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にゃむらい菊千代  作者: 深水千世
夫婦のそば猪口
35/38

覚醒

 母屋に浄化の光が繰り返し発散されていく。点滅する眩さに、時雨と秋野は目を細めていた。

 得物は、何体の霊を消しても、何も唱えなくても、臨戦状態を保っている。まるで、標的のきりゅうを祓うまでは戦いが終わらないことを理解しているかのようだった。

 菊千代は攻防の最中、自分の刀が羽根のように軽いことに驚いていた。人間の長い腕から振り下ろされると、刀は思う以上に勢いを増す。

 不慣れな人間の体は重く、跳ねても思うように飛べない。その代わり、きりゅうに押し返されても、猫の体と違い簡単には吹き飛ばなかった。そのうち足腰の使い方に慣れてくると、着地して踏ん張ることができるようになってきた。

 ロッキーは拳の重さに手応えを感じ、にやりとする。だが、やはり瞬発力に欠けた人間の体に四苦八苦していた。

 そんな中、マリアは音楽で霊を祓う手を止め、厳かなアルペジオを奏で始めた。きりゅうには何も変化は起こらない。だが、その音を耳にした途端、菊千代とロッキーの体が少しばかり軽くなった。

「なるほど、マリアの力は拙者たちを援護するほうが向いているのかもしれぬな」

 菊千代が、にやりとする。

 あれほど無数にあった顔も、残るはきりゅうの正面にある幾つかになった。背中や脇は狙いやすくても、面と向かって打ち込むのは困難だ。

 ロッキーはきりゅうの腕やヒゲをかいくぐって、必死に拳を繰り出す。払おうとしたきりゅうの隙をついて、菊千代が刀で切りつけた。

 きりゅうはさすがに息があがってきたのか、大きく肩を上下させている。

 そのうち、菊千代は奇妙なことに気がついた。どんどん劣勢になっているというのに、きりゅうは笑みを浮かべているのだ。霊を祓えば祓うほど、顔つきが晴れていく。

「腑に落ちぬ」

 祓われたいのか、祓われたくないのか、ただ戦いを楽しんでいるのか。

 そもそも、何故きりゅうが滝沢家の者に手を出すのか。まるで自分からこの家に入り込むように仕組んだように思ったものの、ダイキに襲いかかる気配は見せない。

「何が狙いでござるか?」

 菊千代が呟いたとき、きりゅうの長いヒゲが鞭のようにしなって彼を吹き飛ばした。不意打ちをくらった菊千代は床に強か打ち付けられる。次いでッキーの悲鳴が響く。きりゅうの左腕がロッキーを突き飛ばし、彼もダイキのそばに尻餅をついた。

「いてて」

 ぼやきながらも、ロッキーは白い歯を見せた。

「やったぞ、菊千代。今の一撃で最後の顔を浄化した」

 見ると、あれほどきりゅうの体を覆っていた顔は一つもない。

「あとはきりゅうのみ!」

 菊千代はすっくと立ち上がり、ダイキを見下ろす。幼い主はこの騒動の中でもすやすやと寝息を立てていた。

「安心めされい。拙者たちがお守りいたす!」

 きりゅうがそれを聞き、黄ばんだ歯を覗かせて笑った。

「まだまだ。これからよ!」

 その言葉が終わるやいなや、異変が起きた。きりゅうのぶよぶよした腕と足が縮み、消えた。胴体は細長く伸びていく。肌はぬめぬめした艶を帯び、まるでヒゲの長い巨大なナメクジのようだ。そして驚くことに、きりゅうは宙に浮いたのである。

「まずは、こいつからじゃ!」

 きりゅうはくるりと向きを変え、マリアめがけて突進していった。

「早い!」

 ロッキーが思わず叫ぶ。ナメクジのようなぼてりとした体つきに似合わず、きりゅうは突風のように襲い掛かった。

「きゃあ!」

 マリアが突き飛ばされたのを見て、ロッキーと菊千代は咄嗟に駆け出した。得物を背中に叩きつけるが、油のように滑り、うまく当たらない。

「顔面に叩きつけないとダメか」

 ロッキーが舌打ちする。時雨と秋野はぴくりと鼻先をひくつかせ、ダイキのほうを見遣った。

「弁財天様の気配だ」

 そう呟く秋野が見たものは、ゆらゆらと舞い降りる蓮の花びらだった。

 弁財天が去ったときに散った花びらのうち、一枚が菊千代の襟元にひっかかっていた。それが駆け出した拍子に宙に舞ったのだ。

 花びらは螺旋を描きながら、ダイキの額の上に落ちた。まるで水に浸かった角砂糖のように崩れて消える。ダイキがゆっくりと目を開けた。

 猫たちはそのことに気づかず、きりゅうと向かい合っていた。何度も飛びかかるものの、人間の跳躍力では宙に浮いたきりゅうの顔を狙うのは至難の技だった。

「なんとか、あいつを地に落とせないかしら」

 立ち上がったマリアがギターを構えなおしたときだった。彼女の琥珀色の目がぎょっとしたように見開いた。

 それに気づいたロッキーと菊千代も戦いを忘れて立ち尽くした。きりゅうですら、言葉を失っている。

 彼らの視線の先には、しっかりとした足取りで立つダイキの姿があった。彼は小さな足で地を踏みしめ、ゆっくり歩いていた。

「俺は夢でも見ているのか?」

 ロッキーが呟くと、菊千代がぱあっと顔を明るくさせた。

「若が! 若が歩いているでござる! めでたや、めでたや!」

 マリアが「何を呑気に浮かれてんの!」と叫んだ。

「ダイキはまだ生後六ヶ月よ? 寝返りを打ち始めたばかりでしょう? 人間の赤ん坊がすぐ歩けるわけないじゃないの!」

 不気味な沈黙の中、ダイキはロッキーと菊千代の前に進み出て、赤ん坊らしからぬ落ち着いた笑みを浮かべた。

「こうして君たちとお話できるなんて、嬉しいな」

「しゃ、喋った!」

 ロッキーが腰を抜かし、その場にへたり込んだ。慌てて駆け寄ったマリアが、鼻をひくひくさせた。

「なんだか、弁財天様の匂いがする」

「花びら一枚分だけ、お力を貸してくださったんだ。だけど、すぐに元の赤ん坊に戻ってしまうよ」

 そう言うと、ダイキはきりゅうを見て左手を伸ばす。

「だから、邪魔しないでね」

 菊千代は息を呑んだ。音もなくきりゅうが襲いかかっていたのだ。

 だが、ダイキの手の先に光の壁が現れ、体当たりしたきりゅうはけたたましい悲鳴と共にその場に落ちてのたうちまわった。見ると、きりゅうの額が焼けただれている。

「これはなんだ?」と、ロッキーが辺りを見回した。彼らはドーム状の光の壁に包まれていた。

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