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紫陽花がしがみつく頃に  作者: 人鳥迂回


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 先輩は少なくとも2年程度は入院していたのだ。季節の移ろいを肌で感じることが出来ず、病室で流れていく時を目に焼き付けるしか無かった。外出をすることが出来たのかは定かではないが病室にいる時間が多かったのは確かだろう。

 朝話していた事が鮮明に思い出される。ひとり病室で病と闘っていた先輩にとって楽しかったことが本を読むことだったのだ。病室にいた先輩にとっては誇張ではなく本の世界だけが病室から飛び出して自由に動き回れる別世界だった。

 今の先輩には本を読むことも、肌で季節を感じる事もできない。病を気にしなくなって良くなった今のほうが行動に制限が掛かっている。元来の性格的に幽霊になって良いことなどあるのだろうか。


「先輩は成仏とかしたくないんですか?」


「してほしいの?」


「してほしくないです」


「してほしいって言われたらショックで寝込んでたよ」


「そんなこと言うはずがないじゃないですか。それで先輩は――」


「……ごめんね」


 話の流れを無視した謝罪が耳に届く。何となく分かってしまったがその言葉を今のタイミングでは聞きたくなかった。僕は先輩とずっと一緒にいたい。折角友達になれたのだから、我儘を承知で僕が死ぬまで友達で居てほしいと伝えたい。それは先に進んでいく僕を先輩に見続けてもらうという拷問に等しいことだということも分かっている。


「成仏したいって訳じゃないけど、満足したらもういいかなって思ってるよ。真実は分からないけど何かしら楽しみたいって思ったまま死んじゃったからそれを叶えたら消えるはず」


「そうなんですか?」


「分からないってば。成仏した知り合いなんて居ないし、幽霊ってそういうものじゃない?生前の後悔とかが残ってるって言うし」


 先輩を楽しませることが先輩が消えてしまうことに繋がってしまうのなら僕はどうすればいいのだろうか。先輩には笑っていてほしいが、消えて欲しくない。満足するのが数日後かもしれないし何十年後かもしれない。

 元々この世界にとってはイレギュラーな存在なのだ。自分の思いを果たせずに亡くなってしまった先輩が、望んでいることが分かるのは僕だけだ。きっと消えてしまったら悲しいけど、僕にしか先輩を楽しませることはできない。


「協力します」


「ん?何を?」


「先輩が楽しく、満足して消えることが出来るように僕が協力します。本心を言うなら、僕は先輩に消えて欲しくありません。でも先輩には楽しんで貰いたいんです。今日の話を聞いて決心がつきました」


「それは嬉しいけど……。雪くんの人生だしもっと自由にいこうよ」


「僕の人生だから僕が決めます。初めてちゃんと出来た友達のために頑張ろうって思えたんです。だから先輩も僕と一緒に消えるまで楽しみませんか?」


 先輩は驚いた顔をしたまま空中で停止している。頭では何も考えられずに心のままに言葉を口にしたが、思考と感情がリンクして伝えたいことを素直に伝えることが出来た。自分のために人と関わるのはまだ難しいかも知れないが先輩のためと思えば自分を少しずつ変えられる気がするのだ。

 1度目の人生は後悔のまま亡くなってしまった先輩。幽霊となった2度目のチャンスは後悔がないように楽しんで満足をして貰いたい。


「雪くんは重い子だね」


「先輩と同じくらいには」


「消えるところを見てほしいくらいってことだね」


「はい。僕の人生の最後まで見ていてほしいです」


「それじゃお願いしようかな。私が消えるお手伝い」


「満足させて見せますよ。いつになるか分からないですがきっと」


「期待しておくね。それじゃまた月曜日に」


 僕の言葉を待たずに部屋から先輩は出ていってしまった。逃げていくように去ってしまった部屋には僕一人しか残っていない。先ほどまで響いていた先輩の声は壁に当たる雨粒の音に置き換わり、急に孤独感に苛まれてしまう。静寂と雨の音という正反対のものが混ざり合って僕という存在を包みこんでくるようだ。水溜りに滴り落ちる雨が作り出す波紋のように感情が広がっては消えていく。

 一歩も動けずに先輩が帰ってから何度も話の内容を思い出してしまう。先輩から聞いていた情報から頭で想像していた筈無なのに本人の口から聞くだけで話の重みが増していた。


 先輩はこの場から帰って行っただけで消えたわけではない。それでも直前まで話していた内容から少しだけ不安になってしまった。

 ひとりで閉じこもっていては嫌なことばかり考えてしまう。僕は立ち上がり部屋から出てリビングに向かった。そこにはソファでくつろぎながらテレビを見て、休日を謳歌している母親の姿があった。いつもは見ることのないその景色に妙な安心感を覚える。

 部屋から出てきた僕の足音を感じ取ったのか、振り返ることもせずテレビを見ながら話しかけて来た。


「雪?どうしたの?」


「なんでもないよ」


「そう言えばお昼どうするの?なんか頼む?」


「母さんの。えっと、母さんが作ったのが食べたい」


 こんなこと今までの人生で一度も言ったことがない。母親が作ってくれるものを食べるのはいつもの事だが自分から作ってほしいと強請ったとはないはずだ。自分でもなぜ提案をしたのか分からないが、部屋にひとりで居るのが嫌だったのだ。余計な事を考えて陰気になってしまいそうでそれを振り払うために目的もなく部屋を出た。

 テレビを観ていた母親は驚いたように振り返り、僕の方を見る。からかうようなこともせずにゆっくりと立ち上がると台所へと向かっていった。


「何でもいい?」


「何でもいいよ」


 先輩と出会ってしまったから、ひとりぼっちは辛いと知った。なんだかんだ今までの僕は人と関わるのが苦手でひとりぼっちだと思っていが、家には親が居て、学校には少なからず話す人も居る。本当にひとりぼっちになったことなんて1度も無かった。

 僕のことを見てくれている人はいるし、話しかけたら返答も返ってくる。それに甘えてひとりでいただけだ。

 

 母親の姿を目で追う。僕からの頼み事が嬉しかったのか軽快な動きで昼食の準備をしていた。最近は家に居ても親と一緒に過ごすことが少なかったので久しぶりの団欒の時間。今日は土曜日なので明日も休みなのだが、テレビから流れてくる天気予報では傘のマークがところ狭しと並んでいた。特別予定などはないが、母親の買い物に付いていくのもいいかもしれない。荷物持ち程度には役に立てるだろう。

 

 ソファには母親が座っていたらしい場所に跡が残っており、そこを避けて僕は座って待つことにした。鼻に通る料理の匂い。気付けば纏わりついていた静寂は無くなり、今度は雨の音と母親の鼻歌が家の中に響いていた。

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