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紫陽花がしがみつく頃に  作者: 人鳥迂回


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6

 その日の放課後、いつもならば早々に帰り支度を済ませて家に帰る。学校の玄関まで先輩は送ってくれるが校内から外へは出ないらしい。前に本人が言っていたが病院からここまで来ることが出来たのなら外に出ることは不可能ではないはずだが、外に出ても特に何も出来ないからすぐに飽きてしまったようだ。

 僕の部屋に呼べば話し相手にくらいはなれると思うがそのことを伝える勇気がない。幽霊とは言え女の子を自分の部屋に招き入れるのは緊張してしまう。

 先輩には笑っていてほしいので帰宅のタイミングは顔を見ることが出来ない。いつも寂しそうに別れの挨拶をしてくれるのだ。下校時間で他の生徒がいる手前、先輩に別れの挨拶を返すことも出来ない。寂しそうにしている先輩に声をかけることも出来ない。

 だから逃げるように学校から家への家路を辿る。今日もその予定だったのだが先輩から噂について相談したいと言われてしまったため、空き教室へと向かっている。

 

 先輩から噂の話を出されるまで忘れていた。朝の時間に言われてから半日近く経っているため、興味が特別大きく湧くことのなかった記憶は霞のように薄れてしまった。寧ろ朝からずっと考えていた先輩のほうが変だとも言える。何がそんなに気になったのか、空き教室に着いたら聞くことにしよう。


 他愛のない話をしながら僕たちの憩いの場となった空き教室へと入っていく。両手で数え切れないほどこの教室を使っているが教師に見つかることもなければ鍵を掛けられていることもない。先輩曰く、廊下からこの教室に来て開けようとする人は偶にいるらしいが黒板側の扉に鍵がかかっていることを知ると諦めて帰っていくらしい。態々奥の扉まで確認するような人は居ないそうだ。

 僕は今日も奥の扉から中に入る。律儀に先輩も入り口から教室内に入ると、定位置と化した場所に僕は座る。


「普通なら薄暮の時間な筈なのに梅雨の雲のせいで煮え切らないね」


「そういう時期ですよ」


 外を見て呟く先輩に釣られて僕も外を見る。雨が降ることは無かったが曇天の色は濃く、太陽も姿を隠してしまっている。太陽の光が好きな訳では無いが、日光に当たっていないと気が滅入ってしまう。物事を必要以上に考え込んでしまうこともある。


「私は日が出てても出てなくても体には何の影響もないんだけどね。それでも曇り空はちょっと憂鬱だな」


「日光に当たるのが健康にいいみたいなのは聞きますけど」


「らしいね。幽霊だから健康も何もないけど」


「……先輩って結構幽霊ジョークというか、自分のことをネタにしますよね」


「そうかな?」


 僕はただ首肯をする事で先輩の言葉に同意を示す。

 先輩自身が認識していないだけで結構な頻度で言っている気がする。実態がない幽霊だから触れないことをジョークのように言ったり、死んでいるから未来がないことを言ったりもする。それを聞く度にどのように反応していいか分からない。同意をするのも違うし、露骨に反応をするのも違う。相槌を打って流すしかないのだ。

 死という概念に対しては慎重になってしまうのは生者の性だろう。本人や家族にとってデリケートな問題であるため他人が茶化すことなど出来ない。すでに死んでいる人と話すというレアケースである僕もその感覚が抜けることはない。死んでいる先輩の話す冗談も気まずく感じてしまう。

 ふわふわと窓辺に近付いて先輩は語りだす。


「ごめんね?ほら、私死んでから今まで誰とも話せてなかったんだよ。少しはしゃいでたみたい」


「そこまで気にしてるわけじゃないんですけど、僕もどう反応したらいいのか分からないんですよ」


「もう死んでいる私本人だから言える冗談も他の人からしたら気を使う内容だってこと忘れてたよ」


「そう言えば先輩っていつ頃亡くなったんですか?」


 出会った時にこの学校の生徒は全員後輩と言っていたことを思い出す。少なくとも今の3年生が後輩にあたるということは3年以上前には亡くなっているということだ。3年間誰とも話せていない状況が想像できない。人付き合いの少ない僕でも1日に何度かは人と会話をしている。親や学校の人以外でも買い物に行った時の店員や近所の人への挨拶など、僕の声に対して返答をしてくれる。

 先輩の声は誰にも聞こえていない。先輩がいくら話しかけてもその声に対して返答はなく、誰の耳にも届くことはない。


「確か5年くらい前だったかな?4回くらい桜が散るのを1人で見たからね」


「5回目は僕と見ましたよね」


「そうだよ。誰かと桜が散るのを見るなんて初めての経験。小さい頃は桜が散ることなんて何も思わなかったのに。死んでから桜が散るのを儚いって言う人の気持ちが分かったよ」


「……亡くなったの結構前なんですね。僕がまだ小学生の頃じゃないですか」


 たった5年前に1人の命が散った。世界の中で誰か1人が消えたとしても僕は知る由もない。今でも身近な人以外の死は何処か実感が湧かず絵空事のように思う。


「結構前。そうだね。でも私からしたらまだたったの5年しか経ってないんだよ」


「5年って言っても長いですしね」


「年月の問題じゃないの。誰にも反応してもらえないまま朝日を出迎えて夕日を見送る毎日を過ごしてるとね、たった5年が私の一生より長く感じるんだよ」


 毎日同じ事が起こることはあり得ない。それは自分が体感することだから言えるのだ。世界に何も干渉できないまま同じように毎日を繰り返すと言うことがどれほどの苦痛なのか想像もできない。

 厚く重い雲が出ていては朝日も夕日も見ることは出来ない。それにも関わらず先輩は窓の外を見ている。先輩が何をみているのか、僕の席からは何も分からない。


「私の話はまた今度でいいからさ、今日の噂の話をしようよ」


「消しゴムの噂ですか?あんまり興味ないんですけど」


「え、気にならないの?」


「気にならないって言ったら嘘になります。でも態々調べるほどのことじゃないかと」


「えー。私頑張って調べてきたのに」


 朝の一件以降忘れていたくらいだ。大森もその話を持ち出すことはなかったから記憶から消えていた。先輩だけが律儀に覚えて興味を持っていたのだ。

 いつもは授業中だろうと僕の近くにいる先輩が今日の授業中も休み時間も僕の視界の中には居なかった。四六時中一緒に居るわけでないため気にはしていなかったが、その時にでも情報収集をしていたのだろう。


「なんか分かりましたか?」


 語る先輩が楽しそうなので話に乗ることにした。噂自体に興味はないが楽しそうにしている先輩には興味がある。先程の話を聞いたのならば尚更だ。死んでから無為に過ごしていた5年間を僕だけが変えられると傲慢にも思ってしまったのだ。


「何も分からなかったよ」


「なんですかそれ」


「でも何も分からなかったことにも意味があると思うの。学校の中で誰一人消しゴムで縁を切るなんて噂してなかった。恋愛成就の噂を実践してる人はいたけどね」


 唇に手を当てて「誰のことかは内緒だよ」なんて小声で言うものだから目を逸らしてしまった。女子と話すことに対しての免疫が他の人よりも少ない僕は幽霊相手であっても距離感が近いと照れてしまう。先輩もその事を分かっているからこそ僕に悪戯を仕掛けてくるのだ。


「雪くんはかわいいね」


「誂わないでください」


「ごめんごめん。そっぽ向いてないでこっちを向いて話の続きをしよ?お願い」


 上がった心拍数を下げるために先輩に聞こえるように大きなため息を吐く。先輩のことが恋愛対象として好きというわけではない事は自分でも分かっている。相手はもう死んでいて僕とは生きる時間が違う。先輩自体は好意的に思っているが恋慕の対象としてはあり得ないのだ。頭では理解していても、僕には先輩の姿が見えているし声も聞こえている。心と体が先輩を人だと認識してしまっている。


「それで話を戻すけど須藤さんが何処からその噂を聞いたのか気になるんだよね」


「僕だって知りませんよそんなこと」


「直接聞ければいいんだけど」


「先輩の声は普通の人に聞こえないんですから無理ですよ」


「私じゃなくて雪くんが話を聞いてくれると嬉しいな」


 僕が先輩以外の女子と話すなんて無理に決まっている。事務的な会話ならまだしも、大森から須藤の話を聞いて気になったから話しかけたなど、気持ちが悪いと思われてしまっても仕方がない。


「無理ですよ。絶対無理」


「そこを何とかお願い。ほら、雪くんも女子と仲良くなるチャンスだよ」


「そういうのはいいんで」


 先輩は顔の前で両手を合わせ頭を下げる。少しだけ顔を上げたかと思うとチラりと此方を薄目で見ているのがバレバレである。いくら先輩の頼みでも出来ることと出来ないことがある。

 僕が1人で動くことならば協力したいと思っているが、クラスの女子に話しかけるとなれば緊張と恥ずかしさで一杯一杯になってしまうことが目に見えている。


「どうしても駄目?」


「駄目っていうか、僕には無理ですよ」


「話しかける時には私が近くに居て雪くんのサポートするからさ」


 頼み込むことは諦めて、今度は前のめりになって押してくる。お願いではなく説得に変わっているのだが、先輩の勢いに少しだけ負けてしまった隙を見逃してもらうことは出来なかった。


「機会が、機会があったらいいですよ。クラスの中で皆が居る時に話しかけるとかは無理です」


 結局、先輩の押しに負けてしまい譲歩する形で承諾してしまった。クラスの外で須藤と会うことなど無いはずなので譲歩と言っても自分の意思もしっかりと伝え、遠回しに断りの言葉を紡ぐ。

 噂のことは忘れていたが黒板を見る時にどうしても教卓の前に座る須藤のことが目に入るようになった。それは授業が終わったあとでも同じ。須藤は誰かが周りに居ることもなく常に1人で椅子に座っていた。後ろから見る須藤の背中はとても小さくて1人で居ることに慣れているようには見えなかった。

 そんな須藤に話しかけることなど出来るはずもない。そもそも須藤の人となりも知らないのだ。会話ができるかどうかも分からないのに噂について聞くなんて以ての外だ。


「雪くんに無理強いは出来ないからそれでもいいよ。でも気になる」


「そんなにですか?」


「案外この世界って謎なことが多いんだよ。でもそれって調べたりするとすぐ答えがわかるの。でも今回のは軽く調べただけじゃ何も分からない。だから面白いの」


 幽霊になって学校を彷徨っている先輩が一番の謎ということは黙っておこう。それに関しては調べても何も分からないだろう。幽霊に関しての本などはこの世に沢山あるが死んでから幽霊になって過ごしている人の謎を解明するものは存在しないはずだ。分からない事が面白いというのは先輩が淡々と続いていく日常に放り投げられた石に対して興味を示しているだけに過ぎない。


「先輩が楽しそうならいいです」


 会話を終わらせる潮時を見逃さず、僕は鞄を持って立ち上がる。先輩と早く離れたい訳ではなく、単純に下校時間が迫っているのだ。下校時間ギリギリになると部活終わりの生徒とかち合う可能性が高まるので、少し早めに帰りたい。


「それじゃ僕は帰ります」


「いつもみたいに玄関まで送るね」


「早く行きましょう」


 いつも通り、僕が学校から出るまで先輩は見送ってくれるみたいだ。僕が帰ったあと先輩が何をしているのかも知らない。誰もいなくなった静かな学校で1人何を思っているのか。聞きたいと思ったことは何度もあるが今日の話を聞いたあとだと尚更聞けなくなってしまった。


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