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キサラギ・サラは還らない 1


■■■■■


「何だってんだよ、こんな所へ呼び出して」

 夜、人気の無いプール棟で、日比野先輩が僕に不機嫌そうに言った。

 例の窓枠を外して建物の中に入り、僕らは明かりも点けないまま、二人きりで水の枯れたプールサイドに立っていた。

 このことはハインツにもカルフにも、内緒だった。彼らを巻き込まず、僕一人で成し遂げなくてはならないと思った。

「聞きたいことがあるんです」

「昼間にしてくれりゃいいだろう。サラのことだろ? 前にも言ったけどな、俺はあの件には疎いんだ。あいつが自殺した時、寮で仲間と——」

「自殺、ですかね」

 日比野先輩の顔色が、憮然とした表情に変わった。

「何を言ってる。もう警察が調べたんだぜ。間違いなく自殺だ。調べりゃ判るんだってよ、自分で首を吊ったのか、そうでないのかなんて」

「サラ先輩が自分で首を吊った。自分の手で、自分の意志で。でもそれだけで、自殺と言えるんでしょうか」

 迷惑さを隠そうともしなかった日比野先輩が、ようやくまじめな顔付きになって来た。

「もう一回訊くぞ。……何だってんだよ、お前」

「もう新しい彼女を見つけたんですか」

 相手の質問に答えずに、自分の言いたいことだけを告げる。それも、相手が無視出来ない内容のことを。

 あまり好きなやり方ではなかったけど、この場合は有効だった。日比野先輩が鼻白む。

「……何だ。人のことを嗅ぎ回りやがって」

 今日まで、本人にはばれない様に最大の注意を払って、僕は日比野先輩の新しい恋の裏を取っていた。

 彼がサラ先輩から別の女性に乗り換えようとしていることは、高等部では有名だったので、すぐに確かめることが出来た。

 しかし、

「出まかせだったんですけど。そうですか、当たってましたか」

 彼の神経を逆なでするために、敢えてそう言う。日比野先輩の表情を見ると、それは成功したようだった。

「人目につく所で、日比野先輩はサラ先輩とけんかすることもあったみたいですね。別れ話、うまくいってなかったんですか」

 これは本当に出まかせだった。けど、近いことはあっただろうと見当をつけていた。

「おい。……おい。まさか、俺がサラを手に掛けたと思ってるんじゃないだろうな。確かに、ちょっともめてはいたさ。でも、そんなことで人一人をどうこうしようなんて思うわけ無いだろ? それに、警察を煙に巻く様なトリックなんて俺には考えつかないぞ」

「でも、サラ先輩を死なせたのはあなたです。首を吊らせたのはあなただと、僕は思っています」

 がんっ、と鈍い音がした。

 先輩が手近な壁を殴った音だった。

「いい加減にしろ! ふざけるな! 寮にいた俺がどうやって、サラに手が出せる!」

「その前に、会っていたんじゃないですか? サラ先輩と。女子寮の、サラ先輩の部屋で」

 ぐっ、と日比野先輩が息を呑んだ。

「それが……どうした」

「想像を交えて、ですけどね、当日何が起こったのか、僕なりの考えをお話しします。まず、サラ先輩はとても心を許している誰かと、自分の部屋で会っていた。そしてその時、睡眠薬を飲んで眠った。その誰かが、休むように促したんだと思います。弱い睡眠薬をサラ先輩は常備していたというのは、女子寮の寮母さんに聞きました」

「おい、待て。薬のことは確かにそうだが、あいつの部屋でそんなことがあった証拠がどこにあるんだよ」

「日比野先輩。これは、足場から順に組んで行って、高みにある答に到達する様な話じゃないんです。空中に浮かんでいる答から、地面に向って階段を下ろす様なものなんですよ。どうか、最後まで聞いてください」

 ちっ、と彼が舌打ちするのを聞き流し、僕は続ける。

「その誰かは、女子寮で会うのがはばかられる相手、つまり男性だった。だから寮に入る時、誰にも見られずに忍び込んだ。そして眠った彼女をこれも人に見られない様に運び出して、プール棟に向った。もう冬ですからね、すぐに暗くなる。女子寮から出さえすれば、簡単に運べたでしょう。仮に人に見つかっても、状況としては彼氏が彼女をおぶっているだけです、特段不思議なことじゃない。それから、この後に行おうとした行為の一切を中止すればいいだけのことです。途中でサラ先輩が目を覚ました場合も同じ。何のリスクも無い。そして幸運にも、プール棟に着くまで誰にも目撃されなかった。……プール棟の窓が外れて出入りが出来るのは、この学校の多くの生徒が知っています。でも、そこから人を一人運び入れようとすれば、これは女性には難しい。やはりその誰かは、男性だったんでしょう」

 日比野先輩はじっと聞いている。

「プール棟に入った誰かは、プールサイドにサラ先輩を寝かせ、その首に用具室から出したロープを巻きつけ、もう一方の端を潜水用プールの手すりにくくった。そして潜水用プールを挟んで、サラ先輩を寝かせたのと逆側のプールサイドにラジカセを置いた。実はここの用具室に忍び込んだ時、何もかも埃だらけの中、ラジカセがずいぶん強く光を反射していて。つまり埃が払われていて。不思議だったんですよ、部屋ごと忘れられた様に放置されている用具室なのに、ラジカセだけは最近何かに使ったのかなって。それを考えた時、ここで何が起こったのか、大体見当を付けられました」

 日比野先輩が苦笑した。

「おい、まさかそのラジカセに俺がサラを呼ぶ声を吹き込んだテープを入れて、プールの向こう側から鳴らしたら、それに目の見えないサラがつられて起き出して、プールの中に落ちたなんて言うんじゃないだろうな」

「さすが、よくご存じですね」

 先輩の笑みが強くなる。醜悪な笑顔だった。

「そんなのが上手くいくわけ無いだろ。あいつは聴覚は常人以上だった。ラジカセの音か俺本人かなんてすぐ判る。首に縄なんぞかかってればなおさら、そうそう迂闊に歩き回ったりするかよ」

「ラジカセから鳴ったのは、あなたの声なんかじゃありません」

 醜悪な笑顔が、凍りつく。

「サラ先輩がいつ目覚めるか解らない以上、彼女にラジカセを確実に聞かせるには、下手すれば数十分から数時間分の音を録音しておかなきゃならない。人間の声を延々吹き込んでおくのは非現実的です。ラジカセじゃあ目覚めたサラ先輩と会話も出来ないから、声をかけられたらすぐに録音だとばれますしね。それに、もうテープは回収したんでしょうけど、もし回収する前に警察がラジカセを調べてあなたの声のテープが出て来たりしたら、一気にあなたの立場は悪くなる。そんな直接的なものじゃいけない。おそらくテープに吹き込まれていたのは、雷雨の音です。演劇部がよく、嵐の演出の時などに使う様な。これなら第三者に発見されても、すぐにはあなたに結び付かない。リピート設定しておけば、エンドレスに流れ続けますしね」

 日比野先輩が、息を呑んだ。

「サラ先輩が自分の部屋で睡眠薬を飲んだという考えは、ここで生きて来るんです。サラ先輩が目を覚ましたら、当然自分がいる所は眠る前と変わらず、自分の部屋だと思う。そんな時に強い雨音が聞こえて来たら、彼女は思わず窓際へ駆け寄るでしょう。大切な恋人からもらった観葉植物を無用の水分から守るため、窓が閉まっているかを確認しようとして。そして……プールの中へ、落ちる。そうなる様に誘導した人間が、全く別の場所にいる時に、サラ先輩は、一人で――死んでしまう」

 日比野先輩を見る。狼狽している彼は、ひどく、薄っぺらく見えた。

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