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「この御恩は必ず」
「堅苦しいし似合わないね」
冗談めいて伝えたが本心だったりする。先輩と関わることで自分の弱点や心の内で求めているものが段々と理解できるようになってきた。先輩と出会うことがなかったら須藤たちと遭遇したら会話をすること無く逃げていたかもしれない。幽霊とは言えど僕の会話の練習相手してしっかりと役目を果たしてくれているのだ。
僕に誰かと関わることを推してくれた先輩には感謝している。だからこそ、先輩のために動きたいと思って噂の件に首を突っ込んでいるのだ。予想外だったのは藪をつついたらヘビが出てきた事。
「雪くんはもう少し人と話せるようにならなきゃ駄目だよ」
「それは……分かってますよ。それでも人の顔を見て話すのは難しいです」
「首とか頭とか顔に近い部分をみて話してみたら?」
「……機会があれば試してみます」
「苦手なのも勿論分かるけど、人と話せるって当たり前のようで幸せなことだって。私が気付くには遅すぎたから」
当たり前の事を当たり前に出来るのにやらない僕に先輩は気を揉んでいるのかもしれない。僕に出来ないことが先輩に出来るように先輩に出来ないことが僕に出来る。
先輩のやりたいことや知りたいことは現状僕を通して行うしか方法がないので先輩のために何かをするのなら、決心して人と関わっていくように努力するべきと分かってはいる。心と体のバランスが上手く取ることができれば変われそうな気がするのだが現状上手く行っていない。
この場ではやりたい行動を考えてシミュレーションも行っているが、実際に行動した時に少しでもアクシデントが起こると計画が瓦解していき自分では持ち直すことが出来ていない。
先輩の言い分も理解をすることは出来るが実践するのには時間がかかりそうだ。幽霊になってから5年も経っているなら少なくとも僕よりも5歳は年上ということになる。人と話せずにひとりで色々と考えていく内に生きている人の5年という歳月よりも自分自身を見つめ直す時間があったのかもしれない。
「そう言えば先輩って幽霊になってからの話をしてくれますよね」
「積もりに積もった5年間の経験だからね。話せる相手がいたなら話したくもなるよ」
「その前はどんな人だったんですか?」
やっぱり先輩の過去は気になるので教えてもらえれば重畳程度に聞くことにした。
「どういうこと?生きていた頃の話?」
「はい」
「もう結構前だよ。覚えてないかもしれないなあ」
「でも覚えてることもありますよね。好きだったものとかなんでも良いんですよ」
「なんでも……」
「僕が知っているのは亡くなって幽霊になってしまった後の先輩のことなので生前のことは知りません。教えてもらえたら嬉しいなって」
「うーん。覚えてる限りあんまり面白い話じゃないよ?」
少しだけ口籠る先輩は話すことに対して前向きには思えないが先輩のことをもっと知りたいのだ。他の人と関わるのはまだ難しいが前向きな意思を持っている。先輩に関してはこの学校で唯一、何も気にしないで話せる友達なのだ。
「それでも聞きたい?」
「それでも」
先輩の過去の話が気になってしまう。僕のような人間に対して面倒を見てくれる人なら生前も元気で溌剌とした人だったはず。それこそ手紙を沢山貰っていたらしいので、それだけ友人も多かったのだろう。今は僕一人に向いている感情が大多数の人に向けられていた時のことを知りたい。
僕たちの関係が無限に続く保証はない。先輩を見ることができなくなってしまうかもしれないし、先輩が成仏してしまうかもしれない。今、この一瞬を先輩に楽しんでもらいたいから過去のことを知りたい。
それでも聞きたいとたった一言を伝えようとした僕の覚悟は朝のチャイムによって途切れてしまった。タイミングを見計らっていたかのようにホームルームが始まるカウントダウンのチャイムが校内に鳴り響く。元々朝の時間のため放課後のように時間を取ることはできない。その事を忘れ、時計を確認することもせずにダラダラと話しすぎてしまった。
「あっ時間……」
「えーっと、遅刻しちゃうよ?」
話の途中でチャイムという横槍が入ってしまったため気まずい空気が流れる。流石の先輩も少しだけ申し訳無さそうに僕の方を見ている。緩やかに体の緊張が解けていく。
今を逃したら先輩は話してくれないかもしれないが学生として時間はしっかりと守らないと遅刻になってしまう。自分のせいで遅刻することになったら先輩が悲しむかもしれない。
「また今度」
「え?」
「また今度先輩の話聞かせください」
日を改めて先輩の話を聞きたい。いきなりだと先輩も困るだろうし、5年前の記憶というのは思い出すのに苦労する。僕だって小学生の頃の記憶を呼び起こそうとしてもすぐには思い出せない。家に帰ってアルバムなどをひっくり返せば写真などから出来事を思い出すことが出来るかもしれないが先輩にはその手段すら無く、自分の記憶の引き出しから取り出すしか無いのだ。
急いでは事を仕損じるという言葉があるようにゆっくりと話を聞くことができればいいのだ。一気に聞かなくても思い出した時に話してくれるだけでもいい。そのきっかけとなる第一歩として先輩から昔のことを話してほしい。
「そんなに聞きたいの?私のこと」
「滅茶苦茶聞きたいです。友達のこと知りたいって思うのって変なことですか?」
「流石に過去まで知ろうとするのは重いと思う」
「うっ……」
「でも私も話したいって今思っちゃった。だから今度ちゃんと話すね。退屈だからって途中で寝たりしないでよ?」
「勿論です。最後までちゃんと聞きます」
ひとりの人間が最期を迎える話だとして、その事を退屈と思うほど人間性が欠けては居ない。亡くなれば現世の人と自分から関わることの出来なくなり、先輩からすれば辛い記憶かも知れない。それを聞き出そうとしているのだからそれ相応の態度と気持ちを僕も持っている。
自分でも先輩に対する感情が重いのではないかと思ってはいるがそれを自覚したところで変えようもないのだ。この世界で先輩のことを見えているのは僕だけなのだから特別に思ってしまうのも無理はない。
「その時は雪くんの昔の話も聞きたいな」
「僕の話ですか?それこそ大した話はないですよ」
「雪くんが言ったんだよ。大した話じゃなくても聞きたいって。私も同じ気持ち」
僕が先輩に話せることはなんだろうか。小学生の頃の話は特になく、中学も何もない。高校に入ってからは殆ど先輩は知っている。話せるほどの出来事が起こっていない白紙の人生だ。
2度目のチャイムが鳴る。本格的に急がないと遅刻になってしまう。余裕を持って登校したのに校内を彷徨いて遅刻に鳴るなど笑い草だ。教室までは走れば1分と掛からない。廊下を走るのは悪いことだが背に腹は代えられない。
「なら約束ですよ。ちゃんとお互いのことを話すって」
「整理ついたら私から話すよ」
「それじゃ遅刻しちゃうんで教室行きましょう」
足早に空き教室を飛び出して自分の教室へと向かう。遅刻ギリギリに教室へと向かうことが今まで無かったので若干焦っている。
「私も大概かもね」
急ぐ僕の横を同じ速度でついてくる先輩が余裕の表情で話しかけてくる。流石に走るのはマズイと思い、早歩きをしている僕は必死なのだが宙に浮いている先輩には関係ないようだ。
「大概ってなんですか」
もう廊下には誰もいないので、小声で先輩に対して返答をしても怪しまれる心配はない。教室に近づくにつれて生徒の話し声が大きくなる。
「私もちょっと重いかも。雪くんのことちゃんと知りたいって前から思ってたし」
「言ってくれれば良かったじゃないですか」
「言えないよ」
「なんでですか」
「んー。内緒。前に思ってたことと今思ってることは違うからもうどうでもいいの。今は雪くんのこと知りたい、それだけで充分」
教室が眼前に迫ってきた。先輩に対して返答をする余裕くらいはあったのだが、敢えて返答をしなかった。恥ずかしさを感じたのは事実だがそれよりも僕の一方的な感情じゃなかったことが嬉しかったからだ。
あくまで友達として先輩のことを知りたい。今の僕の目標は先輩のことを楽しませること。まだまだ出来ないことは多いが、出来る限りのことはしたいと思っている。まずは須藤からの返答を待つことしか出来ないがそこからどうするか話し合って噂の解明を進めよう。




