キサラギ・サラは還らない 3
「俺には、サラは重過ぎた。君らは知らないだろうが……あいつはいつも明るく振る舞っていたけど、いつちぎれてしまうか解らない、か細い糸みたいだった。まいりかけると、いつも俺によりかかって来た。俺の方が、そんなあいつを見ているのも限界だったんだ。あいつは、自分が足手まといだと思っていつも俺に気を遣っていた。それも辛かった。だから、こうまですれば、騒ぎ立てたりせずに大人しく受け止めて、引き下がってくれると思ったんだ。俺は、ただ、別れて欲しかっただけだ」
苦しそうに顔をゆがめる先輩を見ていると、抑えようとしていた苛立ちがまたぶり返して来た。
「それで、別の女の人に乗り換えようとしたんですか」
「何が悪い。くっつこうが離れようが、皆やってるだろう」
「皆って、誰です。サラ先輩は、『皆』とやらじゃない」
「お前だって、自分が俺の立場になれば解るんだよ!」
そう言って、日比野先輩はその場にくずおれた。
「……俺をどうする」
「別に、どうもしませんよ。何をしたって、サラ先輩は帰って来ないんですからね。ただ……あなたのしたことを知っている人間が、サラ先輩の他にも一人はいるってことは、覚えておいてください」
そう告げて僕は、例の窓枠へ歩き出した。
「おい、待てよ。やっぱり言いふらすつもりか……」
「だったら、どうします」
言いながら振り向く。精一杯の敵意を視線に込めて。
「死なせますか、僕も」
それ以上は、彼の顔を見る気になれなかった。
そのままプール棟の外へ出て、寮へ向かって歩きだす。
今回のことでこれ以上、何かをする気はなかった。彼のしたことを人に言うつもりももちろん、無い。
ただ、——彼のサラ先輩への仕打ちを知っている人間がもしかしたら複数人いて、その人物達は彼に日々、冷酷な視線を送っているのかも知れない。それは彼のクラスメイトや、教師かも知れない。
そんな恐怖を、せめて自分のしたことの報いとして味わえばいい、と思った。
彼が警察へでも行って、自分のしたことを白状すれば、多くの人から責められるだろう。
けれど、殺人罪が成立することは無いと思う。
立件されても、人を一人殺したよりははるかに軽い刑罰を受けて、執行猶予も付いて、それで『許された』ことになって、何食わぬ顔でまた彼は自分の生活を続ける。
サラ先輩はもう帰って来ない。それなのに法の名の下に償いが済んだことにされるなんて、冗談じゃない。
それよりは、償う方法も見つからないまま、少しでも長く疑心暗鬼に苦しめばいい。
日比野先輩のことは許せない。でも、僕もどす黒い感情で汚れている、と感じた。
新月のせいで星明りしかない、暗い校内の敷地を、一人でぐるぐると歩いた。
闇の中へ、身も心も溶かしてしまいたかった。