それで、この庶民の子をどうしろというのですか。旦那様。
「それで、この庶民の子をどうしろというのですか。旦那様」
ティールは困惑しながら口を開いた。
歳は三つほどの男児と女児。よく似ているので双子かもしれないが、紹介すらされていない。
旦那様は急に別邸へやってきたと思えば子連れだった。
二日ほど前にやってきて役目を果たしたと思えばこれだ。
ティールは生粋の貴族で常識も貴族のものに固まっている自覚はある。
夫たるダリルは孤児であったが役人として頭角を現し、女伯爵と婚姻することになった男だ。
元は他国にいたとは噂では聞いているが真偽は不明だ。
そこまでの興味がない。
顔は良いのよね。
絶句している夫の顔を見ながらティールは思う。体もまあ、好みではないが悪くはないのではないだろうか。
ことに及んでいるときに他の女の名を呼ぶのは悪趣味だが。
そう言う性癖なのかと残念に思うくらいでティールは全く気にしていなかった。
今となっては紳士と言われる中産階級が増加し、貴族の地位も脅かされてきていると言われているが未だに隔絶しているものがある。
常識が根本から違う。
爵位は男女隔たりなく、貴族法で制定された順位通りにしか継承できない。
その前提にあるのは血筋は母系を優先とすることだった。爵位を継ぐことは男女共に可能ではあるが、母親からその爵位の血を継いでいる必要がある。
爵位を男が継ぐ場合、姉妹の子が次期後継者として指名されることが多い。
当主が女であった場合はその子が男女問わず継ぐことになる。さらに夫との間の子であることは必須ではない。
その家の血を確実に継いでいる証明として、その家の女が産んだ子のみとしている。
ただし、これは貴族のみの常識であり、他国ではまた事情も違う。
これはかつて政略結婚や恋愛結婚を装った偽装結婚で、国家が内乱状態に陥ったことから出来た法である。
庶民などは家を男の子を継がせる方が圧倒的に多い。また、貴族のこの常識も知られていない。
ティールも今まで説明したのだが、彼にとっては感覚的に納得がいっていないようだ。
彼女も逆の立場だったら納得できないかもしれない。
これが一つの家だけの習慣ならば放置しても良かったが、これは貴族に属する者ならば問うことすらない常識だ。
当主として指摘し続けるほかなく、それのせいで余計煙たがられ本邸ではなく別邸に引っ越しを余儀なくされた。
両親は婚姻を機に引退し、気ままに旅に出ていることが頭が痛い。
元はと言えば、両親が気に入って連れてきた人なのだ。半端に金を持っているのも良くなかった。
裕福ではない当家には持参金代わりと思ったその金が必要だったからだ。
これについては名義をさっさと全部伯爵家のものに変えたことが功を奏した。自分が伯爵家の当主にでもなった気でいる夫は、全く気にも留めていない。
かくしてその資産は女伯爵たるティールのものになった。我ながらあくどいことだと思ってはいたが。
「爵位はこの子たちが継ぐ。おまえは領地に戻ると良い」
お金ももらったし、ぽいしても良いかも。
ティールはちらりと思ったが、一応、奪ってぽいは外聞が悪いかと思いそれはやめた。もう少し相手が悪いと思わせるところを増やしてからだ。
「貴族法のもとに手続きを行っていただけるならば異論はございません」
ティールがあっさり肯いたことに彼は驚いたようだった。
少し考えればわかることだが、個人の考えで後継者指名は不可能だ。それができないようにしてあるものだ。
そもそも母親からの血統により爵位を継ぐのだからムリである。
高位貴族にコネがあろうとこれを通すことはできない。むしろ、高位貴族のほうが嫌悪する類のことだ。
ティールの子とは偽装できないだろう。
ティールとは全く似ていない上に夫とも髪の色が違う。その色は母親から継いだのだろうが、この家には全く出てきたことのない色だ。
王都にいる間にやらかされてはこちらまで呼び出されて面倒だ。
ティールはさっさと行方をくらませることにした。
馴染みの侍女に宣言する。
「領地に帰るわよ」
「お嬢様。貴族院に駆け込めば全ては簡単に解決したのではないでしょうか」
お付きの侍女が今更そんな事を言ったのは馬車の中でだった。
早速荷物をまとめてその足で出てきた。誰かに足止めされるわけにはいかない。簡素な荷物と馴染みの侍女だけを従えて出てきた。
ティールとフィアは幼なじみと言える。伯爵家と言えど貧乏だったので使用人のすることも多少はしていたし、幼い頃は身分の垣根を越えることは多少は許されていた。
それが絆の強化を狙っていた両親の陰謀と成長して知って軽く失望したことはあるが、友人である。
大人の言うことは鵜呑みにしてはいけない。と二人に教訓を与えてくれた出来事でもある。
「そうねぇ。つまらないでしょう?」
「面倒だったのですね」
「そうよ。自由よ。憧れの自由! どこにいこうかしら」
ティールは領地に戻る前にあちらこちらを旅することにした。
蒸気機関車なる乗り物があると知っていたが、乗ったことはなかった。これに乗ればどこまでもいける。
「行先は考えてらっしゃるのですか?」
「ひとまずは、湖畔地方ね! 避暑地よ」
「今は、閑散期ですけどね」
「つまらないことを言うわね」
「海岸地方にしましょう」
フィアも旅行には乗り気だった。私調べによりますとと言い出し、新鮮海産物の旬について淡々と述べた。
そういえば、フィアは観光より食い物であったとティールは思い出す。両手に焼き鳥の串を持ち幸せですぅおじょうさまーと言っていた幼いころを思い出して笑みがこぼれる。
フィアは自分の失態に気がついたのかコホンと咳払いをした。
「海岸も素敵ね。危ない恋もあるかしら」
「……お嬢様は浮かれすぎです」
自分のことは棚上げしてフィアは指摘する。そして、主人の意を汲んで馬車の御者に行き先の変更を告げる。
ティールはご機嫌に歌さえも口ずさんでいた。
婚姻前は爵位の継承者として勉強漬けで、休みもなかった。その後も夫のやらかしのフォローなどをしていたのだ。外にはティールは病弱で夫に代わりに対応してもらっていることにしている。
それらの謝罪の手紙の類が一切止まる。
数少なくは出ていたお出かけもなくなる。
代わりに夫の子の養子縁組だ。
何事かがあったと思うだろう。
「シャラン様には知られないようになさってくださいね」
「ムリ言わないでちょうだい。一ヶ月も逃げれば良いと思って」
親しい友人の名を聞いてティールは顔をしかめた。
穏やかで平和そうと言われる風貌だが大層もてる。それはもう崇められている。困っている風でそれを楽しんでいる。
地味、お堅いと言われる国内貴族では浮いている存在だが、ティールとは仲が良い。趣味的なつながりで。
「あの方も大概しつこいですからね」
「ねー。今後の愛人のお誘いを断れる気がしないわ」
「お嫌ですか?」
「好みが違うの。どうせなら腕にぶら下がっても良いような堅物騎士の方が良い」
「わからないでもないですが、私は止めればよいのでしょうか」
「好みだったら持っていっても良いのよ」
「趣味ではありません」
フィアがぴしゃりと断ったのがおかしくてティールは声を出して笑った。
「まあ、お嬢様が楽しそうなのは良い事です」
頑なにお嬢様と呼び続けていた彼女をぎゅっと抱きしめる。
「そうよ。一緒に楽しみましょう!」
束の間の自由時間を。
一年かけて二人は領地に戻ってきた。
半月もしないうちにシャランに見つかったり、一緒に観光したり、色々と騒動があったが大体は楽しいことだった。
その一方で、夫の方は芳しくないようだった。
想定通り、養子はムリだと却下されたようだ。それだけではなく、社交界から締め出されたようだった。
以前の仕事は続けられているようだが、やりにくさはあるだろう。
少々気にしていた子供たちは今のところ元気のようだった。しかし、その母親は病気だという。
夫が社交会につれて歩いていたとも聞くので何かあったのかもしれない。
ティールが要求しなくても勝手にやってきては話してくる者たちからの情報なので当てになるかはわからない。
ただ、以前のように手紙の類はティールに直接届くようになった。
領地に戻り半年も過ぎた頃、ようやくティールの夫がやってきた。
「結構粘りましたのね」
「あの女性は修道院送りだそうです」
「子供たちは?」
「孤児院だそうです」
でしょうね。
ティールはそれにため息をついた。
結局、夫の子ではなかったそうだ。ちゃんと調べて、それでもティールと別れて一緒に住むのかと問われて否というちっちゃい男だ。
結果、騒ぎを起こした女性は修道院、子供たちを引き取ることもないので、孤児院に。夫はティールが対応を決めることになる。
一連の騒動を許されたわけではない。
これが離縁するほどの理由とするかは個人の考えが左右する。同じようなことを何度も繰り広げながら全く別れない夫婦もいるにはいる。
気は進まないがティールは会うことにした。先週からいる来客がいるからだ。何かあったときに証言してもらうには都合がいい。
ティールの夫は応接室には通されなかったようで、玄関のホールで待たされていたようだ。これが、この領地においての彼の立ち位置である。
憂いを含んだ美貌が苦労を物語っているようだ。
ティールからすれば悲劇ぶってひどいものだとしか思えない。
「ティール、愛しい人、俺が間違っていた」
跪いて懇願する。頭を踏みつけたい。ティールはその欲求を扇で隠した。
「俺は騙されていたんだ」
「スケコマシでも、もうちょっとまともだと思うのですよ」
ティールはしばらくの旅行で、少々淑女を踏み外している。下町にもお忍びで生活したし、働きさえしたのだ。
シャランにそそのかされてのそれは、意外な出会いを産んだ。
「なんか、今、ものすごく責められた気がする」
「あら、聞いてらしたの?」
見に来るのではないかとティールが思っていた通り、その男は現れた。
女性を口説くのが趣味なお客人。
「誰だ?」
「今は休暇中だからただのシリル」
「ややこしくなるので、そういうのやめてください。殿下」
現れてすぐにティールの隣に立つ。そして、腰に腕を回して、引き寄せたり手の甲にキスをおとしたりする。あまりにも手馴れていて、呆れるほどだった。
彼は現国王陛下の末の王子であり、女癖が悪いと語られる男。
継承権はなく、どこかの家に婿入りするわけでもなくふらふらしている。そう噂では聞いていたがその通りに下町で名と身分を偽って遊び歩いていた。
ティールとしては初対面でなんだこいつで、今もなんだこいつ、ではある。
「んー、でも、今はあなたの愛人だし?」
お楽しみですね。とティールは、腕をつねった。
そんな実態はそんざいしない。友人兼王家からの監視要員だ。ティールが夫に絆されて夫の子を後継者とすることを阻止するために手を回されたのだろう。
「愛人?」
「あら、愛人でもなんでもつくって良いのでしょう?」
にこりと笑いながら腰に回した手が不埒な動きをしそうなのでティールはぴしりと叩く。お遊びで楽しんでいるのが、本当に、タチが悪い。
本当の遊び人というのはこう言う人を言う。遊びのつもりが本気になるなら、それは向いてない。
「そ、それは申しわけなかった。軽率だった」
「女の五年を無駄にさせて、それですの?」
「あなたからの愛に気がつかなかった俺を許してくれ」
愛? ティールは首を傾げた。
「これっぽっちも愛してません。お金はありがたくもらったので、その分はお返しのつもりでしたけど」
ティールにはどこで勘違いしたのか全くわからなかった。政略結婚というのはこういうものだろう。契約でしかないし、契約の履行以外を求めてもいない。
言葉を失う夫を見てティールは気がついた。
彼にとって結婚とは愛情を伴うものだったのだ。
だから、自分の子も愛してくれると信じた。なぜなら、愛する夫の血をひいているから。
ティールにとっては家の存続するために必要な契約であった。そのために法を曲げるようなことはしない。受け入れる選択がそもそもない。
生まれの違う結婚とはよろしくありませんわね。ティールはため息をついた。
「夫の立場はそのままで良いですよ」
今のところはね。
ティールはそれは口に出さず微笑んだ。
離婚した場合、法を曲げようとした身の程知らずはどうなるのか。なにかろくでもない理由をつけられ処分されるだろう。見せしめとして。
ティールはそれを望んでいないという立場を明確にしていたが、それでも色々なものに根回ししないと余計な被害を受ける可能性があった。
ティールは隣の男を見上げた。つまらなそうな表情を一瞬で微笑みに変えた。愛しい人とでも言いたげな態度にティールは冷ややかに視線を向ける。
離婚すれば二度も愚かな男を捕まえぬよう、そして、ふらついている面倒な王子を押しつけようとするに違いない。
「あなただけを愛します」
大変な嘘つきしかいない。
ティールはため息をついた。




