大切な人と
十月二十二日
ナナは俺に銃を教えてほしいと言った。
断る理由はなかった。
***
グラウンドの穴を埋め戻し、銃の練習を始めたのは午後になってからだった。
「これが……本物の……」
ナナに、ナナが以前使っていた銃を返す。まだ弾は込めていない。
「M360J.SAKURAだ。分からないだろうが、前にナナが使っていた銃だ」
「さくら、ですか。やっぱり私、記憶を失っていたんですね」
そうだ。そしてその原因は俺にある。
「あのな、ナナ。謝らなくちゃいけないことがあるんだ」
「お兄さんのせいで私が記憶を失った、って言いたいんですか?」
「ああ」
「たしかに、お兄さんが知っている私と、今の私は違うかもしれません。でも、私は私なんですよ」
「だけど……」
「それに、記憶を失って良かったのかもしれません。終わることのない悪夢から、ようやく目覚められたような。なんだか、そんな感じがするんです」
それでも、大切な記憶もあったのではないか。
「でも、これだけは……忘れちゃいけないような、そんな気がするんです」
「うん」
小さな白い花をあしらった髪飾り。
それは、ナナが仙田さんから貰ったものだった。
「それじゃ、お願いします」
実銃はおろか、エアソフトガンすら触ったことのないナナに、どう教えるべきか。
まずは撃つことよりも安全に扱うことから始めることにした。
たとえ弾が入っていない時でも実弾が込められている時と同じように扱うこと。
撃つ時までは引き金に指をかけないこと。
銃口を常に安全な方向に向けること。
不発射弾の扱いと遅発の際の注意。
それから、各部名称とリボルバーの簡単な構造を説明し、実際に銃を触りながらおさらいする。
「まずはラッチを下げて、シリンダーを出す。それから、一発ずつ弾をこめる」
ナナが動作を口に出しながら銃に弾をこめていく。スムーズとはいかないが、危なっかしい感じはしない。弾は実弾ではなく、空薬莢を使う。
「ハンマーを起こして、狙いを定めたら、引き絞るように引き金を引く」
撃鉄が落ち、金属音が響く。その動作を五回繰り返し、空薬莢を抜く。
「どう、ですか?」
「うん。大丈夫そう。じゃぁ次は実際に撃つつもりで、よく狙って引き金を引いてみて」
フェンスに張り付けた紙のマンターゲット。距離は約五メートル。
今度は時間をかけてゆっくりと引き金を引いていく。
「理想は頭に一発だけど、狙ってる余裕がないときとか距離が近すぎるときは胴体に二発撃ってもいい」
「でも弾はあまり無いんですよね……」
「後々のことよりもその時生き延びることを優先すること。銃があるとしても、戦うためじゃなく逃げるために使うんだ。基本的に銃は最終手段で、撃たなきゃいけないような所にははじめから近づかないようにする」
イメージトレーニングさらにを数セットこなしたところでそろそろ実弾を撃ってみることにする。
空薬きょうを排出し、実弾を一発だけ込める。
「落ち着いて、ゆっくりだ」
「はい」
緊張からか、呼吸のたびに銃が上下にぶれる。
「深呼吸して、一番深く吸ったタイミングで撃て」
呼吸が落ち着き、銃が安定したタイミングで発砲。
「きゃっ!」
「大丈夫か?」
「あ、はい……少し、驚いただけです」
ターゲットを見てみると、右目のあたりに中ったようだ。
「よくやったな」
「はい……ありがとう、ございます」
正直、初弾で中るとは思わなかった。中るまで数発撃たせてみるつもりだったが、次のステップにいけそうだ。
「ナナ、今は紙の的だったけど、相手がその……人間でも、ちゃんと撃てるか?」
「はい……必要なら、撃ちます。撃てるようになります」
いつか、できれば近いうちに、ナナを外に連れ出してみようと思う。実際にキラーに出くわしたときは俺が始末するとして、実戦の経験を積ませておきたいからだ。
そのために、今後必須になってくるであろうクリアリングの技術をナナに教える。
確認すべき場所や、物資の漁り方、安全に眠る方法、逃げる方法。
ただ銃が撃てるだけではこの世界では生きていけない。
居住区としては破棄した校舎をキルハウスとして少し内装をいじり、そこで訓練することにした。
***
十月二十三日
今日一日でナナはリロードやクリアリングを一通り身に着けた。
「明日、実際に学校の周辺の民家へ行ってみようと思う」
「試験、みたいなものですか」
「まぁ、そうだ。もちろん俺も一緒に行く。今日はゆっくり休んでくれ」
「あの、銃は……」
「それはもともとお前のものだ。弾も渡しておく」
ナナに38スペシャル弾十四発を渡す。
本当はあと十五発あるのだが、一発はM37エアウェイトと共に手元に残しておいた。最期の時の為に。
「それじゃ、特に何時とは決めないが、昼過ぎに出発する。おやすみ」
「あの、どこに行くんですか?」
「俺はいつ自我を失うか分からない。一緒に寝るのは危険だ」
あれからさらに二十四時間が経過した。まだ運動に支障をきたすほどではないが、左足の症状は少しずつ悪化してきている。
「どうしても、ですか?」
記憶を失っているとはいえ、ナナが一人や暗闇を不安に思うのは不思議ではない。だが。
「どうしてもだめだ」
諦めてもらうしかない。俺もナナを襲いたくはない。
「私が、なんとかしますから」
しかし、なかなかナナは聞いてくれない。
「なんとかってな。もし俺が本気でお前を襲ったら、どうにもならないだろ」
「その時は……」
ナナが銃を持ち上げる。
「ちゃんと、練習したんです。その時が来ても、大丈夫なように」
ナナの意志は強かった。
「はぁ……分かったよ。ただし、ちゃんと撃てよ」
「わかってますよ」
ナナは笑って見せた。
今のナナは前のナナではない。しかし、記憶を失った直後のあの弱弱しい女の子でもない。ナナは、確実に強くなっていた。
***
十月二十四日
俺が目を覚まして起き上がると、少しビクついた様子でナナと目が合う。
「おはよう。まだ、大丈夫だ」
「おはようございます」
その手にはちゃんと銃が握られていた。
***
布団を端によけ、食事の用意をする。
「それだけでいいんですか?」
「ん? ああ、まぁな」
あれ以来、俺は食事の量を減らしていた。ナナに少しでも多くの食料を残すためにだ。
「体調、悪いんですか?」
「まぁ……万全ではない、かな」
ナナには体調が悪いせいで食欲が湧かないかのように振る舞う。しかし、実際は前よりも食欲が強くなっているかのようだった。これももうあまり先が長くない証拠なのだろうか。
***
やつらと出くわしたとき、最悪走って逃げることも考慮し、荷物はできるだけ軽くしておく。
「いいか、目標の民家はここだ。目的は食糧の調達と、万が一の襲撃に備えてバリケードを作り、セーフハウスにすること」
周辺の地図を広げながら今回通るルートや、待ち伏せされそうな危険個所を確認していく。距離にして片道約三百メートル。現在時刻は十三時。晴天とは言い難い天気だが、日が落ちる前に余裕を持って帰ってこられるはずだ。
「準備はいいな。行くぞ」
「はい!」
補強して開閉できなくなった校門ではなく、裏側のフェンスに設けられたゲートから外に出る。
市街地に出ると、左右の路地と民家の門扉、塀の裏から屋根に至るまで警戒を怠らない。基本的には正面をナナが、側面及び後方を俺が警戒していく。
キラーの気配はしないが、慎重に進んでいく。およそ三十分後、ようやく目的の民家に到着した。
外観は最近建てられたであろう綺麗な洋風庭付きのさほど大きくは無い一軒家。高さは無いが周囲を鉄柵で囲まれている。扉が破られた跡もなければ、割られたガラスも血痕もない。
まず俺がドアに張り付き、合図で開け放つ。
同時にナナが突入。
玄関の先は真っ直ぐ廊下が続き、右手に階段、左手に洗面所、突き当たりはリビングらしい。
見える限り階段の先に敵影が無いことを確認し、ナナが左手の洗面所に入る。階段とリビングを警戒している間にナナが洗面所と、その奥の風呂場の安全を確認する。クリアリングが終わった部屋は順次ドアを閉めていく。こうすれば万が一キラーがどこかに潜んでいたとしても、キラーの移動範囲を制限できる。
廊下を突き当たりまで進み、リビングに入る。二階がまだなのでドアを閉めておく。
中はリビング、ダイニングと続き、カウンターキッチンになっていた。
特に荒れた様子もなく、あの日以前から無人であったのかもしれない。
カウンターキッチンの中までクリアリングを終え、次は二階へ向かう。
階段を上がると左右に一つずつ部屋があった。まずは左のドアを開ける。敵影は無し。どうやら書斎らしい。ということは残りの一部屋は寝室だろうか。
最後のドアに手をかける。
ナナに合図し、扉を開いた。
予想通りそこは寝室で、ベッドが二つ置かれていた。部屋の中やベランダにキラーの姿はない。
「お兄さん、これ……」
ナナが指さしたのはベッド脇の小さなテーブルの上に置かれていた紙だった。
『私はこの世界の終末を見届ける。』
これがどういう意味なのか、もはや確かめる術は無かった。
***
この家の安全が確保できたので、玄関以外の窓を含む出入り口を完全に塞ぎ、セーフハウスは完成した。キラーの襲撃が一度もなかったので予想よりもスムーズに終わった。
次の目標としては食料の調達があったが、この家には"一人で"一週間分の食料が蓄えられていた。キッチンの床下収納には缶詰をはじめとした保存食とミネラルウォーターが、階段下の収納スペースには防災用品が収められてあった。自家発電設備が無いのは残念だが、この家の住人は防災意識が高かったらしい。無線や衛星電話はなかったが、ラジオがあったのもうれしかった。
今までその瞬間を生きることに精いっぱいで情報収集ができていなかった。できることなら、生存者と合流し、どこか安全なところにナナを連れていきたい。
「雨、降ってきましたよ」
ナナに言われ、塞いだ窓の隙間から外を見ると、かなり天気が崩れてきていた。
「ここで雨が止むのを待とう」
帰れないほどではないが、雨はキラーの気配を掻き消す。移動は危険だと判断した。
***
午後五時十五分。
雨がやむことはなく、日が落ちてしまった。今日はここで夜を明かすことにした。
「夕食、どうしますか?」
「なにか探してみよう。冷凍庫にまだ食べられるものがあるかもしれない」
冷凍庫は扉さえ開けなければ電気の供給がなくてもしばらくはもつので、使えるものがあるなら解ける前に消費しておきたい。
ナナにライトを持ってもらい、冷凍庫を開ける。
停電を想定してなのか、凍った水の入ったペットボトルが数本入っていた。冷蔵庫と違い、冷凍庫は中に隙間がないほど冷却効果が上がる。しかしペットボトルの氷はすでにほとんどが解けていた。
あまり期待せずに漁ってみる。
結局見つかったのは、ドリップの出てしまっている牛肉、解けたアイス、冷凍グラタン、チャーハン、結露していたのか、水分の溜まった冷凍野菜が数種類。ブロックのベーコンとバゲット。
ペットボトルと冷凍野菜に挟まれていたグラタンとチャーハンはまだ半解凍程度で、もともと保存のきくベーコンと、水分の少ないバゲットはまだ食べられそうだった。
電子レンジは使えないので、本来の調理法ではないがグラタンは湯煎し、チャーハンとベーコンはカセットコンロで炒めて食べることにした。
「あったかい……」
冷凍ではあるがちゃんと調理されたものを食べるのは久しぶりだった。
もう冷凍庫は使えないので、出てきた食べ物は全て消費してしまったほうがいいだろう。
「食欲、あるじゃないですか」
ここのところ、食べる量を減らしていて空腹だったのもあり、すこしがっついてしまった。
「いや、まぁ……」
「だめですよ、ちゃんと食べないと。私のためだとか、そういうのは考えなくていいですから」
……ばれていたらしい。
ナナはやさしい。自分に気を使われていると知れば心を痛めるだろうから、できるだけそんなそぶりは見せないようにしていたのだが、その洞察力はさすが、といったところか。
「……ごめん」
「いえ……ありがとうございます、いろいろ気を使ってもらってるみたいで。でも、本当に私のことは何も気にしなくていいですから」
「うん」
***
食器やフライパンをできるだけ少ない水で洗い、もう一度補強した窓や扉を確認してから寝ることにする。
「どこで寝るんですか?」
「ナナは寝室で。俺は……」
「俺はリビングで。また、私を一人にするつもりですか?」
「いや、でもだな……」
足の痛みは一日ごとに、どころか時間の経過と共に少しづつひどくなっていた。
まだ歩けないほどではないが、今ではかなり痛みが増していた。もうあまり長くないのだと、そう訴えるように。
「私のこと、嫌いですか?」
黙っていると、ナナがそんなことを言い出した。
「そんなわけないだろ」
「じゃぁ、好きですか?」
「……嫌いじゃない」
「つまり好きってことですよね。好きな女の子が一緒に寝ようって言ってるのに、断るんですか?」
「あのなぁ……」
「ごめんなさい、ふざけたことを言って。でも、私のことを想ってくれるなら、どうか、一人にしないでください。…………もう、あまり長く一緒にはいられないから」
「…………はぁ、しょうがないな」
今日で最後だぞ。
そう付け加え、寝室へ向かった。
自分は床で寝ると言ったらナナは一緒にベッドを使おうと言いだしたが、さすがにそれは遠慮しておいた。
記憶が戻っているようには思えないが、このように俺をからかってくる様子は記憶を失う以前のナナの姿を彷彿とさせた。
こんなに気兼ねなく話せる異性はナナぐらいなものだ。
もしも、世界がまだ生きていたなら。
ナナと恋人同士になっている。そんな未来もあったのだろうか。
***
空腹と足の痛みに目を覚ます。もう無視をできる程度は超えていた。
あまり数が無いので使わずにとっておいたモルヒネだが、もう温存などとは言ってられなかった。
バックパックからモルヒネを探していると、ナナのうめき声が聞こえた。
相当にうなされているようで、掛け布団が荒れていた。
自分にはどうすることもできない無力さを感じながら、せめて布団を掛け直そうとナナに近寄った時。
窓からうっすらと差し込んだ月の光に照らされたナナの姿が目に入った。
柔らかそうな頬、細い腕、小柄ではあるが綺麗な脚。
その瞬間、部屋を、そしてこの家を飛び出した。
外はまだ雨が降っていたが、自身が濡れることもいとわずにとにかく走った。
行くあては無かったが、一刻も早くナナから遠ざかりたかった。
あの時、ナナの姿を目にしたあの瞬間。
俺は、ナナのことを美味そうだと、そう思った。
もちろん性的な意味では無い。むしろそうだったらどれだけよかったことか。
俺はナナを、その肉を食べたいと、そう思ったのだ。
適当な民家に転がり込む。
足の痛みも気にならないほどに、とてつもない空腹感に襲われていた。
安全を確認しているような余裕は無かった。
キッチンを探し、食べ物を漁った。
カビの生えた食パン、生の米、腐った生肉。
目につく限りの飲み込めるものをとにかく口へ入れた。
黒く変色したリンゴを手にした時、背中に僅かな気配を感じた。
「お兄……さん?」
ナナだった。
「なに……してるんですか」
俺は何も答えない。
「もう……やめてください」
ナナは震える声でそう言った。
「…………今、ここで俺を撃て」
振り返らずに言う。
どこへ行くときでも銃を手放すな。俺の教えた通り、ナナの手にはM360J SAKURAが握られていた。
「いや、です」
「この時が来たら、ちゃんとやるって約束だっただろ」
「今夜は、一緒にいてくれるって、そう約束しました」
しかしナナは引き下がらなかった。
俺が次の一言を紡ぐ前に、背中に重みを感じた。
ナナが、俺の背中から抱きついてきたのだ。
「一緒に、帰りましょ?」
涙声だった。
どこかで、まだ一緒に居たいと、そう思う自分がいたのかもしれない。俺は何も言うことができなくなってしまった。
ナナの肩を借り片足を引き摺りながら、真夜中の雨の中、学校へと帰還を果たしたのだった。




