1.瞬きしたら異世界
「活気いいなぁ」
大通りから一歩中に入った路地裏で尻を摩りながらほのぼのと呟く男は、服装だけを見ればそのまま市場に紛れることができそうだった。トレードマークはと問われたら、部屋の外で外す事のない三連の鈴蘭のイヤーカフだと答えるだろう。それくらい質素な格好をしている。
まあ、平民にしてはパリパリ過ぎる亜麻のシャツとズボンはシンプルだろうが目立っているし、艶やかな黒髪と深い紫の瞳は只人が持つには高貴過ぎるのだがそれは置いておこう。
これでも彼の自信のお忍び姿なのだ。本人は完璧だと思っている。
親しい人に見た目と中身の差が激しいと言われる男、ノアは、先程までは自国の城下町に護衛と共に居た。
あの護衛は護衛対象を守りきれるという自信を持っていたし、他人からもそう当たり前に思われる男だったので、瞬き一つの間に消えたノアに酷く狼狽しているだろう。ご愁傷様と他人事に考える。
そして持たれていた壁が突然消えてなす術もなく尻餅をついた自分もご愁傷様。此方はめちゃくちゃ気持ちを込めて。じんじんと現在進行形で痛い。
そう考えている間にもノアは路地裏から少し出て壁にもたれ、さりげなく周囲を見渡す。
此処は何処なのか。
異文化圏には感じられない。人種にも大きな差はない気がする。
なのに貨幣が違う。ノアの知る限り、遠く離れた島国を除く地域での貨幣は統一されている。だから今ノアが持っている貨幣と違うというのは可笑しい。
2個前の貨幣までは資料として見たことがあるが、それとも一致しない。
(世界一周大航海で発見されなかっただけで他に大陸があったのかな。いや、でもここまで文化が類似することが有り得るのかどうか。発見された離れた島国でさえとても文化が違うと感じていたのに)
子供は何の貨幣を持っているのか。大人は。それはどんな物と等価で代わっているのか。
それを頭に入れ貨幣の表を脳裏に作り、また己の知る貨幣の価値と擦り合わせる。
今の所伺えた貨幣は銅貨、大銅貨、銀貨。多分これに大銀貨、金貨、白金貨と続く。ノアの知る物と仕組みは変わらないようだった。
平民が着る物の質も対して変わらないことを確認した上で堂々と歩き出す。
そして換金できる建物を目指す。
もしもの時用に宝石と金を懐に忍ばせてあるのだ。貨幣が意味を成さなくなることは想定していなかったが、お忍びの度に持ち歩いておいて良かったと初めて思った。
取り敢えず1人旅行の客を装うので上流階級の区域には入らない。中流の中でもこれらを換金出来るぐらいには立派な所を探す。
城の見え方角にのんびりと歩き、大通りよりも少し客層の良い所に来た。此処ら辺ならと歩調を緩め、少し奥に雑貨屋という看板を見つけた。
店前には鑑定買取出来ますという立て看板がある。
(この辺の雑貨屋って金貨何百万の宝石売れるかな)
しげしげと立て看板を眺めていると店の奥から視線を感じ、敢えて顔を上げてみる。
案の定店員と目が合い、ノアはにこりと微笑む。店員もにこりと笑い返す。
ネックレス売れる気がする。ノアは直感で店に入ることにした。
規模と店の佇まいから、この店員が1人で切り盛りしているのだろう。
「いらっしゃいませ」
「こんにちは」
またにこりと微笑み合う。
「買取をお願いします。出来ないなら出来ないで構いません」
敢えて少し挑発的な言い方をした。その方がこのクセの強そうな店主への興味を引かせる対応として合っているのではと思ったからだ。
店主の描く笑みが変わることはなかったが、目付きが少し変わる。
「出来ますわ」
「断言しちゃっていいんですか?」
きょとんと惚ける。たまたま挑発的に聴こえただけなのだと言わんばかりに。
「はい」
「これなんですけど……」
ネックレスを見た途端に口の端を引き攣らせる彼に換金出来そうかと首を傾げて見せる。
その表情に絶望は浮かんでいなかった。驚きのあまりといったところか。
「出来ますわ。けれど、宝石店に持ち込んだ方が宜しいのではありませんか?」
「目が合った時、出来る気がしたので。無理だったらまた他の店に行けば良いだけですし」
「まあ、ありがとうございます」
後半部分が笑顔で流された。
「金貨300枚です」
妥当な値段だろう。話してみて店主の人柄的にもちょろまかさないだろうと判断し、指輪も出すことにした。
「此処もお願い出来ますか」
「わかりました」
まだあるのかという目で見られた。
「此処の指輪とネックレス合わせて金貨500枚になります。問題ございませんか?」
「はい、ないです」
「では少々お待ちください」
バックヤードへと消えて行く店主を見送る。
(此処で出来るだけ正しい情報を沢山手に入れられたらいいんだけど)
店主の手にはずっしりとした袋がある。ノアは、今気付いたという表情を作って店主に言う。
「ああ、鞄が宿でした。これから買い物もする予定なので、店主おすすめの鞄を見繕ってもらえませんか?」
「金額に上限は?」
「ありません」
店主の視線が彷徨う。そして手早く数個の鞄がカウンターに置かれた。悪くはないのだが、この店内を見渡すだけで確認出来たセンスの良さが何処かへと去っている。
ノアは思わず店主の顔をまじまじと見る。先程の挑発的な言い方を根に持っているのだろうか。
「此方無限収納付きの鞄になります」
違った。地味に嫌がらせかと思ったことを申し訳なく思った。嫌がらせどころかなんか凄いのが来た。
「凄いですね」
「ありがとうございます。当店品揃えが自慢なんです」
やはり無限収納付きは珍しいらしい。
ノアの居たところでは聞いたことも見たこともない。王子である自分が知らないのだから、向こうではなかったものだろう。良い店を見つけたとほくほくする。
「まず換金金額のご確認をいたします」
「あ、大丈夫ですよ。面倒くさいですし、そんな信用を落とす真似はしないと思っているので」
「……ありがとうございます」
店主が一瞬虚をつかれた様に目を瞬く。
「ではここから鞄の代金金貨30枚を引かせていただきまして、残りは鞄にお仕舞いしてよろしいですか?」
「お願いします」
わざわざ袋から金貨を全て出して鞄に仕舞い直している。
鞄の中はどうなっているのだろう。金貨をもう400枚ぐらいは仕舞っているが膨らむ様子はない。わざわざ袋から取り出したのは、そのまま鞄に入れると出す時に袋ごとになり、そこからさらに出すという手間を省くためだろうと思うが、実際のところは分からない。
「取った宿があまり良くなくて。店主さんのおすすめの宿、ありませんか?」
まだ全く出て来ませんでしたが、店主は装いは綺麗めなズボン姿、話し言葉は女性的です。体型がっしり、ではなく一般男性より少し細身なくらい。
店の店主仕様、またノア(お忍びの貴族に見える)仕様でお堅い言葉を話しているので女性らしい言葉が今回ほぼ発せられませんでした。ノアじゃなかったらもう少し崩した言葉で話していました。
店主は仕草も、丁寧ではあるけれど決して女性的ではありません。これが性癖の人は続きもどうぞよろしくお願いします(まだ書いてない……)
そして不定期更新なので、よろしければブックマークもお願いします。