9.美しい魔法
「明日は草原に行きましょう」
「あ、無理です」
ノアがノックに気付いて鍵を開け、その事にグランが満足そうに頷いた後。
せっかくのお誘いだが、しっかりと戦う前提の為、もう少しスクロールを足しておきたいのだ。
断られると思っていなかったらしいグランは、ちょっとの間ショックで固まっていた。しかし直ぐに立ち直る。
「どうしてですか」
「もうちょっとスクロールを足しておきたいんです」
スクロールに馴染みがないグランは想像がつかないらしく、曖昧な反応をされた。
「僕はスクロールしか戦闘手段がないので、過剰に用意しておくくらいが丁度良いんですよ。あ、そうだ。読めないとは思うんですけど、スクロール見てみますか?」
「見ます」
グランを部屋に招き入れ、ベッドへと座らせる。今回、椅子はノアが使うので渡せない。
「こっちが風の刃で、そっちは水の玉です」
「水の玉」
「息をする相手だったら溺死させられます」
なんて恐ろしいものを使うのだと慄かれた。解せない。そして敵にしか使わないのだから正当防衛なのだと説いたが、あまり効果はなかった。
しょんぼりしながら椅子に座り、当然のように草原まで付き合おうとするガイドに尋ねる。
「王都の外までついて来てくれるのはありがたいしとても嬉しいのですが、どんな名目でついて来てくれるんです?」
「………………」
固まり、言葉は出ないままグランの口が閉じられていく。その様子にノアは、これは何も考えていなかったな、と苦笑した。しかし、笑った事がグランの気に触ったようだ。
「すみません。可愛らしいなぁと」
「可愛らしくなんてありません」
何言ってんだコイツと目が言っていた。
「僕にとっては可愛らしかったんですから、それで良いんです」
「……」
「話を戻しますね」
「はい」
「君への依頼内容は王都観光でした。正直、草原まで一緒に来てくれるのは有難いです。でも理由がないんですよね」
「…………解釈の齟齬です。貴方は“王都”を城壁の中だけだと考えていましたが、私は城壁の外、王都周辺も含め“王都”だと考えていました。それだけです」
こじつけだ。しかし、それだけ何も考えずに、ノアのために草原へと連れ出そうとしてくれた事が嬉しかった。
いずれは理由がなくても行動を共に出来る仲になれたらと思ってはいるが、そうなれなかったら、グランとは縁がなかったのだとすっぱり諦める。これらの思いや行動は国の未来を左右するものなどではなく、ノア一個人にしか関係がない分気楽だ。だから、ただのノアとしていられる。
だからノアはこの状況を楽しんで、グランに話を合わせる。
「なるほど。じゃあ、草原でもよろしくお願いしますね」
「はい」
何故こんな事になったのだろうかとグランは首を捻りつつ、頷いた。
グランは自分の気持ちに疎い。その理由も、出会った場所やグランの知人だという人物の言葉からなんとなくは推測出来るが、確かだとは言えない。本人は自分の幼い頃を特になんとも思っていないようなので、いつかポロリと話す気がする。
そしてグランが自分の気持ちに疎いのは、ただ単に本人の生来からの気質なのかもしれない。
ノアとしては、自分の気持ちの機微は分かっていて損はない、むしろ分かっていた方が楽しいと思っているので、教えられるのなら教えていきたい。
「今グランが持っているスクロールは室内で使うと大惨事になるので発動させられないんですけど、代わりにこちらを見せたいと思います」
ノアはジャジャーンと言って書き終わったばかりのスクロールをグランに見せる。
グランは訝し気にスクロールを眺めた。当然、何の情報も読み取れない。
「何の魔法ですか」
「それは見てからのお楽しみです」
ノアはにっこりと微笑んで、スクロールの魔法陣に魔力を流し始める。
基本一枚の紙に魔法陣は一つしか描かないが、今回は小さな魔法陣がびっしりと紙を埋めている。そして真ん中の魔法陣から、外側に向かって順番に魔力を流す。
最初の魔法陣からはほぼ真っ直ぐに氷が生えた。次の魔法陣からは、最初の氷に沿うように少し広めの平らな氷が。次々と密集して氷が生えていき、それらは一つの形をとった。
「氷の花ですか」
無意識な感嘆を込めた声でグランが言った。ちょっとでも感情が表に出てきたことが嬉しいくはあるが、花という抽象的な表現はしてほしくなかった。結構上手く咲いたと思うのだが。
「一応、薔薇のつもりです……」
「すみません。花の種類に興味がなかったので」
そう言いながら、グランが腰掛けていたベッドからジリジリと氷の薔薇に近づいて来て、遂には近距離からしげしげと氷の薔薇を眺める。そして何を思ったのか、ちょん、と人差し指で花弁に触れた。そして冷たさにすぐ指を引く。
「冷たい……」
「氷ですから」
無表情ながら無邪気な姿にノアは慈愛の滲む笑みを浮かべる。
グランはじっと花弁に触れた指先と花弁を数度、交互に見つめた。
「これをいただいても?」
「勿論です。ただ、溶けにくいだけの普通の氷なので、保って1日ですけど」
「貰いたいです」
「いいですよ」
ノアは紙と繋がっている氷部分を容赦なく折り、グランの掌にそっと1日限りの薔薇を落とす。掌の薔薇を見てグランが目を細めた。
「置いて来ます」
「わかりました。気に入ってくれたようで嬉しいです」
グランは早歩きで扉まで向かい、ドアノブに手を掛けたところで突然振り返った。目は合わない。
「ありがとうございます。おやすみなさい」
「どういたしまして。おやすみなさい。よい夢を」
どういたしましてと言い終わる前には扉が閉まっていたが、ノアは寝る前の挨拶も返した。聞こえていたかどうかは知らないが。
はしゃぎ過ぎたと恥ずかしくなったらしく、早くこの場を立ち去りたいが為の言い逃げだ。ノアはグランの行動に顔を顰めることなく、鍵を閉めるために立ち上がった。
氷の花、特に薔薇って幻想的で、儚くて、良くないですか? 合うなぁ、という人は続きもどうぞよろしくお願いします。