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「そそぎくん?珍しい名前だね。どんな漢字書くの?」
昔から自己紹介をする度にこの質問をされてきた。同じ事を聞かれて同じ事を返すだけ。決まり切った型に嵌めるように答えるのは難しくない。
「汚名を雪ぐのそそぐですね。漢字だと雪って書きます」
「そうなんだ。綺麗な名前だね」
皆同じようにそう言ってくる。雪は白くて綺麗なもの、僕の名前も綺麗なもの。僕はただ真っ白で何もないだけで綺麗なんて言葉は不釣り合いだ。僕という汚れを雪ぎ落とすと説明したいくらいだが初対面で頭のおかしいことを言うやつだとも思われたくない。
先輩の返答の後、教室には何処からか聞こえる生徒の声。僕も先輩も喋らず、無音になった教室に響くことでこの世界には他にも何かが存在することを強く意識させられる。その静寂に耐えられず、何を話すか考えるより先に声が口から飛び出てしまった。
「えっと」
「ん?どうしたの?」
何も考えずに発せられた声の意味を僕は知らない。必死になって取り繕うための言い訳を考える。
「先輩は、僕のこと後輩だって良くわかりましたね」
「私からしたら全員後輩みたいなものだよ」
「聞きにくいんですけど留年とかしているんですか?」
「聞きにくいって言う割にはっきりと聞いてくるね」
「あ、気に障ってしまったならすみません」
「いいよ。留年と言えば留年かな」
人と話す時に少しでも頭で考えずに話すとすぐに棘のある言葉が出てしまう。後になって自己嫌悪に陥るのが分かっているのなら最初から口に出さなければいいということは分かっているのだが無意識の内に出てしまうのだ。
相手と話す前は気を付けていても話し始めて気を抜くと相手に対してトゲを出してしまう。攻撃をしようと考えているわけでもないのに僕の口からこぼれ落ちる言葉は僕の意識の言う事を聞いてくれない。
先輩だって留年したかったわけではないのかも知れない。やむを得ない事情があった場合、僕の歯に衣着せぬ言動は神経を逆なでしてしまうだろう。先輩の言動や立ち振舞を見ても問題行動を起こすような生徒には見えない。人は第一印象が大切だと言うが先輩は体格もやせ形で何か大きな事が出来るようには見えなかった。
「すみません。変なこと聞いてしまって」
「いいよ。それよりそれ」
先輩は僕が持っていたお弁当袋を指差す。先輩に話すことに夢中になる余りに本来の目的を忘れていた。1人で昼ごはんを食べるところを探している最中だった。
顔を上げて教室に備え付けられている時計を見ると昼休みが終わる時刻までそれほど時間がなかった。
「お昼食べるところを探してまして」
「クラスで食べないの?」
「友達がいないんですよ。いじめとかそういうのじゃなくて人付き合いが苦手なんです」
今、先輩と話せているのは周りに人がいない一対一の空間だからかも知れない。他に聞いている人もいないこの場所には僕も先輩しかいない。それが僕の心の緊張を弛緩させて口を軽くしている。
「そっか。じゃあ私と友達になろうよ」
「先輩とですか?」
にっこりと微笑んだ先輩は相変わらず机に座って足をブラブラとさせている。
友達になろうなんて言葉を生まれて始めて聞いたかも知れない。話したら勝手に友達と言う人種もいる中で敢えて直接友達になろうと宣言する人に出会ったことがない。単純に僕と友達になるような人が少ないからだろう。
今日初めて会った先輩に友達を申し込まれても、独りぼっちの僕に憐憫の情が湧いただけだ。それにこの学校唯一の友達が女子生徒では変に目立ってしまう。
「えっと人付き合いが苦手なので」
「なら、尚更私と友達になろう?」
遠回しに断っているのが伝わらない辺り、僕とは住む世界が違う。余り好きな表現ではないが世間的には陰の者である僕と陽の者である明るい先輩は混じり合わない。
「態々僕と友達にならなくても先輩なら友達いるでしょ?なんでこんな所に居たのか知らないですけど」
また棘が出る。もっと穏便に事を済ませるような言い方が出来ないものか。断りたい一心だとしても相手のことを考えない物言いは避けなければならないはずなのに。
「ここにいた理由か。それを教えたら私と友達になってくれる?」
僕と友達になることに拘っている理由もわからない。僕は誰とも交われない。心の底では誰かとの関わりを望んでいるが誰かと関わってしまえばその人の顔色を窺って、やりたくもないことをやったり言いたくもないことを言ったりしてご機嫌取りに疲れる未来が見える。
「考えます」
「考えてくれるだけ嬉しいよ。私がここにいる理由は単純に学校に居場所がないから」
「クラスに居場所ないんですか?」
「ううん。クラスじゃなくてこの学校に。学校の何処に行っても私の居場所はないの」
友達になろうと言ってくれた時と同じような表情で先輩は笑う。人付き合いのない僕でも分かるその表情は笑っているのに物憂げな雰囲気を醸し出していた。
「いじめ、とかですか?」
昨今いじめによる被害がニュースになることが多い。それなのにいじめの件数は減少することはない。受けた側がいじめだと思っているのに加害者側がいじめと認識していないこともあるという。
この学校に居場所がないと思ってしまうほど心の隙間が無くなっている先輩になんて声をかけたらいいか分からない。水も入り込めない隙間に僕なんかが入れるわけがない。
「違うよ」
そうやって勝手に気まずく感じていたのは僕だけだった。僕の名字が変わった時も、先生やクラスメイトは変に気を使って名前で呼んでいたが本人は何も気にしていなかったことを思い出す。周りが勝手に気を使うことで僕自身も気まずくなってしまった。
「ならいいんですけど。それじゃどうしてですか?」
「信じてもらえないかもね」
「僕が先輩の言葉を?」
「うん」
「今日初めて会った相手の言葉を信じるとか信じないとかは無いと思います。ただ聞きたいとは思っています」
ほんの数分前に初めての邂逅を果たした僕たちは信頼関係なんてものは少しも構築されていない。知らないからこそ先輩の言う事を信じてしまうかも知れないし疑ってしまうかも知れない。本当のことは目で見てみないと何も分からない。
「後輩くんに教えてあげるよ」
「えっと、よろしくお願いします」
「後輩くんだと呼びにくいね。名前で呼んでもいい?」
「構いません」
「じゃあ雪くん、信じてもらえないかもだけど」
名前で呼ばれると聞いた時、てっきり苗字で呼ばれるものだと思っていたので下の名前で呼ばれたことに緊張してしまった。親くらいにしか呼ばれたことがないその名前。最近では親にも呼ばれることは少なくなってきた。人の声で呼ばれたことで自分が夜月雪という存在だということを改めて認識する。
ぶらぶらと揺らしていた足を止めて座っていた机から降りる。そのまま僕の方へと歩み寄り身体が近付いてくる。それに合わせて後退りをしようとすると、身体が後ろにあった机に当たり物音を立てた。
近づかれたことで先輩よりも僕の方が少しだけ身長が高いことに気が付く。ほんの10センチ程度の差でも先輩からすれば僕を見上げる形になる。先輩は悪戯な顔をして上目遣いで僕を見つめる。
「そんなに逃げられるとショック受けちゃうな」
「人付き合い苦手だって言ったでしょう。離れてくださいよ」
「私でも駄目なの?」
「駄目ですよ」
「私人じゃなくて幽霊だよ。もう死んでる」
先輩の声が耳から入ってくるも冗談のようには聞こえない。思考が止まって呆然とする僕の意識を取り戻させたのは昼休みの終わるチャイムの音だった。開かれないまま自分の役目を果たせなかったお弁当袋は虚しげに揺れている。
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