白鳥が羽を広げているようでもあった。
「白鳥の姫君……白鳥号」
ルウは無意識につぶやいていた。
「こ、これは……」
隣を見るとトウリが同じ様に船を見上げていた。その表情は驚きとともになんとも言えぬ優しさが満ちていた。トウリはルウの眼差しに気づくとばつが悪そうに、
「いや、なんとも美しい。見蕩れてしまった」
と頭を掻いた。ルウはふふふと笑顔でもう一度女神像を見た。この船は湖の底で眠りながら今までどんな夢を見ていたんだろう。そして私はこれからこの白鳥号と一緒にいったいどんな夢を見るんだろう。
ルウの《素敵な予感》はまだ始まったばかりだった。




