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にゃむらい菊千代  作者: 深水千世
にゃむらい誕生
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菊千代と赤ん坊

 この家の大黒柱であるカンさんは、早朝から店でそばやうどんを手打ちするのが日課だった。その仕事が一段落すると、エミさんと朝食を摂るのだ。

 この日も二人は向かい合って座り、食卓に手を合わせた。彼らの前には焼き魚に胡麻入りのだし巻き卵、冷や奴、白菜漬け、高菜入り納豆、そしてご飯と白い湯気をたてる味噌汁が並んでいる。

 カンさんが納豆を混ぜながら妻を見た。

「朝早くからどこに行っていたの?」

 すると、エミさんが眉を下げて笑った。

「今日は骨董市かと思って張り切って出かけたんだけど、やってなかったわ」

 桐生天満宮では毎月第一土曜日に骨董市が行われる。妻がそれを楽しみにしているのをよく知る夫は、ふっと笑みをこぼした。

「十一月は七五三があるから中止だよ」

「そうなのよね。うっかりしてたわ。だけど、そこであの子猫を見つけたの」

 カンさんは味噌汁をすすり、ふと顔を上げた。

「……名前は『菊千代』でどうかな」

「いいわね」

 エミさんが焼き魚の骨をはずしながら答える。

「あなた、昨夜観た『七人の侍』を思い出したんでしょう?」

 カンさんは無言で微笑む。映画を観ながら晩酌するのが好きな彼は、特に黒澤明監督がお気に入りなのだ。

 こうして、子猫の名前があっさり決まった。食事を終えたカンさんは、子猫にこう話しかけた。

「菊千代」

 子猫はきょとんとした顔で、彼を見上げる。

「お前は頭の模様がちょんまげみたいだ。立派な侍になるんだよ」

 子猫には『サムライ』というものが何かわからなかったものの、自分の名前が『菊千代』になったことをすぐに理解した。

 彼は動物病院でノミとマダニの検査を受け、首輪を与えられた。なんなくトイレを覚えたためか、起きてきたエミさんが「お利口さん」と撫でまわし、彼もまんざらではなかった。

 どうやら、この家の人間は自分に危害を加えないようだ。そうわかると地を這うようにしていた菊千代も、元気に部屋を駆け回るようになった。


 それから数週間もすると、菊千代にもこの家の様々なことがわかってきた。

 カンさんの営む『たきのや』はその日の朝に打ったそばとうどんが人気の店であること、ミヨさんとマチさんというパートが二人いることなどだ。ミヨさんはご年配らしいが、マチさんはまだ若いらしい。

 以前はエミさんがそこに加わっていたのだが、この秋から彼女は店に出ておらず、ずっと店の裏手にあるこの住まいにいるのだった。彼女は身ごもっており、二月に出産予定だった。

 カンさんは無口で、あまり自分の話をする男ではなかった。妻のエミさんは天真爛漫で周囲にいる人をほっとさせるような雰囲気を持っている。まるで月と太陽のような夫婦なのだった。

 先住猫であるロッキーは元々エミさんの独身時代からの飼い猫で、群馬の生まれではないらしい。そしてマリアは、カンさんが近所の人から訳あって譲り受けた猫のようだった。

 そのせいか、ロッキーは常にエミさんの傍におり、マリアはカンさんに惚れ込んでいるのだ。

 菊千代は少し離れたところからエミさんを見ていることが多かった。というのも、彼女の膨らんだ腹が気になって仕方なかったのだ。

 菊千代が、毛繕い中のロッキーに問いかける。

「あのお腹の膨らみには何が入っているんだ?」

「そりゃあ、赤ん坊さ」

「赤ん坊ってなに?」

「なんだい、お前はあれが気になるのか」

「うん」

 ロッキーが耳を微かに動かした。

「もうすぐさ。楽しみにしておいで」

 だが、マリアは拗ねた顔をしてそっぽを向く。

「赤ん坊なんて、そんなにいいもんじゃないわよ」

「そうなのか?」

 首を傾げる菊千代の隣で、ロッキーが「やれやれ」と毛繕いをする舌をひっこめた。

「マリア、お前はまだ忘れられないんだな」

「猫はね、一度受けた痛みは絶対忘れないのよ」

 きょとんとした菊千代に、ロッキーが笑う。

「さぁ、この話はこれでおしまいだ」

 そして赤ん坊のことは誰も口にしなくなった。しかし、出産の時期は刻一刻と迫っていたのだった。

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